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少し、離れてみたから

山陰の旅から、京都に戻ってきた。

久しぶりの京都。旦那さんのお家。ここはもう自分のお家というような気がしているけれど、一緒に住んでいるわけではないからやっぱり旦那さんが住んでいる京都のお家。

結婚してから、京都と東京の遠距離生活ではなくて、京都と東京のに拠点生活として自分の中でとらえようとしていたのだけれど、やっぱり京都に住んでいるという感覚にはならない。この地がホームと感じるためには、やっぱり定期的に訪れるんじゃなくて、住まなくちゃいけない気がするなぁ。

連休の最終日はゆっくり過ごすと決めていた。お昼から雨が降る予定だったから、まだ太陽が見える良いお天気だった午前中のうちに河川敷をぐるっとお散歩デートしてみたり。きれいな菜の花がわっと咲いていて、気温も、吹く風も、なんだか春の陽気で。菜の花ばかりかと思えば、良く見ればオオイヌノフグリやタンポポにシロツメクサ、つくしなんかもあったりして。
そういえば小学生の頃って、そんな四季折々の植物を見ながら登下校していたな、なんて思ったり。社会人になった今は、季節の移り変わりに心を傾ける余裕もなくて、気が付けば毎日が過ぎ去っていっているような気がしている。あっという間に時間が過ぎてしまって、1年が終わって。そうやって年を重ねるにつれて、1日の移り変わりや、1年の移り変わりにどんどん鈍感になってしまっている。

山陰の旅に出て、最終日に京都に戻ってきて感じたのは、そんな当たり前の自然の移り変わりに心を傾けられるような、余裕のある生活がしたいなということ。

今日はこの後夜行バスに乗って東京の自宅に帰るのだけど、やっぱり大都会東京で会社員として働いていると、そういうことが出来なくなるな、なんてちょっと危機感を覚えてみたり。

ずっと同じところにとどまっているんじゃなくて、旅に出るからこそ気づけることってたくさんある。

今の自分の良いところ、悪いところ。今の環境の良いところ、悪いところ。

全部を良く捉える必要なんてないし、かといって全てを否定する必要もない。

何が自分にとって最適で、何をどれだけ取り入れれば居心地の良いと思える生活ができるのか。そういった自分の思う心地よさを見つけられることってすごく大切だと思うし、それを考えることが出来るのは、いつもの日常から離れている時なんだと思う。


長かったような、短かったよな、充実した週末でした。楽しかったな。


今日もおつかれさまでした。



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