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映画という世界を共有するのは

「毎週金曜21時は、映画を観る日」

そうやって決めている夫婦がいるらしい。

週末に、それぞれのお勧めの映画を2人で観る習慣。何それ素敵すぎるわたしもやりたい。

そんな話を、夕飯を食べながらシェアハウスのリビングでしていた。

わたしたちもやりたいね。定期的にみんなで映画を観る会。自分が良いと思った映画を持ってきてさ、みんなでリビングに集まって。


映画を選ぶって、すごくセンスが現れる気がする。
どんなジャンルを選ぶのか、洋画なのか邦画なのか。

わたしもよく映画を観る方なのだけど、やっぱり自分が観るものってすごく偏っている気がして。世の中にはたくさんの映画があるから、自分が知っているのだけでもほんの一握り。だから、他の人のオススメだったり、渾身の1本、みたいなのはすごく知りたい。


みんなで一緒に同じ映画を観るって、良いな、楽しそうだな~って考えていたのだけど、ここまで書いてて思い出したことがある。

映画ってさ、一人で観るべき作品と、みんなで一緒に観た方良い作品ってない?あとさ、映画観てるときに話す人と、じっと黙って観入る人と2パターンある気がする。

ちなみにわたしは黙って観るタイプの人だから、隣で話しかけられようもんなら「うるさい」ってなってしまう。「こっちは集中してるから話しかけないでほしい」ってなる。だって、話しかけられてる間に、ストーリーは進んでしまうわけで。え、聞き逃した!みたいなことが発生してしまうわけで。

話ながら映画観れる人はなんて器用なの?って思う。そもそも観方がちがうのかな。どうなんだろう。わたし、一言一句聞き漏らさずに全部観る!みたいなタイプだから黙ってしまうんだろうか。みんなはそうじゃないのかな、どうなんだろう。

でも、一緒に映画を観て、観終わった後にあーでもないこーでもないって、それぞれの見解を述べたりするの、割と楽しいと思っている。

良いなと思った作品を「嫌いだった」って一刀両断されると虫唾が走ったりもするけれど。映画というひとつの作品に対して「嫌い」はないだろう、もっと他の表現使えないの?とかって思ったりしてしまう。口には出さないけれど。


えー、悩ましい。映画って、一緒に観たいけど一緒に観たくない気もする。

すごくわがままだなぁって思うのだけど。


変にこだわりを持ってしまうと逆に幅を狭めかねない気がする。気を付けないと。


おすすめの映画、ぜひ教えてください。



今日もおつかれさまでした。




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