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父になった日の話

娘が生まれました。

生まれたばかりの子は宇宙人、2〜3ヶ月して表情が出だすとかわいいよーと聞いていましたが、すでに可愛い。溺愛。

思い返せば、胎動を感じた時点で可愛いと感じる異常さだったので、そりゃ可愛くない訳がないよね。てことはこれから先、もっと可愛くなるというのに、自分はどうなってしまうのか…もうすでに我が子が結婚して出ていくことを思うと涙が出そうです。

そんな親バカぶりはさておき、こんなかわいい娘を産んでくれた嫁ちゃんには感謝してもしきれません。

せっかくなので、この時の1日を記録に残しておきます。

***

娘が生まれた12月末の土曜日の朝。

いつも先に目覚める私は隣で眠る嫁ちゃんの顔を見ながら、小さな幸せを感じていた。というのも、嫁はちょうど1週間前まで切迫早産で入院しており、一人での生活が約1ヶ月ほど続いたからである。

嫁を眺めていても退屈なので、いつもの如く9時やでーと言ってカーテンを開け嫁を起こす。嫁は鬱陶しそうにスマホを眺めながら、まだ7時半やんと再び眠りにつく。それでも負けじと私は窓を開けて応戦する。この日は上空に寒気が流れてきており、大阪でも珍しく雪が舞っていた。

雪降ってんで!とはしゃぐ私に、せやな〜と眠そうな嫁がわざわざ答えてくれる。こんな何気ないやりとりが、結構好きだったりする。

この日は嫁の両親が我が家に遊びにきた。一緒にご飯を食べに行くため、両親の何食べたいというリクエストに嫁が「ハンバーグ!」と即答。この1週間ずっと言ってたもんね。笑 念願のハンバーグを食べ、なんならパフェも食べてご満悦の嫁。幸せそうな顔を見ている自分が幸せになる。

食事の後は西松屋に両親の車で買い物へ。生まれてくる我が子のために、最後の買い出しへ行ってきた。これでいつ生まれてきても万全な状態まで整えた帰り道、嫁がお腹が痛いと車の中で蹲った。その日までも何度も前駆陣痛は起こっていたので、その時はまたきたな〜くらいの感覚だったが、いつもより痛みが強そうである。家に着いてからも腹痛で40分ほど車の中で動けずにいた。あまりにも動けなかったので、なんとか家まで歩いてもらって横になると、落ち着いたようだった。

この時点で時刻は16時。

さすがに心配した義母はしばらく様子を見ていたが、1時間ほど経過しても落ち着いていたので、帰ってもらうことに。

しかし、18時頃にまたお腹の痛みが。いつもより苦しそうな嫁。さすがの私もいつもと違う気配を感じたので、事前に準備していた荷物の最終確認と連絡先の確認、そして、晩ご飯を急いで腹へ押し込んだ。

定期的とまでは言えない陣痛。電話するかどうかの判断に悩んでいたが、18時半頃にプツンという音が。今、音なったよな?と二人で顔を見つめ合うが、感覚的には破水していないらしい。でも、不安がっていてもどうしようもないので、お腹が痛くない間に病院へ連絡。でも、陣痛が定期的でないため、看護師さんもきてもらうかどうするか悩んでいた。

そうこうしている間にも陣痛に襲われる嫁。最悪の事態にそなえ、出発の準備を整え、この日のために登録しておいたカーシェアを予約した。看護師さんも判断に悩んだようだが、万一のことを考え来てくださいとの連絡に、急いで車を取りに行く。車を取ってきて部屋まで戻ってきた私に嫁が破水した!との報告。

この時点で時刻は19時。

かなり動揺しつつも急いで車に乗り込み、冷静さを保つよう自分に言い聞かせながらの運転はもう味わいたくない。笑

病院へは19時20分ころについただろうか。嫁の入院中、何度も訪れた甲斐もあり、夜間対応口へはスムーズに連れて行けた。顔見知りの助産師さんが現れた時、どれほど安堵したことか。

妊娠当初から立ち合い出産を希望していた私。コロナ禍ということもあり、立ち合いは生まれる直前から、産後2時間までとのことだった。LDRと呼ばれる分娩室の前で待っていると聞こえてくる嫁の声。すでにそれだけで泣きそうになっている。

20分くらい待っただろう。思いの外、早く部屋の中へ呼ばれた。

切迫早産がアドバンテージとなり、20:08には子宮口全開。がんばる嫁を前に何もできない自分。男って本当に無力だなーと思いつつ、ただただ手を握って水を飲ませることくらいしかできなかった。途中、助産師さんがこれで奥さんを煽いであげてくださいと持ってきてくれてうちわが、個人的には旦那必須アイテム。役割を与えてくれるだけで、無力感が少しは和らぐので、立ち合い出産される方は、うちわを持っていくことをお勧めします。

順調かと思えたお産も、2時間を過ぎたあたりから少し雲行きが怪しくなってきた。2人体制で嫁を支えていたお産チームも、コソコソと何か打ち合わせている。嫁の体力がなくなっているのは一目瞭然だった。

これは長くなるのかなーと、覚悟をしていた矢先、見るからにゴッドハンドな先生が、子分を引き連れぞろぞろやってきた。何が始まるのかとおどおどしていた私とは違い、嫁はこれで終わりが近づいたと確信したよう。ゴッドハンド先生が、いろいろ解説してくれたが、簡単にいうには、後3回痛みがきたタイミングで赤ちゃんを出しますとのこと。何そのかっこいい宣言。常に穏やかに、かつ、自信に満ちた話し方の先生に惚れてしまいそうになった。私には気分が悪くなれば退室してもいいよとの配慮までしていただいたが、嫁ちゃんが頑張っているので、出ていくわけには行かない。てか、出て行きたくない。ただ、ね、生々しいシーンは目を逸らしてたけどね…

そして22:47。

先生の宣言通り、3回目の波で無事出産。もう、この時点で涙腺崩壊よね。ただ、生まれたばかりの我が子が泣かない… 父が泣いているのを見てドン引きしたのだろうか? 不安をよそに小児科チームがすぐに対応してくれる。いろいろ管は付いたものの、なんとか嫁は産まれてすぐの我が子を抱かせてもらっていた。

夢にまでみた、我が子との対面。嬉しさ極まりないよね。

人生で一番幸せな日を挙げるとしたら、間違いなくこの日だろう。

本当にありがとうと言っても言い切れないほど嫁には感謝したいし、この日を忘れないようにしっかりと記録に残しておきたい。

産まれた我が子はすぐにNICUに連れて行かれたが、順調に回復し、管は外されていた。さすが我が子。回復力はお父さん似だね。

これからどんな未来が待っているかわからんけど、自分の命に変えても守りたい人がもう一人増えてしまったね。

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