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昔の感覚を思い出しかけている

いろんなことが精一杯になって、もう一度自分に立ち返るために2月は自分と向き合うことを最優先にしよう、それで大丈夫、決めた期間でした。

なぜ「決めた」かというと、ほっておくと何か仕事になるもの、知識になることのインプットをしないと、何も勉強していないなんてどんどん自分の価値が下がるんじゃないか、今何をしたらいいかわからないなんて怖い、という本当に執着と不安の塊がどんどん出てきてしまうから。

ということで、内心ドキドキしつつも1月後半からは仕事系の本はできれば買わない、自分の内側のことだけに集中するぞ!と意気込み仕事用に買ったお気に入りのノートに自分のことや気づきをどんどん書いていました。

まだまだ不安定で、すごく気持ちがスッキリしたり安心感があったり、一方でやっぱりこれって逃げなんじゃないかとか何かに置いていかれるような、この先何もないような焦燥感があったり、何もしたくなーいという怠惰感があったり。

そんな中で思い出しているのはこんな風に世界の難しさを知る前の自分の感覚。

私は昔から自分にしか興味がない人間で、みんなもそうだと思ってました。
自己中かっていうと多分そういうことではなくて、自分に対しては自分で決める、他人に対してはその人が決めるからなんでも応援する。
どんな結果になろうが、いいも悪いもない、という感覚。
みんな好きにしてみんなハッピー。
選択したことが苦しかったとしても、受け止め笑って流す、そんなスタンスでした。
実は28歳くらいまでこんな感じできていたので、結構後になってから周りの人の葛藤や迷いなんかを知りました。

コンサルタントに転職してから今に至るまでの約6年間。そのうち後半4年くらいは常に人と自分を比較して葛藤し、苦しみ、再生してはまた苦しみ、という連続。
自分の人生の基本設定がこっちになってきていたのを最近になりふと自覚したところです。いわゆる潜在意識ですね。

とある先輩から、私の本来の性質は前者にあるのだろうけどこの数年はより世界を知るために必要な期間だったんじゃないか、と言っていただきました。
確かに、人の葛藤や苦しみは経験しないとわからない。
わかった気にしかなれないから、本当の理解者にはなれない。
その経験があるからこそ見えてくる世界もある。
本当にその通りだと思います。
あのままだと多分、自分は気楽に幸せなんだけど深いところでは「人」を受け止め理解できなかった。

当時は本当に苦しかったから、こんな経験しなくていいならしたくないよ笑と思わなくもないですが笑

そして、今の感情の波の中で昔の緩やかな自分と最近の自分の間を行き来しこのまま脱皮できるんじゃないかという感覚がしています。

その新しい自分で何をするか、すごくドキドキわくわく。
根底にあるのは、自分も幸せ、他人も幸せ、という感覚。
目に見えることではなく、内側から感じる感覚です。
自分で選んだ「優しい世界」しか知らない感覚。

目先のことを考えると早く現実的に仕事を作らないとという気持ちもありつつ、結局全部うまくいく、私の人生そんなもんだとも思います。

最後に、高校2年生の時に大好きな友達からもらった言葉。
 Everythings will be alright
何かあるたび頭の中でこの言葉ともらった時のことを思い出してます。

この大好きな言葉が、読んでくださった誰かの「大丈夫」に繋がったら嬉しいなと思います。

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