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全ての嘘くささを拒絶した息子は間違ってはいなかった

小学6年生になって
反抗期は突然訪れた。

おそらく自分にとって損であると理解はしていたであろうけれども不可解な行動を繰り返す。

一つ消えればまた一つ新しい行動に変わるだけだ。

なだめすかしたり、叱ってみたり親が関与すればするほど拒絶の割合はより一層増えてゆく。

親の関与は心配からであるとは理解していても子どもは拒絶する。心配も期待もウザイ。

私は教育本、相談に取り憑かれた。いいことがうなるほど書いてある。しかしそれは彼の親の思惑を察知する感度を磨くだけだった。

全身で何もかも跳ね除けながら、最後の一歩では甘えて来る子どもに私はますます混乱していった。

同時期、子どもにとっての祖父が闘病で急速に弱りゆく。言葉にはしないが夫の関心はそちらである。子どものことはあまり視界に入っていない。これは仕方のないことだ。いつも頼りにしていた夫が上の空ということで、私は自分の頑張りどきだと理解した。しかし猛烈に不安である。

私の関心は義父の容態にも向かう。見舞いに心をくだく。

使ってはいけない言葉、かけてほしい言葉、最後に見せたい家族仲良しの光景。

子どもはそれも横目でみている。
全部拒否だ。
そんな嘘くさいものは!
俺は見舞いになんか行かないぞ!

子どもは祖父のことは大好きだ。
しかし見舞いに行く車に
あとは乗るだけとなってから急に気が変わる。
やっぱり行かない。

あと何回会えるかわからんのだぞ!
しかしそれでも動かない。
父の見舞いに息子が来ない。
夫は疲弊していた。

義父は死を拒絶していた。
コロナ禍で生きるために遠くに住む家族に会わないと決めたのにやっぱり会うと思い直してくれたのだ。
今だろう。会うのは。

義父はいつまで生きるかわからないけれど買い物をどんどんする。
死を連想する言葉は禁句である。

しかしその一方で義父は死ぬ準備もしている。冗談ばかり言っていたのに、孫の反抗期の話を聞いても「大丈夫だ。頼もしい。」だ。
全く泣けて仕方がない。この人は家族が大好きなのだ。集合をかけてろくな理由もないのに会いに来ないなんてことがあったら目に見えて不機嫌な顔になるのが常だった。

このねじれた世界は
一体なんなんだ。

義父は孫がよりつかなくて
その時点では寂しいのである。
しかし頼もしいというのも
嘘ではない。
もっとずっと未来を見据えてる。

大丈夫はもっと長いスパンでみた子どものことだと私はちゃんとわかっていた。わかっていたけどいい格好をしたいのだ。これは私のエゴだった。

息子よこのじいちゃんを
みてくれよ!
私は全く悲痛な思いだった。

心配しなくていい。あの子が
忙しいなら来なくて大丈夫なんだ。

義父は私に言った。

本当に子どもは全く行かなかった。
弱ったじいちゃんをみるのを拒否していたのかもしれない。

これなかった子どものぶんの
小遣いを義父から預かる。

家に帰って渡すと
行けばよかったかなと情けない顔を一瞬する。
電話をかけるように伝えると、すぐにはかけない。拒否する。
あきらめてしばらくすると短い電話をかける。
優しい声だ。ただの孫じゃん。
私は見舞いにすら行かない我が子をみて鬼の子を育ててしまったかと思ったけど、じいちゃんの電話口で可愛くなるのをみて何度も涙が出た。


12月に入って、腹水を出すだけの手術を受けた退院の日、一度だけ学校を休ませて子どもも行った。

子どもは神経質で、学校を休むのを不安がった。
担任の先生が「学校より大切なことがある。今がその時だ行きなさい。」と言ってくれた。

後できくと担任の先生は、葬式も休めないほど忙しい企業で働いた経験があったらしい。
自分の祖父の葬式に行けないと思い込んでいたら、当時の上司が「行け!」と背中を押してくれたんだそうだ。ありがたいことだ。


その日の義父は弱っていて、介護ベッドの上だった。うつらうつらしていてその日はそんなに話せなかった。

年の瀬の餅つきには子どもなしで手伝いに行った。
義父は体調が良く、餅を2つ食べた。

帰り際に私に言った。
「俺のことは何も心配いらない。子どものことを優先しなさい。」

義父は孫たちのことも、義母のことも、自分の息子2人のことも嫁2人のことも全く心配してなかった。

あれはなんなんだろう。
全く普通の人だった。
普通以上に大きな子どもみたいなところのある人だった。
最後の方は別人だった。
自分の口から出る言葉をじっくり丁寧に選んでいるのが傍にいてよくわかった。
死が近づくと、とても大切な何かがみえるんだと私は思った。

年が明けてしばらくして義父は亡くなった。

義父が亡くなっても長男のペースは変わらない。
しかし、義実家に顔を出すようになり、家につけば自然に仏壇に手を合わせる。

「大丈夫だ。」
遺影から声が聞こえる気がする。

好き放題やったほうで正解だったのだ。
会いに行かないというじいちゃんへの最大の甘え方を長男はした。

じいちゃんもまたそれを許した。

何もかも間違っていなかったのだと今やっと思う。

義父は、家族の思いやりという嘘くささの中にいて、全ての嘘くささを拒絶する長男をある意味気持ちよく思い「頼もしい」と言ってくれたのかもしれない。

あれで良かったのだ。

いかに無鉄砲であっても子どもの自由にしてくれたほうが、親は嬉しいものだ。

それはその時わからず、後になって気がつく場合もある。

なんのはなしですか

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