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書けない時は初心を思い返すようにしていて

今日は何を書いたらいいのか分からない。なんだか最近うまく書けない。
そんな時に決まってこの人の文章を読む、という自分の中でのお決まりのルーティーンみたいなものがある。

それは、古性のちさんの文章。

それも、最近書かれたものではなくて、数年前の毎日更新をされていた時代のもの。

特にこのnoteは何度も何度も読み返している。のちさんも書けなくなること、うまく言葉に出来なくなってしまうこともあるんだって、なんだかちょっと安心してしまう。なんだか最近うまく書けない…みたいな現象って、わたしだけじゃなくて誰にでもあることなんだなって。

それでも続けた。
次の日も、次の日も、次の日も。すると、徐々に感覚が戻ってくる。心の前に立ちはだかっていた壁はいつの間にか消え、少しずつ、少しずつ、言葉の世界に入り込めるようになった。
そこでやっと気づいたのだ。
私のこれは、スランプなんかではなく、
ただの「怠惰による練習不足」だったのだと。


千里の道も一歩からって言うように、何でもやっぱり日々の積み重ねなんだろう。うまくいかない、思うようにできない、そう思って行動すること自体を辞めてしまったら、きっとその後突然視界がぱっと開けるようにうまくいくなんて魔法みたいなことが起きる可能性はほとんどない。

あぁでもない、こうでもないって思いながらも、うんうんと悩みながらも、それでも一歩ずつ地道に積み重ねていくことが、自分を前に進ませてくれる唯一の手段なんだとわたしは思っている。

何度も何度ももう書けないって思う日があったけれど、それでもめげなかったから、それでもあきらめなかったから、今のわたしがこうしてここにいる。その気持ちを、忘れちゃいけないなぁって思う。


毎日更新を始めてもう1100日以上が経つけれど、それでも何度も訪れる「書けない日」。のちさんの過去のnoteを読み返すのは、まさにわたしがその時一番毎日更新で苦戦していた時期だったから。あの時この文章を読んでこんなことを考えていたな、みたいな気持ちがじわじわと自分の中に思い出される。そんな日々を乗り越えてきたわたしだから、きっと出来るはず、みたいな気持ちになって、少し前を向けるようになってくる。初心を思い出すトリガーのひとつが、のちさんの文章なんだ。

わたしにとってのちさんがそんな存在であったように、もしかしたらわたしも誰かのそんな存在になっていることだってあるのかもしれない。だから余計に、毎日更新、サボれないなって思う。サボるつもりは毛頭ないんだけどね。

これからも地道に、ひっそりと、変わりなく、わたしの心に浮かぶあれこれを文章にし続けようと思う。


そんなわけで、今日もおつかれさまでした。

 


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