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彼女たちはよく夢を語るので


私について語ってみたい。


■すべてはプリンセスから


遡ること十数年前、プリンセスが大好きな子どもだった。それは単なる崇拝の感情に収まらず、実は自分は隠された皇族の娘か人間の格好をさせられた人魚だと思っていたし、家で掃除をしていれば王子様が迎えに来るとさえ思っていた。そう、自分のなかにこれでもかとプリンセス心を育て続けたのである。

しかし、私はプリンセスではない。多くのキッズたちがそう気づくのに若干遅れをとりつつも、私もその現実を受け入れた。
ここで私のプリンセス人生第1章は幕を下ろした。たしかに掃除は不得意だったし、虫やねずみも実は苦手。それでもプリンセスへの愛好心は簡単には消えない。

そんなプリンセス好きが高じて、私は2つの大きな経験をすることとなった。ここからがプリンセス人生第2章だ。

1つ目は、

・高校創作ダンス部時代のディズニー公演

私にとってプリンセス好きとは、詰まるところディズニー愛でもあった。幼い頃から母に連れられディズニーリゾートを頻繁に訪れ、ディズニー映画を毎日繰り返し観て育った。

高校2年生、部活の幹部学年になった時、私は兎にも角にもディズニーリゾート内で公演したいという思いの丈を部員に話した。部員は賛同してくれた。そこから出演権を巡り、海が一個完成できそうなくらいの汗や涙を流しながら私たちは部活動に身を捧げた。創作ダンスは、曲決めからダンスの振り付け、構成、衣装作り、その全てを部員だけで行う。

ディズニー公演の舞台全体のテーマは「プリンセス」に決めた。4曲のプリンセス映画のテーマソングとその他3曲を用いて、色とりどりのワンピースを身に纏いに、私たちは踊った。
そのなかで私がメインで担当した曲は、映画『美女と野獣』の「beauty and the beast」だった。その理由は、もちろんプリンセス愛。ベル愛。そして、母への気持ちだった。美女と野獣は母が1番好きな映画だった。子どもの頃から憧れ続けたベルになりきり、夢と魔法の国で踊るという夢を叶えた。

2つ目は、

・大学受験

いつからか慶應義塾大学への憧れがあった。三田の昔っぽい洋風な建物に心焦がれた。でも気持ちは漠然。大学受験を目指す同級生の多くが部活動を早々に辞めていくなか、私はダンス部のことで頭をいっぱいにする日々を送っていたし、勉強も得意とは言えなかった。しかし、唯一の救いは、作文が好きだったということ。これなら、慶應の小論文もうまく書けるかもしれないと微かにその期待を胸のうちに秘めていた。

でも、漠然とした気持ちのままではいけないと考えた。
学びたいことを明確にしよう。
そう思い、自分のこれまでを振り返る。

そこで、ディズニー公演の記憶を辿った。振り付けを考える際に、ある気づきがあったのだった。それは、ディズニーアニメーションの『美女と野獣』だけでなく、この世には『美女と野獣』という映画や劇が複数存在すること、それらの原作さえも2つも存在するということだった。

それから俄然、おとぎ話の原作と二次創作の違いに興味が湧きたった。時代や地域によってプリンセス像が変化していること。最近のエンターテイメントではプリンセスはよく戦うし、様々な性指向のキャラクターが登場すること。かつて悪名高く描かれたヴィランズたちの、「悪」の背景を描くことで、正義と悪の境を曖昧にしていること。

面白い!このことについて研究したい!
私の心臓は、プリンセスになろうと努力していた時やディズニー公演を目指した時のように、バクバクわくわくと鳴り出した。

その研究をするなら、文学も社会学も心理学も芸術も学べるところがいい。そんなとき、あの憧れの大学の文学部がヒットした。そこから、いわばプリンセス研究のために大学受験に励んだ結果、私は合格を手に入れ、今は楽しく学びを深めている。

まさに、好きこそが原動力となった2つの体験だ。


■プリンセス人生第3章での夢


プリンセス研究から派生して、エンターテイメントにおける娯楽性と社会性のあり方について思いを巡らせる大学生活。毎晩毎晩、映画を観ながら眠りについている。

大学では主に社会学を専攻していて、この社会で人びとが感じる「息苦しさ」に耳を傾けたり、自分の息苦しさに向き合ったりもしている。自身が感じ続けてきた、にきびというコンプレックスを種に「ルッキズム」という課題について考えるようになり、偏った見方や概念のない社会を創るための ムーブメンとなるようなエンタメを創出したいというのが今の夢だ。

その夢を実現させるため、小説・エッセイ・絵本の執筆や映像制作、ダンスなど媒体を問わず表現というものに挑戦しはじめた。最近では、ライターとしてのお仕事を頂けるようになり、取材に赴いてインタビュー記事を書いたり、映画のレビュー記事を書いたりもするようになった。

誰かに読んでもらう・見てもらうということは、嬉しい。
ただ、その反面こわくもある。

大学の講義で、課題で作文を書いてきてはそれを先生が読み上げ、先生と受講生から感想をもらうというものがあった。
自分の文章を皆が笑いながら読んでくれることや、涙を浮かばせながら読んでくれることに悦びを感じた。
「葵さんの文章を読むと元気になる」
「考えさせられる」
「おもしろい」
その授業や、このnoteで頂く言葉は、すべて私の大切な宝物だ。

不特定多数に読まれるということの責任や、自分が自身に乗せる圧から、表現することのこわさを感じないことはない。
しかし、それでも表現の可能性を信じ、何より表現することで自分も救われているからこそ、私は書くことをやめない。

そして、夢を叶えたい。

どんな形で夢を叶えるかはまだ分からない。
ただ、いつの時代もプリンセスは努力を怠らず、自己だけでなく他者にも想いを馳せ、信じ続けることで夢を叶えるのだ。

だから私も、そうでありたい。
幼い頃から養い続けたプリンセス心が活かされる時がやってきたみたいだ。


ayakaiai

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