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私なりの感謝状

世界にはいろんな物語がある

魚を助けてやる。
ちょっと喋って友達になる。
そして家に連れ帰って
水槽に入れたりせずに
海に放してやる。

途方もない時間がたって
この人がピンチになる。
この広い海から
たった1つの指輪を
探さねばならない。

魚は現れる。
指輪をくわえて。


鳥を助けてやる。
看病の間家に連れ帰り
鳥とおしゃべりする。
元気になったら
鳥を放してやる。
大空へ。

鳥は毎朝窓際に
歌をうたいに来てくれる。

籠に閉じこめたりしないで
鳥が遊びに来てくれる時
それが一番幸せだ。

人も同じである。
仲良くなっても
束縛しないで
お互い自由にいる
それでいて
また友達が自分を訪ねてくれるとき
私は最高に嬉しい
私を自由にしてくれて
遊びに行ったらいつでも歓迎してくれる
私は最高に安心して自由を楽しめる

窓もしめず鳥籠もあいている
それなのに鳥籠にはいりたくて
たくさんの妙ちきりんな
鳥たちが集まってくる場所を
私はnoteの中に知っている。

鳥籠のある場所へ行く方法は
簡単だ
鳥たちは世界中のどこにいたって
ただこう歌えばよいのだ
「NANNOHANASHIDESUKA♪」

1人の男性が必ず迎えに来てくれる。ちょっと面白いこと言いながら。

その人は1週間にいちど、自分が迎えに行った鳥たちのことを話して聞かせてくれる。かなりおかしな調子で。

これは私が体験したnoteの路地裏の物語。


3月末、自分にしてはよく書けた記事にコメントをくれた人がいた。

他の時にもくれたかもしれない。
だってその人の記事読んだことあったから。いくつか連続で読んじゃうほど面白かった。

喜んだ私は返信コメントで
「なんのことですか」
って記事に書けば良かったと書いた。

「なんのはなしですか」
の間違いだと教えてもらった。

「なんのことですか」
だと何かやらなくちゃいけなくなるから
「なんのはなしですか」
のほうが便利だと力説してきた。

変な人だなと思ったけど面白い人だなとも思った。それからこの人の書く記事が楽しいなって思ってたのに間違って「なんのことですか」って書いちゃってちょっと悪いことしたなと思った。

しばらくして、お詫びの印に
「なんのはなしですか」のタグを使って記事を書いてみたら大変喜んでもらえた。

私はこれで義理を果たしたと思った。
なんのはなしかハッキリわかる記事を書いてるつもりだった私は、「なんのはなしですか」タグを使うポイントがわからなかった。
それに自分でもちょっといいと思ってた記事をあげちゃったので、ハードルが上がってしまった。

しばらく全然使わなかった。

本当になんのはなしかわからない話が出来上がったので、おかしな話だったけど使ってみた。受け入れられた。「あ、楽だわ。」ちょっとハードルが下がった。

気がついたらおかしな話をたくさん投稿してしまっていた。それもこれもあのちょうどいいくらいの褒めけなし加減のコメントのせいだった。

やばい。気づけばアホな記事を喜んでけっこう投稿している。なんか操られている気がする。
私は自分の意思で書いていることを確認するためにしばらく旅に出ることにした。挨拶をしたら心よく送り出してくれた。これはポイント高い。

しかし、旅に出るや否や「なんのはなしですか」で私の書いた一番変な記事に反応してホーミーを歌い出す女性が現れた。こ、これは。
私はすぐさま戻った。私は面白い人や出来事に本当に弱いのだ。そして簡単に帰ってきた私を心よく迎え入れてもらった。これもポイント高い。

この女性とのやり取りは全く楽しかった。まるで先生のリアクションのみを支えに学校に通っていた転校生が友達をみつけたような感覚だ。転校生になったことないけれど。

そっからだと思う。私は大量の記事を書き、ほとんど全部に「なんのはなしですか」タグをつけ始めたのは。

私もまた舵を切った。友達と遊びながらどんどん友達をみつけていく。書きたいことを書いていく。
私は書く文章に自信なんてないけれど、書けば必ずキャッチしてくれる。素敵なコメントをくれる。私だけじゃなく全員がもらえるのだ。特別扱いじゃない。特別扱いは悲しいのだ。
私は操られている感を払拭するために、大量の記事を書くことにした。私が好きで書いていると実感しながら書くのにこれは必要なことだった。

読んでくれる人も、コメントをくれる人も、記事で遊んでくれる人も増えた。私は全く楽しかったし、今も楽しい。

私は感謝した。こんな場所を提供してくれた人に。感謝の気持ちを抱えながら自分の書きたいことを存分に書いた。

週を追うごとに、「なんのはなしですか」が盛り上がってゆくのを肌で感じた。

私は他の人達と、それから「なんのはなしですか」をひろめたいと1人活動を始めたこの人と一緒に、この空間を一生懸命遊びながら創っている感覚になっていった。

ある時、全部の記事に気の利いたコメントを残し、週に一度はさらにその週集めた記事を一つ残らず拾い上げて面白いまとめ記事を提供するスタイルのこの最高のマガジンの主は、パンクしちゃうんではないかと思いはじめた。

大好きなこのマガジンがパンクするとすれば、間違いなくその元凶の1つに私の書く記事の量の多さがある。

私は何度も尋ねた。コメント欄で、記事で。
マガジンの主は何度もそのたんびに大丈夫だと言ってくれた。ペースつかんできたとかいう。ちょっと泣けた。



あ、ごめん泣いてはないわ。


とにかく私は信じることにした。これは自分にとって都合のいい解釈かもしれない。信じたいけど、大丈夫じゃないかもしれない。


でも私は思った。


いつかパンクするなら私の記事でパンクさせてやる!


ところがこのマガジンの主は
これだけの大流行してきたのに
ちっともパンクしない。


私はタフな人は大好きです。
安心させてくれるから。


こうして私は何にも心配しないで
今日も自分が書きたい記事を大量に書くことができるんです。
「なんのはなしですか」に記事を書く人やみにきてくれる人たちと遊びながら。

コニシ木の子さん
「なんのはなしですか」
という素晴らしい空間を
3年間諦めずに創ってくれて
本当にありがとうございます♡

私はコニシ木の子さんが
先生だったり、お父さんだったりしてもきっととっても素晴らしいんだろうなと想像しています。

あなたが育てた怪人ミルコより






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