私という「弱さ」について考える。
お久しぶりです。大変なことが重なっておりました。
色々あって自分を見つめ直す時期かなと思いまして、今後どうするか等考えています。
という訳で、今回のテーマは「自分の弱さ」。
始めに言っておきますが、これは自己嫌悪とか自虐とかそういう事ではありません。
実際、私は発達障害を複数抱え、酷いうつ病だし身体も弱いし毒親に虐待されて育っているが故に自己肯定感はあまりない方です。
ただただ、自分の弱さについて改めて客観的にみてより良い自分に出来たらなという思いで書いていきます。
刺さる方、共感出来る方は是非反応してください。
私の弱さ、それは『自分をまとめられないこと』だと考えています。
というのも、私は目標というものがはっきりしていません。
私の生きる上でのモットーは、謙虚であることです。
何事も主観と客観を忘れずに様々な視点から物事を観るようにしています。
人にはそれぞれ個性があって、考え方も人によって変わります。
だから私は色んな人を観察して分析する癖がついています。
例えば、コンビニで買い物する時にレジ待ちの列が長いのにレジが1人しかいない時。
何故レジ応援を呼ばないのか、イライラする方も多いと思います。
私も実際急いでる時などはイライラする事もあります。
そういう時に、コンビニ店員さんの気持ちになって考えてみれば。
ワンオペだったり、もう片方の店員さんが休憩中だったりする事だってあるわけです。
そうであれば、店員さんに怒ったりするのもお門違いなわけですよね。
これはほんの一例に過ぎず、私はいつもこの客観的視点を忘れずに心がけています。
そしてもうひとつ。
私は"人に褒められること"に慣れていません。
そして、"自分を褒めること"も滅多にしません。
これには理由がふたつあって、ひとつはろくな成功体験をしていないことがあります。
私は発達障害を複数患っており、幼少期から虐待やいじめにあい塞ぎ込んでいた過去がありました。
大人となった今でもやはり仕事での失敗も多く、上手くいかないことも多いです。
もうひとつが、自分は褒められるとすぐ調子に乗る性格だということ。
私は褒められたりおだてられたりするとすぐ図に乗って失敗してしまう傾向にあります。
自意識過剰になりがちでそういうところが墓穴を掘ってしまうのです。
そういった自分の特徴を理解しているが故に、自分を褒めるということを滅多にやりませんし人に褒められても謙遜してしまいます。
私は自分で言うのも何ですがかなり上昇志向が強いです。
例として私は仕事としてトラックに乗り続け8年。
一般的にはベテランと呼ばれる年数ですが、私の周りには何十年も乗っている大ベテランさんが多い中で経験値としてはまだまだヒヨっ子だなと思ってしまうわけです。
私は経験値に勝るものは無いと考えているので、兎に角何事も取り組むことが大事と意識しているのです。
ただ、それが私の「弱さ」でもあると最近実感しました。
努力することはたしかに大事ですが、実績と経験を重視するあまり自分を大切にするということが出来ていなかったのです。
実際に身体を壊してしまいましたし、精神的にもかなり限界が来てしまっていました。
私の考え方が間違っていたとは思いませんが、自分を大事に出来ていなかったことは大きな過ちだと今では反省しています。
謙虚に生きることが目標だった私。
ですが、このように自分を壊してまでやり続ける姿勢は紛うことなき虚勢なわけです。
謙虚を謳っておきながら、自分の身の丈にあった姿勢で取り組むことが出来ていませんでした。
記事のはじめで私は「目標がはっきりしていない」と言いました。
確かに私には夢はありますが、その夢はあまりにも大それているからただただ精進あるのみだと考えてただ突っ走っていただけなのです。
私は発達障害を複数患っているうえ、身体も弱いのでそこまで出来るポテンシャルは無かったようです。
いや、言い換えればそのポテンシャルを養成するやり方を間違えたのかも知れません。
私は謙虚をモットーにしていつつも、根は負けず嫌いで自分に嘘をつき続けていました。
障害者らしく生きろと言われたのが物凄く嫌で、ただただ見返してやるって気持ちだけで根性だけで毎日駆けずり回っていました。
自分が障害者であることを言い訳にしないで前だけを見つめ続けようと、ただ突っ走るだけでした。
謙虚とは、ちっとも言えませんよね。
自分の持てる実力をわかっている筈なのにそれを受け入れずそれ以上を求め続けていたのです。
確かに、私の過去はそれなりに壮絶なものなのかも知れません。
発達障害を持って生まれて、理解のない両親にモラハラ虐待を受け続け、学校ではいじめられリンチを受けたこともあります。
同じ境遇に遭っていた仲間が一斉に自らこの世を去ったという過去もあります。
それ故に私はどうしてもこの世が許せない気持ちになりました。
何の罪もない子供が、心の傷は見えないことをいい事に虐げられている。そしてその子を持つ親は、愛情を言い訳にすればどんなに傷つけても許されてしまう。
どうしてもそれが許せなかった。
だから私はただ苦しんで後ろを向いてばっかりだった自分に見切りをつけ、努力するようになりました。
障害者でありながらクローズドと言われる一般雇用枠で仕事をしたり、さらにそこから副業を複数こなして兎に角自分を成長させようと必死でした。
仕事で一緒になった元医療従事者の方に境遇を何となく話したら、「生きてるだけでも奇跡みたいなものなに、普通に仕事してるだけでも凄い」と褒められることもありました。
そこでも私はこう返しています。
「人と比べるのはあまり好きではないけど、それでも自分よりも酷い境遇で育ってもなお有名になってる人だって幾らでもいます。だから自分なんてまだまだですよ」と。
…
確かに努力するということはとても大事です。
ただ、思い返してみればそれはただの虚勢。
ただ自分に嘘をついて自分を痛めつけていただけでした。
これこそが、私の弱さです。
自分をまとめることができない、つまりそれは言い換えれば何もかもが中途半端だということ。
それで何かが成し遂げられることなんてあるわけがありません。
見返したいだとか、そういう身の丈に合わない目標だけを掲げて暴走していただけでした。
こうして、自分の弱さをみつめること。
すごく大事なことだと思いました。
これからは私はできる限り自分を大事にしようと思いました。
謙虚というモットーはそのままにしますが、かといって身の丈に合わないことをいつまでも追い続けることはやめようと思います。
私は障害者らしく生きろと言われたことが何よりも嫌でした。
だからそれを受け入れられなかった。
けど、受け入れ方を変えれば良いんだなって自分を見つめ直していてそう思いました。
私はべつに有名人になりたいわけでもないし、大金持ちになりたいわけでもないのです。
ただ普通の人がやるように、そこそこな家に住めて、そこそこな趣味ができて、そこそこな人生を歩んで。そんな人生を全うできれば良いなと思っているだけです。
だから一生懸命稼ごうと必死になって無理した結果逆に失うものが多くなってしまった。
心から反省しました。
自分の身体ひとつ壊せば成し得るものもなし得なくなってしまうと気付いたから。
だからこれから先は自分の弱さに嘘をつくことなく、且つそれでも自分を大きく見せようとするわけでもなく自身の幸せを掴んで行ければ良いかなと思っています。
私はとても不器用だから、適応するまではとても時間が掛かると思います。けれど、人生というものはいかに自分を分析してそれを伸ばして行けるかというものだと思います。
『敵を知り己を知れば百戦危うからず』という言葉があります。
ここでいう敵とは、過去の自分。
自分の弱さを受け入れられなかった過去、その自分こそが本当の敵です。
そんな不要なプライドを持つ自分と、その自分自身の弱さを知ればきっと前に進めていけることだと私は信じています。
これは、私がつい最近気付いた自分の弱さの話。
けれど、こんなどん底の人生でも受け入れることで何かが変わるんだと気付かせてくれたかけがえのない経験でもあるんだなって思いました。
この世の中は広いです。 私と同じような毒親育ちの方もいれば、本当に心のない虐待を浴びてきた方も、社会に出てから酷いパワハラを受けて一気に心を病んでしまわれた方もいらっしゃると思います。
人の苦しみもまた、人それぞれですが。
私の気付きがまた、誰かの心に刺さって変えられるきっかけになれば良いな。
そう思って、今回の気持ちを記事としました。
輝いていなくたって良いんだよ
受け入れるだけで偉いんだよ
だから、自分に嘘をつくのはやめて。
ありのままの自分を受け入れて
自分を大事に、生きていこう。
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