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経験していないことは想像することしかできないからこそ

なんとなくTwitterを見ていたら、とあるツイートが目に入った。

これを見て、なんだかハッとした。

今から数か月前、わたしは出産を経験した。陣痛が始まってから出産までの時間だけを考えるときっと安産だと言えるほどのスピード感だったけれど、実際は全然そんなことなかった。切迫早産で入院したし、自然分娩のはずが吸引分娩になった。出産時の多量の出血と脱水症状のせいで、出産後は38度から熱が下がらなかった。

本当に大変だった。「大変」というたった一言で済ますのは割に合わないって思うくらい、死ぬほど大変だった。「死ぬほど」という形容詞が、これほどまでにそんまんまの意味で使うのは初めてかもしれない。

だから、軽々しく2人目、なんて言えないって思っている。

2人目が欲しいという気持ちはある。目の前ですやすやと眠る娘ちゃんは本当にかわいい。育児は大変だけど、それでも幸せだと思える瞬間がたくさんある。

でも、また妊娠と出産を経験しないともう1人は生まれないのかと思うと、ものすごくしり込みしてしまう。

このツイ主さんの「10か月間摂生をして健康を保つのも、腹を痛めて産むのも、その後ボロボロの肉体になるのも、体重戻らないとか言って泣くのも、3度目の産休とるのも、全部私だ」という部分。本当にそうなのだ。全部全部、旦那さんには変わってもらえない。必ず全てわたしにふりかかってくるものなのだ。

日に日に大きくなっていくお腹にとまどい、気持ち悪いのに耐え、日常生活がどんどん不便になっていく。自分のお腹の中でちゃんと赤ちゃんが育っているのか不安になり、検診の度に安心する。食べたいものを我慢し、やりたいことも我慢し、全力でやりたい仕事もセーブする。そんな生活を10か月続け、そして待っているのが命懸けの出産。それが全て、自分の身に起きる。旦那さんではない。わたしの身に起きる。

出産後の痛みも、メンタルの不調も、産後の変わってしまった体型にショックを受けるのも、全部わたしなのだ。わたしの身体なのだ。

このツイートを見て思った。子供を作るのは夫婦2人のことだけど、産むのはわたし。他の誰が何と言おうと、ちゃんと自分の気持ちを大切にして良いんだ。だってこれらは全て自分の身に起きることだから。子供が宿るのは旦那さんの身体ではない。わたしの身体の中なんだ。

わたしの旦那さんは、ありがたいことにとても理解がある。家事も育児も何もかもが本当に完璧にこなし(むしろわたしの方が出来なくてごめんなさいの気持ち)、約1年も育休を取得してくれて、かけがえのない今を一緒に過ごしてくれている。彼に対しての不平や不満は何一つない。

それでも、もう一度「妊娠・出産」を経験しないといけないと思うと、「もう1人」なんて軽々しく言わないでくれ、とわたしでも思ってしまう(旦那さんに軽々しく言われたことは一度もないけれど)。


でも、わたしもこれは自分で経験したからこそそう思うんだろうな。経験していないことは想像することしかできないから、本当の意味でその状況を理解することはできない。

だからこそ、どんなことでもちゃんと話し合うこと、歩み寄ること、勝手に決めつけないこと、自分の物差しだけで意見を言わないこと。そういうのが大事なんだろうなって思う。何事においても。


そんなわけで、今日もおつかれさまでした。



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