山羊座の満月ワーク☆

こんにちは☆

山羊座の満月ワークのキーワードは、『頑固さ、厳しさ』

このキーワードを見て、姉に『Ayamiは、自分にも厳しいし人にも厳しい』と言われたことを思い出した。

私の座右の銘は、長い事「チャレンジ」「マイナスになる経験は無く、全ての事が経験というプラスになる」だったし、祖母から母へ、母から娘である私へと受け継がれた言葉は「苦労は買ってでもしなさい」だった。

だからこそ、何よりも苦労をすればするだけ幸せが後からくると、『陽極まれば陰となり、陰極まれば陽となる』の陰陽論を鍼灸師を目指すその昔10歳ころには使っていたように思う。

私のセンサーが反応することは試練な恋愛、試練な環境だったし心も体も辛かったのはそりゃそうだと今なら思える。

辛くなきゃ、意味がない。そんな思いをもっていた様にも思う。

そして、「頑張れば論、苦労したら幸せ論」を推奨していた私はもちろん他の人にも幸せになってほしいから頑張っていない人には同じ様に厳しかった様に思う。それか無理していたから、していない人にイライラしていたのか?

16歳で留学した時がきっかけで要らないプライドは必要無い、頑固さのOn、Offが必要だと思う様にはなったが、まだ自分の手綱は緩めれなかった。

16歳の留学は自分が両親にお願いして行かせてもらったもの。途中で帰るなんていうことも、ホームシックでメソメソも許してなかった。だから、16歳からの3年半は日本食恋しいなんて自分が思う事さえも許してなかった。

短い期間ではあったが、1人きりだったことだってもちろんある。最初から留学や外国の写真の様に友達ができて笑顔の時間で終始いれるわけはない。サマースクールみたいなイベントではない、普通の生活をする場面においてはなおさら。現地校に入ってみんな何年も前からグループがあって人間関係ができているのに、英語の話せない新入りなんて必要ない。

でも、そこで身を助けてくれたのは子供の頃から頑張っていた音楽や、スポーツだった。だからこそ、頑張ったことはこうやって花が咲くんだ!!と頑張る事で撒いた種が、実と成長し収穫を迎えるという感覚を知ってしまったから、まだまだ自分との厳しさと向き合う時代は続いた。

私が私への厳しさが和らぎ始めたのは大学4年生の時だったように思う。

権威ある教授が、飲み会の時に学生のために冷蔵庫から飲み物を出してくれる姿や教授が知らないことを笑顔で楽しそうに学生に聞いてくれる姿を見て、「わぁ!これだ」と思った。

実は両親も教授の様に、知らないことをどんな年代からも聞ける人達であることを後に気づく。

この教授と両親の大人が知らない事を素直に認め、素直に聞く姿に私は感銘を受けて、そこから私は自分もいらないプライドは持ちたくないと思う様になる。

分かりやすく変わったことは、実際に英国にいた3年半よりも間違う自分を許し、正してもらう事を楽しめるようになったら英語を話すことへの怖さがなくなった。というか、「私は英語を話してあげてる」くらいに開き直った。

間違ったらいけない!という自分の厳しいルールを排除したら、え?私こんなに意思疎通できた?という様に言葉が出る様になった。

28歳に移住したアイルランドでは、また厳しさが自分にでてしまい体調も思わしくなかった。

幸せをお手伝いするセラピストの仕事は、誰かの身体を和らげるために自分の身体をすり減らしていっていた。自分を認めず、厳しくする方が優しくするより得点が高い気がするからそうしていたのかもしれない。

やっと今の様な、楽しくいこうよ!となったのは、オランダ移住を決めてから。アイルランドで自分の身体がすり減っていくことは別にトリートメントのパフォーマンスを上げることじゃないと気づかせてもらったから。セラピスト同士のどこが誰が痛いか自慢大会にうんざりしたし。

オランダで個人企業主になる前に日本に3か月程帰国していた。その時にマッサージの技術のブラッシュアップもかねてアドバンスのレッスンを受けた。

その時に目から鱗だったのが、先生に「トリートメントって、したあとにセラピスト疲れてなくってもいいんだよ。」って言われ、なんなら自分の力を抜いて一見休んでるのか?という体勢の方が力がいい感じにかかる経験をさせてもらって・・・一転集中これでもか!よりも、力抜いてがいいだなんて。

なんてことだ!

「疲れた=いい仕事を本気でした」じゃないじゃん。って、

「厳しい=心地良い自分への将来への近道」でもないじゃん!って。

結局、疲れる事が自分に分かりやすい努力の成果だったし、自分を認める測りって事にしてたんだと気づいた。

そこから、母に「私、苦労はもう買ってまでしないね」と伝えた。

すると、母は「うん、もういいよ。充分頑張ってきたじゃない」というではないか!ずっと前から他の人からはもういいんだよって許可が出ていたのに、結局自分から許可が下りてなかっただけなのだ。

(ちなみに最近では、母は「人生一回きり、楽しくすごしなさい♡」と言ってくれる、きっといつも成長欲の強い人だから知らず知らずワークしているのかもしれない。)

私が今回のワークでこれらの流れを思い出したのはきっと今、私の言語も表現力も次のブロックを外す時だからだと思う。

そして、そのブロックは誰が作ったものなのかを認識し、そのブロックは誰に聞いてどんな好みの言葉をもらっても結局外れず、自分で外すしかないという再認識のための様に感じた。

もっと表現もしていきたいと、ここ一年沢山実はもがいていた。

でも、また私の~してはいけないというブロックがかかっている感覚を感じた。

間違ってはいけない、面白くなければいけない。

~でなければいけないなんて、自分のルールでしかなかった。

だから、今日は自分でそのブロックを外して書きたいだけ書いた☆

文脈も文字数も見やすさも考えなくて良しとした。

私しか私の為に表現できないんだもの。

厳しさは志しに、頑固さはこだわりに形が柔らかく変わる感覚がしたワークとなった。

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