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「もっともっと」って、思ってしまう

もっと優しい言葉を紡げるようになりたい。

心にすっと入り込んできて、そして溶けるような。

素敵な文章を書く人は本当にたくさんいるし、目指している人だっているのだけど、わたしなんか全然足元にも及ばなくって。

わたしらしい文章ってなんだろうとか、自分が表現したい世界ってなんだろうとか、定期的に考える。だけど、考えれば考えるほど、なんだか沼に落ちてしまうような気がして。

色んなところを気にし始めてしまうと、わたしはとたんに文章が書けなくなってしまう。

どれだけの数読まれたとか、どれだけ反応が来るようになったとか、フォロワーの数とか、そういうのを気にするほど、なんだか書けなくなってしまう。たくさんの人に読んでもらったnoteの次の日とか、本当に書きづらいなとか思ってしまう。

たくさんの人に読んでもらいたい気持ちもある。せっかくまいにち書いているんだもん。こうして自分の中から生まれてきた文章を、一人でも多くの人に読んでもらえたら、そんなありがたいことはないな、なんて思うのだけど。でもやっぱり、それを気にし始めてしまうと、わたし100%の文章って、書けないなぁという気がしていて。

自分が自分のために書いているというスタンスを崩してしまうと、自分じゃない別の誰かに向けた何か伝えたいメッセージ、みたいになってしまうと、とたんに身構えてしまう。

だから、文章を書くことをお仕事にしている方々は本当にすごいなって思う。

わたしはまいにちこうして書いているだけで、精一杯の日だってあるのに。


まいにち更新を続ければ、せめて1年以上続いた時には、もっと自分の文章に自信を持てるようになるかなって思っていた。でも、500日以上たった今でも、なんだかそこに関しては全然だった。

書く習慣はついたし、まいにち書かない方が違和感を覚えるぐらいにはなっているのだけれど、自分が生み出す文章については、やっぱりどうしても「これでいいのだろうか」「こんなんで大丈夫なんだろうか」って思ってしまう。

自分の文章を自信を持って外に出せる日は、果たしてくるのかな、なんて思ったりもして。いや、note書いてる時点で外には出しているのだけど。


「わたしらしく」「自分らしく」「マイペースに」って思っている。このnoteは自分のために書いているわけだから、その姿勢は崩したくないって思っている。

でもそれって、苦手なことから目を背けているだけなのでは?なんて思ったりもして。誰かに向けたメッセージとか、自分のため以外に文章を書ける自信がないから、あえて「自分のために書いています」って公言している、所謂「逃げ」なのでは、なんて思うことも。


こうしてまいにち綴っていると、色んなことを考える。自分に対して嘘がつけなくて、いつもそのままの感情が文章として外に出る。

ひとまず今は「逃げ」でもなんでも良いから、やっぱり文章を書いていたい。こうして日々感じたことを、文章として残しておきたい。

粗削りだけど、なんて前置きをする度に「保険かけてるなあ」なんて思う自分もいるのだけど、そんな自分のことも全部ひっくるめてちゃんと認めてあげたいな。


いつかもっと、自信を持って文章を書けるように。

今のわたしに出来るのは、色々思い悩みながらも、それを文章に残しておくことだから。


成長したわたしが、振り返ってこのnoteを読んだとき「あの時のわたし、確かにこんなこと考えてたな~」って笑えるようになってたらいいな。



そんなわけで、今日もおつかれさまでした。



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