見出し画像

方言と標準語と表現の問題について

「行きし」「帰りし」が関西弁であるということを知って驚いた。標準語ではなんて言うのだろう。わからないから、ひとまず会話の中で「行きし」「帰りし」を使わないような内容の話をしている。もし「行きし」「帰りし」のニュアンスの言葉を伝えなければならない場合、わたしはどうすればいいんだろう。「行き道」「帰り道」とか言えばいいのかな。ニュアンス同じなんだろうか。


日本語ってすごく難しい。


各地方の方言だったり、標準語だったりが異なるっていうのもそうだけど、そもそも日本語って同じ言葉でいろんな意味があったりするし。その場や、使い方次第で、同じ単語でも違った意味づけがなされていたりするし。

ほら、例えば京都人のお隣さんに「昨晩はえらい賑やかで楽しそうでしたねえ」なんて言われたりしたらもうそれは大クレームってことだし。騒音うるせえよってことだもんね。



そうした、表面的な意味だけじゃなくって、裏に込められた意味があるのが日本語なんだよね。

だから、こうして文章を書くときも、どんな風に受け取られるのかとか、ちゃんと考えて書いた方がいいんだなぁって思ったりする。わたしはAっていう意味で書いていたとしても、Bっていう意味で捉えられるなんてことは、往々にしてあるもんね。


伝え方、伝わり方は人それぞれだから、なるべく誤解を生まないように、そのまんまの意味が伝わるような表現の仕方を工夫しないとな。


なんてことを、今の仕事を始めてからずっと考え始めて気がつけばもう4年目になっていて。


どんな言葉を使うのか、どんな表現をするのかって、どれだけ自分の中に言葉のひきだしがあるかだなって思ってる。そのひきだしの数を多くするには、知識量を増やす、つまりはたくさんの情報に触れたり、本を読んだりしてインプットするのが前提にあるなって考えてて。でも、インプットしただけでアウトプットできなければそれはインプットした意味が無いわけで。ただ、そのアウトプットで、色んな意味に捉えられるから注意しなきゃいけなくって。。って堂々巡りになっちゃうんだけど、とりあえず出来ることっていうのはトライアンドエラーなんだよね、きっと。


たくさん本を読んだりして情報を得て、それを自分なりに解釈してアウトプットする。それを何度も何度も繰り返していくうちに、自分の表現だったり、言葉の言い回しが上達していくものなんだよ。


わたしはまだまだだなって思うし、未だにnoteを書くときにも、こんなものでいいのかな?って思うときもあるんだけど。
それでもやってくしかないのだから、ひたすらトライしてみようと思う。



あ、ちなみに今日の見出し画像のおにぎりは特に何の意味もないです(おいしかったやつ)。



今日もおつかれさまでした。




#日記 #エッセイ #ひとりごと #あやめしのひとりごと #まいにち日記部 #どっころまいにち日記部 #dotcolony #今日のあのね #毎日更新 #毎日更新倶楽部 #241日目

サポートいただいた分は、なんだかちょっとときめくものとか、心がうきうきするもののために使わせて頂きます。それをまた、noteに書いてみなさんにお裾分けできればいいなって思ってます。読んでくださってありがとうございます。