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なんかスキ

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よくわからないけど、スキだと直観的に感じた記事を集めてみた。  何がスキなのかは、集めているうちに気が付くかもしれない大笑。
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#なんのはなしですか

路地裏の『プレイボーイ』講座

あなたと共に成長したい。 元高校教師(国語)の たこせん枝瀬です🐙 背骨のない軟体動物なので、 しょっちゅう、タコ吹いてますが、 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 教育は 自分が変わらないと 他人を変えることなんてできない。        =「主体変容」 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ がモットー。 【たこせん枝瀬の発信の足】 【今回は主に「コミュニケーション」編です】 この世で君のすべてを投げうつに値するもの※今回の記事は

渋谷スクランブル交差点にて - 影みたいに平等に肌の色も上下もなく笑い合った奇跡の操作。

 月並みだけど、光があるから影が生まれる。  それは、光を受ける側に付き纏う。  だから、影は、せめて、不気味なものではなく、美しくあらねばならない。  光源は、背にあるくらいが丁度良い。そうすれば、ボクらは常に自分の影を見ることができる。それが、導きになることだってあるだろう。  影は平等だ。肌の色も関係ない。  本体が、接触を避けても、  影らは、地面という平らなひとつで、  自由に、上下なく、溶け合っている。  上京したての頃––––  初めて渋谷のスクラ

全ての嘘くささを拒絶した息子は間違ってはいなかった

小学6年生になって 反抗期は突然訪れた。 おそらく自分にとって損であると理解はしていたであろうけれども不可解な行動を繰り返す。 一つ消えればまた一つ新しい行動に変わるだけだ。 なだめすかしたり、叱ってみたり親が関与すればするほど拒絶の割合はより一層増えてゆく。 親の関与は心配からであるとは理解していても子どもは拒絶する。心配も期待もウザイ。 私は教育本、相談に取り憑かれた。いいことがうなるほど書いてある。しかしそれは彼の親の思惑を察知する感度を磨くだけだった。 全

ぱにゃにゃんだ!そして、にゃんのはなしですか?(#創作大賞感想)

「頑張ってね」。 日常の、あちらにもこちらにも飛び交う言葉。 相手を思うとき、心からの応援を込めて使いたくなる言葉でもありますし、とても使い勝手のいい言葉でもありますが、同時に、どこかためらいを覚えながら使われることの多い言葉……でもあるように感じています。 「頑張って」と伝えることで、相手に何かしらのプレッシャーを与えてしまうのではないか……そんな氣持ちがつきまとう言葉だからだと思います。 特に、言葉に敏感な方の多いnoteの世界では、「『応援したい』でも、相手を無理に『

東京TAWA〜ポップとバザーと、時々、ヒサシ〜

拝啓 私を天才と呼んでくれたコニシ木の子さんへ 以下の記事の創作大賞感想です。 スラムダンクと同じぐらい読み返しました。 150本の記事。二年半。 久々にそろばんをはじきました。 更新頻度は大体、週1ペースです。 決して、多くはない… なんのはなしですか、というエッセイのようなものを叫び続けて、果たしてあそこまでの熱量、そして、われわれ読者が読んだときの感動が生まれるものか?と。 非常に不思議に思いました。 私の「コニシ木の子さん像」は、失礼を承知で書きますと「

私なりの感謝状

世界にはいろんな物語がある 魚を助けてやる。 ちょっと喋って友達になる。 そして家に連れ帰って 水槽に入れたりせずに 海に放してやる。 途方もない時間がたって この人がピンチになる。 この広い海から たった1つの指輪を 探さねばならない。 魚は現れる。 指輪をくわえて。 鳥を助けてやる。 看病の間家に連れ帰り 鳥とおしゃべりする。 元気になったら 鳥を放してやる。 大空へ。 鳥は毎朝窓際に 歌をうたいに来てくれる。 籠に閉じこめたりしないで 鳥が遊びに来てくれる時

神保町で「遥か高み」を追いかける決心をする。

文体を変換し、皆の共感を得るのは新生活が始まる今がチャンスだ。きっとそれこそが私を「遥か高み」へと誘うものだろうと考えていた。 「一つ聞いてもいいかい?なぜ私の好感度は高止まりなのだろうか。そこには、もう一段上があるはずなんだ。君は、その答えを知っているはずなんだ。そろそろ僕と君は会わなければならない機会だと思う」 自分の好感度ほど「自分調べ」で良いものはない。自分で高いと思えば常に私は幸せである。欲を言えば、そこにほんの少しの共感が欲しいだけだ。 「会うべき機会ね。あ

友人の孤独を陽気な天秤にかける。

久しぶりの休日に友人の仕事を手伝うことにした。集められたのは別の友人と私の計二名だ。大きな工場の大きな音がする機械の試験を兼ねたメンテナンスをするという。私はもちろん機械を操作するでもなく、その試験の行方をもう一人の友人と精一杯声を出し応援する係だった。 応援とはいえ、時に囁き、時に叫び、時に頷くなど多種多様なリアクションを全力で空気を読み集中しなければならない。今どき「応援に来てくれ」と言われて、本当に応援するだけの仕事があるとは考えたこともなかった。 私達三人は、高校

初恋のロマンチックを誰かに預けることで私はロマンチックになりたい。

私の人生で、そもそもロマンチックという言葉が適切な響きを得ているのかが謎だ。ロマンチックという経験を私は生を受けてから今まで本当に経験してきたのだろうか。まずその意味を知ることからはじめることにした。 現実離れで甘美で理想的な雰囲気や、なりゆきであるさまである。 これは、誰からの目線なのだろうか。こちらがそう思ってはいても、相手がそうは思っていないのが現実だったりする。周囲から見てそうだと言える場合もあるのかもしれない。私の場合一人ロマンチックなら毎日だと言える自信がある

「なんのはなしです課」通信 明澄な八通目

noteの街の路地裏へようこそ。月曜日をぶっ飛ばせのお時間です。今週も世界中の「なんのはなしです課」通信員から「なんのはなし」か分からない報告が届いておりますので報告します。 この報告は、ハッシュタグ 「 #なんのはなしですか 」から追っています。使用例や表現の仕方はこの通信の誰の報告を見ても「なんのはなし」か分かりませんのでお気をつけください。 記事に #なんのはなしですか を付けていただければ、とても表に出しておける記事ではないので、上記マガジンへ私から回収しに伺いま