見出し画像

2年半働いた、Baridi Baridiを卒業します。そして、これから。

こんにちは、小野綾香です。
少し早いですが、2023年5月末をもって、2年半働いたBaridi Baridiを退職します。今日は最終出勤日でした。


ご縁あって、2021年にコロナ禍で第一号社員として入社し、合計5回のタンザニア出張。毎回3ヶ月くらい滞在していたので、足し合わせると合計1年半くらいは、現地で(物理的にも)汗にまみれて奮闘してきたことになります。

たった2年半、されど2年半。

この立ち上げの期間は、なかなかサービスの軸が見えず、かなりハードモードな時期が続いていましたが、今は会社組織としても拡大フェーズに入り、現地タンザニアメンバーにバトンタッチしようと思います。


思い返してみると、
前職で、隣国のケニアから休暇で訪れたタンザニアで、CEOになる前のCEOと偶然出会って3年。

大学院最後の年に、進路に迷いまくった末に、急にアフリカビジネスに興味が全振りして、進路を大きく変えて5年。


再び新たにキャリアを大きく変える一歩にもなりそうな今回の卒業。

まだまだ未熟な自分の成長、ハードモードな時期を応援してくれた、いろんな方々への感謝も込めて振り返ります。



少しでも誰かの共感や頑張るエネルギーになりますように。

  • 日系の海外スタートアップやアフリカベンチャーでの仕事が気になっている人へ

  • 正解が見えない中でも奮闘してる若手の仲間たちへ

  • 私がこれまでお世話になった皆さん、最近どんな感じー?と聞いてくださる方へ。ご報告も兼ねて。


いやいや、そんな体のいいことを言いつつ本心では、

『ちゃんと、確かに、私が生きてきた証を見てくれ!!』

くらいの気持ちです。

2019年、初タンの時。

スタートアップの0-1フェーズって、そうそう、あるあるだよね、と共感してもらいながら読んでもらえると嬉しいです。
すこし長くなりますが、お付き合いください。



私について

私についてよく知らない方、ご無沙汰している方に改めて、自己紹介です。

1994年生まれ、福岡県出身。 大学・大学院では化学・サイエンスの分野を専攻。
卒業後、タンザニアでのランタンレンタルを行う日系スタートアップで現地インターン、途上国の営業支援系SaaSサービスを展開する日系スタートアップでケニア駐在を経て、現在のタンザニアでエアコンサブスクリプションサービスを行うBaridi Baridiに第一号社員としてジョイン。

2021年、自分たちのオフィスが出来たばかりの頃。


入社した経緯などはこちらから。


そもそも、事業について。

Baridi Baridiは、ダイキン工業とアフリカの電力事業を行うWASSHAとの、JV(ジョイントベンチャー)です。

・アフリカで沢山見かける安くて低品質エアコンによる、エネルギーの無駄使いとその高額な電気代
・質の低いエアコン設置工事不良から生じる、環境に有害な有機冷媒漏れによる大気汚染。
これらの社会課題に対して、空調業界という側面から、取り組んでいます。

赤道直下のタンザニアの人達は、エアコンが無い家や店で、汗ダラダラ流しながら、散髪屋をして働いていたり子供や家の家事をして暮らしています。


そんな国で、「世界最高品質のダイキンエアコン」というアセットを使って、低額でのサブスクサービスを届ければ、肌に気持ちいいだけでなく、地球にも低負荷で心地よい風を届けられます。

知ってました?!
最近は、脱炭素経済が叫ばれてますが、地球温暖化には、実はエアコンの有機冷媒(フロン等)の方が、CO2より何万倍も影響力が大きいことを。


BizDev兼Adminの1年目

1人目社員として入社当初の方は、事業検証フェーズが終わったばかり。
ざっくり、サービスの提供の仕方・システム・料金体型のversion_1.0くらいが、見えてきたばかりの段階でした。

これから、タンザニア現地の法人設立を進めながら、オペレーションを小さく仕組み化しようとするフェーズ。

転職をきっかけに神戸に引っ越してきました。初関西住み。

神戸三宮にあるシェアオフィス、4人がギリギリ座れる一室を借り、コロナ禍でタンザニアへの出張が制限される中、「あーしよう、こーしたらいいかもしれない」みたいな話をモニターの前に集まって、よくしていました。(出来立てのスタートアップっぽいw)

ダイキンのエアコン研修で行った銅管フレアカット。
あまりの下手さに教官もびっくり(1番下)。こんなふうにすると、溶媒が空気中に漏れます。

やっていたこと

最初の仕事内容として始めたことは、顧客管理の仕組みづくりとシステム設計やいろんなツールの導入を始めつつ、各自の意思決定がスムーズにできたりシェアできるように、ルールづくりなんかをしていました。

チームとしてできたばかりだったので、POCの振り返りを通して、

・どんなオペレーションや組織をつくるべきか
・そのために、何をいつまでに決めないといけないのか
・どんなチームメンバーを採用すべきか

みたいなことを経営メンバーと壁打ちしたり手を動かしてたりしていました。

タンザニアでやった初回チームビルディング

BizDevとかAdminとか、ポジションがあったというより、やらなくてはいけない雑務やら企画やらを地道にやっていたと思います。


苦労したこと:ゆるゆるな足元を、ゆるゆるなままで、進む。

上記の通り、現地に行かずに日本からできることをやる、という時期。

事業としてビジネスモデルのある程度の型はできていたものの、どのように収益を伸ばしていくか、どんなマーケットをどのように広げていくかは、まだまだ手探り状態でした。

ゆるゆるな沼の中を、ゆるゆるなままで、進んでいく。


もちろん、来月、来週の連続したプロジェクトやタスクはなかった
です。明日、来週にはやるべきことが変わったり増えたりしました。

まだまだ社会人2年目ちょいの頃。周りの同期と比べ、若手キャリアとしてちゃんと積み重なっているのかと、多少なりの不安はあったと思います。

さらに、大企業CVC出資のスタートアップということで、慣れない承認プロセスやルールや部署間の立場の複雑さなど、動きづらさを覚えつつも、<郷に入れば郷に従え>と、日々過ごしていました。

オフィスに自分だけという日もしばしばありました。


工夫したこと:初マネジメントとチームビルディング

その分、新しいチャレンジの機会を沢山もらいました。

ますば、インターンメンバーのマネジメント。
私の会社では、創業期からインターンメンバーを採用して、いろんな業務を手伝ってもらっていました。

大企業ジョイントベンチャーという立ち位置のため、設立当初から様々な社内規定や、書類作業が多々生まれていたので、インターンメンバーにはその総務業務をベースに手伝ってもらいながら、彼らの興味や成長レベルに合わせて、適切にタスクを割り振っていく必要がありました。

優秀なインターンメンバーと一緒に、インターン採用企画。


その頃、まだ社会人経験2年目スタートしたばかり。マネジメント業務は、ほぼ初めてです。
これまでの経験と記事や本の学びをベースにトライアンドエラーの繰り返し。 


  • 1on1用のフォーマットを作って自己レビューの機会を作ったり

  • お互いの期待値レベルを合わせるために、いついつまでにこういう風になってほしいというのを言語化して渡したり

  • 出来るだけ一緒にご飯を食べてコミュニケーションを深めたり。


また、社内のチームビルディングを小さくも頑張っていました。
当初のチームは、元々ダイキン内の各部署から集まったメンバーで構成されていました。全員、過去に一緒に仕事をしたりなど繋がりがあった訳でもなかったため、まずは、

優秀なメンバーの寄せ集め」から、「チーム」

になることが重要だと思いました。

コミュニケーションの質を高めることで、同じゴールを、同じ温度感で目指していきたい。

  • 毎週定例でゴール・ToDo・進捗をシェアする場作り

  • Notionを整備して、各自の業務の見える化

  • 積極的なチームランチ会の開催

  • Slackの個々人チャネルでカジュアルコミュニケーションの促進


当たり前のことばかりですが、皆んなの性格に合わせて、チームを盛り上げて作っていくプチミッションは楽しかったです。

タンザニアで一括採用したときのオンボーディング。
20人くらい一気に入って、会社感が出てきました。

PM兼デザイナーの2~3年目

そんなこんなで半年くらいして、現地初期メンバー20人くらいのオンボーディング企画をやり切った頃、経営メンバーから

『小野さん、PMやってくれない?』


『小野さん、ソフトウェア開発チームのPM(Project Manager)をやってくれない?今外部ベンターをマネージする手が足りなくて困ってるのと、インド人EM(Engineering Manager)の下で、業務を集中してやることで、キャリアとしてもいい一歩になると思う。』

突然でびっくりしたけど、「前職のIT企業の経験も活きるし、何より自分たちのチームを1から作れる!」とても魅力的なポジションでした。
そんな形で、わたしのPM人生がスタートしました。


始めてできたチームメンバーと、まだサーフィンで日に焼けて黒くなる前の私。


キャリアの計画的偶発性(プランドハプタンス)

初めは、ビジネスチームとシステム開発を委託しているパートナー企業との橋渡し。
初期システムのバグや改善点をリスト化し、優先度・要件の業務背景・あるべき形をシェアしたり、完成時のデバッグを行ったりすることから始めました。


開発チームの内製化
並行して、開発チームの内製化をEMと一緒に始めました。今のシステムアーキテクチャ(全体像)と将来あるべきアーキテクチャ像のまとめ、マイルストーンに区切りって経営層に説明、それを実現するタンザニア人エンジニア採用に奔走。

開発メンバーが増えてくると、タスクの洗い出しと優先度のまとめ、納期管理。そうこうしていると、だんだんとアプリの機能改善や社内専用ダッシュボード開発の必要性が見えてくるように。

『小野さん、デザインできる?』

必要性に迫られて、アプリやwebデザインにも、完全に独学で手探りで、足を踏み入れました。


<デザイナーポジションの立ち上げ>
初めは「必要だからやる」という形でのスタートだったのですが、デザインを始めてみると、『どんな仕組みを作れば、人がサービスを使いたくなるか』という、ユーザー体験(UX)を考えるのが好きだったことに気付く、きっかけをもらえました。

Fimaというツールがあるらしいというレベルから、プロトタイプ作成・コンポーネントのガイドライン・エンジニアとのデザインレビューの仕組みづくりまで。最近では、タンザニアの優秀な若手デザイナーも入って、一緒にデザインする機会が増えたので、とても楽しいです。

絵を描くのは上手くないけど、タンザニアの絵画ショップに行くのは好き


目の前のやったことのない仕事(偶然)にもとりあえず取り組んでみるというのは、時々ハッとときめくものに出会うための、近道なのかも。


つらつら振り返って書いていたら、長くなったので、続きはこちらで。もう少し抽象度を上げて振り返ります。いろんな場面であるあるだと思う。


↓次のnote内はこちら。

こんな話してます。

海外スタートアップあるあるで苦労したこと

スタートアップで頑張りつづけるコツ

なんで卒業するのか?

これから、どうするの?

この記事が参加している募集

いいねと思ってくだされば、サポートよろしくお願いいたします。 シェアやお友達に紹介いただくともっとうれしいです!🙇🏻‍♂️