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ファンデーションは要らない

わたしは、自分で言うのもあれなんだけど、とってもお肌がキレイ。ニキビや吹出物とは無縁だし、お肌のトラブルに悩まされたことなんて一度もない。

そして、色が白い。白すぎてわたしの肌に合う色のファンデーションがなかなか見つからない。オークル00で、ちょっとくすんでしまうんじゃないかなってくらい。


それでもわたしが今までファンデーションを使っていたのには、理由があった。



わたしの顔には、どうしても隠しきれない傷痕がある。



右のほっぺ。
ちょうど中央に、薄く縦に入った傷。



***



小学生の時、友だちと楽しくおしゃべりしながら登校していた時。おしゃべりが弾みすぎてよそ見をしていたわたしは、思いっきり顔面から電柱にぶつかった。


もう一度言うね。


よそ見しながら歩いてたら電柱にぶつかった。


もうね、デーンって感じ。効果音をつけるなら、デーンって感じでぶつかった。しかも顔面から。


おしゃべりに夢中になりすぎて、目の前にあった電柱にすら気づかないわたしの視野の狭さ、やばくない?

むしろわたしのおしゃべりへの集中度合い、やばくない?

自分でもびっくりするくらいの鈍臭さだし、後世に語り継いでもいいんじゃないかってほどのおマヌケ具合。


ま、それで、何事も無ければよかったんだけど。


現実は、そんなに甘くなかった。


電柱から帰還したわたしの顔には、見事にくっきりとした傷痕がついていた。その傷痕は、わたしがいくらこすっても、何をしても、取れなかった。


登校した教室で先生に聞かれる。


「あやめちゃん!その顔どうしたの!!」


事情を説明するものの、お喋りに夢中になりすぎて電柱にぶつかりましたというわたしのマヌケな発言を先生は全く信じてくれない。走っていてぶつかったのか、電柱の前でこけてしまって運悪くぶつかったのか。これほどの傷跡ができるほどの正当な理由が見つかるまで、事情聴取は続いた。


わたしは困ってしまった。


走ってもないし、こけてもいない。
わたしはただ、よそ見をしながら歩いていたら、電柱にぶつかった。本当にただそれだけ。

なんだかよくわからないけど、電柱からぶつかった顔を離した時には、右ほっぺにくっきりとした跡がついていた。ただそれだけ。


先生の尋問に、わたしは自分の鈍臭さを責められているような気分になってしまって、思わず教室の隅で泣き出してしまった。

先生は、ほっぺに傷がついたことのショックでわたしが泣いたのだと思っていたと思うけど、ちがうんだ。わたしはこの尋問が苦痛で泣いたんだ。


わたし自身、大したことだとは思っていなかった。ちょっと、ほっぺたに傷がついただけ。

でも、周りの大人がたくさん騒いだ。

こんな顔じゃお嫁に行けない。一生残る傷跡だ、と。



***



あれから20年ほど経った今でも、あの時わたしのほっぺにできた傷は、治っていない。
周りの大人たちが言っていた通り、どうやら本当に一生残る傷になってしまったらしい。

幼い頃のわたしは、こんなにも自分の顔に傷が残り続けるなんて、思ってもなかった。
すぐに消えるものなんだろうと、信じて疑わなかった。


「日焼けをするとその傷は余計に目立ってしまうよ」


お医者さんにそう言われたから、わたしは1年中日焼け止めを塗ることを欠かさなかった。小学生の時から、ランドセルには常に日焼け止めが入っていた。いつかこの傷が消える日を願って、わたしは毎日日焼け止めを塗った。


でも。それでも消えない傷痕は、気が付けばすっかりわたしのコンプレックスになってしまっていて。

どの写真を見ても写っているわたしの右ほっぺの赤い傷。

どの角度から撮られればそれがうまくわからなくなるのか、どうすれば隠れるのかを必死になって研究した。自分の顔を右側から見られることが、嫌で嫌で仕方がなかった。


「大人になったらファンデーションで隠せるよ」


その言葉は、わたしの中での一種の希望だった。


高校生になって、大学生になって、たくさんのお化粧を試した。
ファンデーションも、コンシーラーも、フェイスパウダーも。
どうすればこの傷が隠れるのか、見えなくなってくれるのか。


でも。

ファンデーションが厚くなるたび、本当の自分を隠しているような気分になった。
色んなものを上から塗りたくって、見せたくないものを隠して。
どんどん偽りの自分を作っているような気がして、自分に自信が持てなくなった。



だからわたしは、ファンデーションを捨てた。



何かを、変えたかった。

嫌なものを隠している自分を、捨ててしまいたかった。


わたしはわたしのままで。ありのままで。
ファンデーションを捨てたことなんて、ひとつのきっかけにすぎないことはわかってる。
でも、わたしにとってファンデーションは、嫌な部分にフタをして見なかったことにする道具だったから。ファンデーションを塗るたびに、あの四角い箱を見るたびに、なんだか気持ちが沈んでしまう厄介なものだったから。



***



ファンデーションを捨てた今、わたしに怖いものは無い。
もう何でもどんとこいという感じ。


少し赤みのあるわたしの右ほっぺは、ちょっと濃いめにチークを塗ってしまえばばれることはない。


(引用:美人カレンダー2016年9月19日)
(↑2年前…若々しい…)


まれにわたしの傷痕に気づいて、「あれ寝てた?型ついてるよ?」とか「猫に引っかかれた?」とか聞かれるんだけど。

それでも「これな!小学校の時によそ見しながら歩いとったら電信柱にぶつかった痕やねん!やばない?間抜けすぎひん?」ってネタにできるようになった。(しかも結構ウケるからしめしめと思っている)



コンプレックスの塊だったわたし。
人見知りで引っ込み思案で、表に立つことを避けていたわたし。
スポットライトが当たらないように、わたしの存在が見つからないように、前の席の人の背中に隠れるように縮こまっていたわたし。



でも、本当の自分のありたい姿は、そんな自分じゃなかったんだ。



ファンデーションを捨てたことなんて、ひとつのちっぽけなトリガーだった。

でも、わたしの中での大きな一歩だったんだって思う。





ありのままのわたしは、
今日も、明日も、明後日も、
胸をはって顔を上げて、
未来に向かって歩くんだ。




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