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メディアリテラシーと「難しい」問題

情報って取捨選択しなきゃいけないな、とつくづく感じている。

noteだって、全部が全部読めないなと思っていて。
わたしがフォローしているのは興味のある人だったり、読みたいなと思う人たちばかりなのだけど。それにわたしはnote課金勢なので、気になるクリエイターさんの有料noteだったりも、気になるものであれば躊躇せずに購入だってする。

購読しているマガジンもいくつかある。これは全部無駄遣いなんかではなく、自分の知的欲求を満たすための必要経費なんだって思ってる。

でも、そんな有料マガジンの中でも、自分の中で「あ、これは今じゃないな」と思うものに出会うこともあって。書いてある内容はとてもためになる話だったりするんだろうけど、今のわたしに必要な話なのかと言えばそうじゃないなって思ったりすることもあって。

そういう、今の自分に不必要な情報に時間をとられないようにするために、取捨選択する能力ってすごく大事だと思ってる。

特に、今は調べれば何でも情報が手に入る今だからこそ、全ての情報をキャッチして、全てに目を通して、全てに対して自分の見解を述べるなんてことは絶対にできない。

小学生の頃の国語の教科書に「メディアリテラシー」って題名の文章があったこと、今でもしっかり覚えている。あの頃は初めて見るこのカタカナに対して、なんだかおかしな言葉だなあなんてぼやっと思っていたけれど、今となってはすごく必要な知識だったんだなってことが分かる。


同じ"読む"という行為であったとしても、「知的好奇心を満たすために読む」なのか「なんだか癒されたいから読む」なのか「新しい情報を得たいから読む」なのか「この書き手に興味があるから読む」なのか、全て違っていたりする。だから、その目的に応じて何を読んで何を読まないのか、その判断を瞬時にして文章を自分の中に取り入れている。

その判断基準は感覚的なものだから、言語化するのは難しいのだけれど、今のわたしはうまい具合に取捨選択ができているんじゃないかなって思ってる。


余談だけど、"言語化するのが難しい"って、一種の甘えなんじゃないかと思ってる。自分で言っときながらあれなんだけど。
苦手だった文章を書くことに慣れたいから、っていうのがわたしがnoteを継続して書き続ける理由のひとつにあるのだから、難しいって言わずにちゃんと言語化して書く努力をしろよって、心の中のもう一人のわたしが言っていたりもする。

いやあ、「難しい」ってよくない言葉だなあ。その一言だけで思考が停止しちゃうんだもん。「難しいなあ」なんて思ってしまった時には、「まぁ難しいから仕方ないか。いっか」みたいな気持ちになってしまうもん。

思考することをやめてはいけないなって思う。ちゃんと考えないと、いろんなものが衰えていってしまうような気がするから。

「難しい」に逃げないようにしよう。



今日もおつかれさまでした。




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