【出産レポ】家族が増えました【妊娠37週】
ついに、産まれました!!!!!!!
とっても長く感じた妊婦生活。急遽入院することになったり、突然退院することになったり、とにかくばったばたな妊娠後期でした。
でも、無事にお産も終わって自分の身体も回復してきたので、忘れてしまう前にわたしのお産体験について、記録に残しておこうと思う。
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その日は土曜日だった。切迫早産と診断されたわたしだったけれど、もう妊娠36週を超えたから退院の許可が出て、初めての週末だった。
実家から父と母が荷物を届けに来てくれて、一緒にランチをして、西松屋で新生児期に必要なものの最終チェックをしていた。
そんな日中を過ごし、自宅に帰る車の中、なんだかどうも下腹部がしくしくと痛むようになった。ここ数日そんな症状がずっと続いていたから、前駆陣痛かな?と呑気に構えていたのだけれど、その痛みは全然マシにならない。
30分ほどの痛みが続き、2時間空き、そしてまた30分ほどの痛みが続いた。ネットで検索しても、こんな感覚で陣痛がくるなんてどこにも書いていない。とりあえず様子を見ようということで、お家でごろんと横になる。
そうしているのも束の間、今度はまたお腹が痛み始めた。今度はしくしくなんてレベルじゃない。思わず声が出るほど痛い。気が付けばその痛みは15分間隔になっていた。これは、もしかするかもしれない。
ひとまず食べられる時にと思って、痛みの隙間で夕飯のキムチ鍋をなんとか食べる。すぐに病院に行ける荷物はもう準備してあったので、毛布だったりゼリーだったりを旦那さんがカバンに詰め込んでくれた。
夕飯を食べているうちに痛みの間隔はどんどん短くなってくる。病院に電話をかけた時にはもう6分間隔だった。
「陣痛始まってると思います。すぐに病院に来てください」
電話を切って数分後、急にお腹の中でプツンと音がした。旦那さんがさすってくれていたタイミングだったから、2人で「おや…?」となった。
とりあえずおトイレには行ってみたものの、特に何も変わったことはない。相変わらずお腹は痛い。
病院に向かうため、急遽予約したカーシェアを旦那さんが取りに行ってくれた。わたしは病院に向かう前に最後にもう1回おトイレに行こうと立ち上がった。その瞬間、何がしかの液体が足元を伝った。
破水だった。おぉ、ついに来てしまった。びしょびしょになってしまった下半身を見ながら、頭は意外と冷静だった。
そんなタイミングでちょうど戻ってきてくれた旦那さんに産褥パッドを取ってもらい、破水したことを病院に電話で伝え、車に乗り込んで向かった。
助手席を背もたれをフルリクライニングにしてもらい、数分おきにくる痛みに叫びながらもだえる。病院まではそんなに時間がかからないはずなのに、その道中は永遠に感じた。ずっと旦那さんが「もうすぐやからな!」「がんばるんやで!」「もう着くからな!」って声をかけてくれていたことはうっすらと覚えている。あんなに呻いていたわたしを横に乗せ、冷静に声をかけ運転して病院まで届けてくれた彼には感謝の気持ちでいっぱい。
病院に到着し、ストレッチャーに乗せられ、そのまま分娩室に入った。
「もう病院につきましたよ~。大丈夫ですよ~」
出迎えてくれた助産師さんは、わたしが1週間前の退院の時に最後まで見送ってくれていた方で、見知った顔だったことにものすごく安心した。
この時点で、子宮口はまだ4,5センチ。もともと切迫早産で2,3センチ開いてしまっていたので、こんなに痛い思いをしているのにまだそこまで開いていないことにちょっとショックを受けた。
分娩台の上で手すりにつかまり、必死に痛みに耐える。数分おきにやってくる陣痛の波が痛くて痛くて仕方がない。子宮口の開き具合を見る度に入れられる器具も気持ち悪いし、いつまでこの状況が続くのかと、この先を考えて軽く絶望しそうになった。
ところが、案外あっさりと子宮口は全開になる。その時間、病院に運び込まれてわずか40分。初産とは思えないスピーディーな開き具合。この時ばかりは切迫早産ですでにアドバンテージがあったことにちょっとだけ感謝した。
彼が分娩室に呼ばれ、立ち会ってもらえることになった。「彼が呼ばれたということは、きっとそんなに時間かからないうちに出てくるにちがいない!」そう心の中で少し期待してみたりした。
ところが、しんどいのはここからだった。
押し寄せてくる陣痛。その度に力をいれて踏ん張るものの、いくら踏ん張っても全く赤ちゃんが出てくる気配がない。分娩室から1人また1人と看護師さんや助産師さんの人数が減っていく度に「これは時間かかるやつ…」と再び絶望しかける。
そして、いきみ続けて2時間が経過した。
お腹の中の赤ちゃんはどうやら恥骨が邪魔をして上手くおりてこれないらしい。このままいきみ続けてももうわたしの体力が持たない。どれだけいきんでも何も進まず、悶絶するほどの痛みだけがただただ続いた。
「吸引分娩に切り替えましょう」
どうやらそういうことになったらしい。わたしの頭はぼうっとしてもう何も考えられないし、とにかくこのお産が終わるのであれば何でもいいから早くやってくれという気持ちだった。
数分後、どやどやとたくさんの人が分娩室に入ってきた。何やら大変なことが起きそうな雰囲気だったのだけれど、この時のわたしは「これだけ人数が来たってことは、いよいよクライマックスが来たな」なんて考えていた。ただただ早く終わってほしい、そんな気持ちでいっぱいだった。
そんな中、ベテランっぽいお医者さんがこんな感じのことを彼に言っていたのがなんとなく聞こえてきた。
「今から結構壮絶な場面になります。無理して見なくてもいいですからね」
一言一句覚えているわけではないけれど、これを聞きながら「そうか~これから壮絶な感じになるのか~」とどこか他人事だった。
のも束の間、本当に壮絶な感じになった。ついに会陰を切開され、何かしらの器具がお腹に入る。赤ちゃんの頭に器具が装着され、陣痛が来たと同時に引っ張られる。下からは引っ張られ、お腹は上から押され、わたしは精一杯いきむ。それでもなかなか出てこない。もう、痛いという感情を超えた。
そして同じ動作を繰り返すこと3回目。何かがお股からどぅるんと出たのを感じた。言葉を選ばずに言うならば、ずっと詰まっていたでっかいうんちが出たような感じ。
「おめでとうございます!」「赤ちゃん出ましたよ~!」
そんな声が周りから聞こえてくるけれど、疲労と痛みで意識もうろうなわたしは、それに応える気力すら残っていなかった。
産まれたばかりの赤ちゃんは、産声をあげていない。普通ならここで「あれ?」って不安になるんだろうけれど、吸引分娩になった時点で小児科の先生もかけつけてくださっていて、分娩室には相当の人数がいたから、「こんなに人いっぱいおったら大丈夫やろ。それよりわたし、めっちゃしんどい」の気持ちでいっぱいだった。
その後、胎盤を出すのでも悶絶し、そして切開された会陰を縫合されるのにも悶絶した。とにかくひたすらに永遠に痛い。
そんな時「ふぎゃっふぎゃっ」と聞こえてきた。ちょっとだけ泣き始めたらしい。かわいい気がする。
その後、生まれたての赤ちゃんがお胸のところにやって来た。感動のご対面、というより、やっと終わったという気持ちが強かった。「ありがとう」「よぉ頑張ったな」と彼は隣で鼻をすすっていた。
産まれてすぐうまく呼吸ができなかったこと、吸引分娩で頭に大きなたんこぶが出来てしまっていたことなどから、その後赤ちゃんはNICUに入れられることになった。
一方わたしはというと、もう分娩台から一歩も動くことが出来ず、ただ横になるしかできなかった。分娩時、水分を取るべきだってわかっていながら、とってしまうと吐き気がしていきめないことから水分補給を断り続けた。とにかく早く終わってほしい一心だったのだけれど、そのおかげで脱水状態になってしまい、お産時に大量出血したこともあってその後数時間にわたって高熱にうなされ続けた。
分娩から5時間後、夜中の3時にようやくストレッチャーで病室に運ばれたけれど、高熱がしんどすぎてその日は全く眠ることが出来なかった。
分娩所要時間、約5時間。この数字だけ聞くと初産とは思えないスピード出産だったけれど、もう二度と経験したくないと思えるほど壮絶な体験だった。自分が吸引分娩になるなんて思ってなかったよ。
全身は筋肉痛で、お股は痛くって、身体はもうぼろぼろ。お産した後も立てないし歩けないしお尻痛いから動けないし、トイレ行くのも怖いし、もう何もかもが想像以上に過酷だった。
分娩から数日後に出てきたお祝膳についていたハガキに『人生で一番の大仕事、お疲れ様でした』って書かれてあって、本当にそうだよ~~~~って思って泣きそうになった。
ただ、産まれてきた赤ちゃんはとてつもなくかわいい。頭を引っ張られて産まれてきたから、ちょっと頭伸びちゃってたり、赤くなっていたりするけれど、そんなの関係ないくらいかわいい。何をしててもかわいい。か細い声で控えめに「ふぎゃ」「ふぎゃ」って泣いてるのとか、もう愛らしくてたまらない。
これからどんな未来が待っているのだろう。
妊娠出産が辛すぎてもうこりごりって思っているんだけど、わたしも数年後には忘れてしまって「もう1人産もうかな」ってなってるのかな。
とにかく、無事に産まれました。それだけでもう何より。
これから先の未来のことは、未来のわたしに託すとして、今はゆっくり休みます。
おつかれさまでした。
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