見出し画像

1番は、正義だと思っていた。

1番を取ることが正義だと思っていた。

なんでも、挑戦するなら、どうせやるなら1番が良いと思っていた。

なぜなら、周りがそれを望んでいたから。1番を取ることで喜んでくれる人がたくさんいたから。

わたしがまだ幼かったころ、テストで良い点数を取ることや、リレーの選手に選ばれることや、部活の公式試合に勝つことで、「よくがんばったね」って褒められてきた。
学年で1番を取ると、普段は褒めたりなんかしない父が「よぉがんばった」と言ってくれるのがすごくすごく嬉しかった。

だからわたしは、1番になりたかった。

1番になることは、正義だと思っていた。



そんな考えが、社会人になってガラリと変わってしまった。

1番なんて、本当に目指さないといけないものなんだろうか。無理をして1番を取ることよりも、自分が納得いく形でこなしていくことの方が大切なんじゃないか。そんな風に思うようになった。

今までのわたしが1番になりたかった理由は、周りにあった。自分の身近な大切な人に「すごいね」のご褒美がもらえるから。判断基準は、わたし以外のところにあった。

それが大人になって環境も変わって、身近な誰かに「すごいね」って言ってもらえるよりも、自分の納得感を大事にするようになった。
だから気づいた。


あ、わたし別に、1番なんて興味なかった。


もちろん、どんな勝負にも絶対に勝ちたいって人もいると思うし、何が何でも1番を取りたいって人もいると思う。世界一の〇〇になりたい!って言って目指している人だって、わたしの周りにはたくさんいる。とてもすごいことだと思う。

でもわたしはそんな風には思えない。

1番になるために全てを犠牲にすることなんてできないし、勝つことだけにこだわって行動することなんてできない。多分、優先順位というか、わたしが大切にしたいのって、たったひとつの結果じゃなくて、それまで積み重ねてきた過程だったりとか、努力だったりとか、そういうものなんだと思う。

色んな努力を積み重ねて、その先にあるのが1番だったらきっといいんだと思う。それが理想だと思う。自分の目指している何かをかなえるために「1番になる必要がある」のであれば、1番を目指せばいいのだと思う。でも、そうじゃないのであれば、なんのために1番になるのだろうと思ってしまったりもする。「1番になることが目的」になるのは、ちょっとちがうと思うんだよね。


自分が営業として仕事をしていく中で違和感を覚えるのも、きっとそういうところなんだと思う。自分の今月の売り上げ目標のために、今稼働しているネタを今月中に入れ込むためにはどうすればいいのか。ちょっと無理をしてでも月内着地させるためにはどうしたらいいのか。そんなことを考えるたびに、そんなに今月の売り上げが大事なのか、とか、もっと目の前のお客様の未来の方が大切なんじゃないのか、とか、考えてしまう。
ま、そんなことで悩む必要もないくらい、自分自身が余裕で達成していればいいだけの話なんだけどね。仕事だからね。

とにかく、1番をとることは全然悪いことじゃないと思うし、1番を取れる人が本当にすごいと思う。

でも、大事なのは1番を取ってどうしたいのかとか、何のために1番になるのかとか、そういうのだと思う。

わたしは今の仕事では、正直1番になってどうしたいとかはあんまり考えられない。だから別に1番になりたいなんて思わない。ただ、任せて頂いている今のお客様はとても大切にしたいなって思うし、きちんと貢献したいなって思ってる。その部分と、社内で1番を取ることは、あんまりイコールには考えられないから。


こんなことを書いていると1番を目指している誰かを否定するつもりは全く無いから、誤解されないかちょっと不安なのだけど。

とにかくわたしは常にファイティングポーズをとってよっしゃやってやるぞー!かかってこいよー!1番取ってやるぞおりゃー!みたいな感じでメラメラすることは性に合ってないんだ。

でも、ゆっくり地盤を固めながら、「わたしはこんな感じですよー」ってじっくりじっくり戦っていきたいなって思ってる。

じゃないと多分、noteの毎日更新なんてできないね、きっと(笑)


自分らしく、やってこ。



今日もおつかれさまでした。





#日記 #エッセイ #ひとりごと #あやめしのひとりごと #まいにち日記部 #どっころまいにち日記部 #dotcolony #今日のあのね #毎日更新 #毎日更新倶楽部 #268日目

サポートいただいた分は、なんだかちょっとときめくものとか、心がうきうきするもののために使わせて頂きます。それをまた、noteに書いてみなさんにお裾分けできればいいなって思ってます。読んでくださってありがとうございます。