【物語×エッセイ】タイトルは人生#葬

高校1年生の7月。
高校生にとっては、

ついに待っていました!夏休み!

と言わんばかりに、夏休みの話題で盛り上がっていた。


私も、高校生になってから初めての夏休み。
普通だったら、ちょっとは、いや、かなり浮かれてしまうが、
それどころではなかった。


母方のおばあちゃんが亡くなった。


あの夏は、人生で一番忘れられない夏になった。



おばあちゃんは、素敵な人だった。
会いに行くたびに、優しいほほえみで私を迎え入れ、
お嬢様育ち故に、言葉や仕草に上品さがにじみ出ていた。

そして、綺麗な人だった。

私は、おばあちゃんの”おばあちゃん”の姿しか見たことはないが、
本当に綺麗だった。美人だった。
若い頃は相当モテていただろう。


亡くなる1ヶ月前、私は母と妹と共に
おばあちゃんに会いに行った。
おばあちゃんは、肺が弱く、何度も入退院を繰り返しており、
今回は、入院のお見舞いということで、
病院にいるおばあちゃんのもとに訪れた。


病院に行く前に買ったメロンとマネケンのワッフルをおばあちゃんに渡し、
一緒にメロンを食べながら、おばあちゃんは言う

「元気になったらまたみんなでごはん食べに行こうね。」

「うん!」

そう答えて、私たちは病院を去った。


その1週間後、おばあちゃんの容体は急変した。

いくつもの管に繋がれ、目はうつろになり、
細く白かった脚は、パンパンに腫れていた。

母や叔母さんたちは付きっきりで看病をした。

私も看病をする母たちのサポートに行ったり、おばあちゃんに顔を出しに行った。


いつ命を引き取ってもおかしくはない。


そんな状態だった。
母たちも終わりが近いことはわかってはいたが、最後の希望を胸に寄り添っていた。


「おばあちゃんにありがとう、って伝えな。」
母に言われた。
最後だから、
というニュアンスを含んでいた。

「おばあちゃん、今までありがとう。」

泣いた。
自分の言葉が届くことはない。
こちらこそ、ありがとう。
と、あの優しい笑顔は返ってこない。

それでも、
「アリアトウ」
とほほえみ、小さく、振り絞った声が、酸素マスク越しに聞こえた。
そして、私の握っていた手を握り返してくれた。

ああ、まだここに命はある。


だからどうか、嘘だと言って、
また、あの笑顔を見せて、
みんなでごはんに行こう。



しかし、その願いはかなわなかった。



容体が急変してから2週間後、
その日もお見舞いに訪れ、私と妹は家に帰り、
先に私がお風呂に入っていたとき、


「おねーちゃん、おばあちゃん死んじゃったって、」


妹がお風呂のドア越しに、
私に聞こえるようにとショックを受けたことが混ざっているのか
大きく、だけれど、覇気のない声で言った。


「そっか、」

としか言えなかった。
現実が受け入れられない。


亡くなった瞬間、
パンッ
とスイッチが切り替わって、ショックで泣き叫んでしまうと思っていた。

だが、実際は違った。
とにかく実感が湧かない。
上の空。


え、うそでしょ、うん、うそ。

と脳内で独り言をペラペラ話している感じ。
まるで言葉で現実を隠そうとするように。



次におばあちゃんの顔を見たとき、棺のなかで眠っていた。
亡くなる直前は、本当に苦しそうで見ているこちらも胸が締め付けられたが
驚くほどに穏やかで、
ああ、安らかに眠るとはこういうことか
と初めて言葉の意味を理解できた気がした。


「おばあちゃん、会いに来たよ。」
と告げると、わずかに口角が上がり、
あの優しい笑みを向けてくれたように見えた。



亡くなってからも表情が変わることがある。

と、おばあちゃんの葬式を担当したお坊さんのような人が言っていた。



そんなことがあるのか

おばあちゃんは亡くなった後、お化粧を施されていたので
綺麗な顔もあってか、お人形のように見えたが、
人間のあたたかさが残っていたことを感じたと同時に
まだ、おばあちゃんが亡くなったことが信じられなかった。



葬儀は小さな会場で親戚だけで執り行われた。
葬儀に参加することは初めてだったので何もわからず、
ただ言われるがままに立ったり座ったり、
頭を下げて目をつぶったりした。


棺の中に思い出のものなどを入れることができるのだが、
私は手紙を入れた。
その中には、今までの感謝とおばあちゃんのことが好きだよ
ということをしたためた。



その一週間後、火葬が行われた。

火葬も初めてだった。
人が燃える。おばあちゃんが燃えて消えてしまう。
想像できない、いや、厳密にいえば想像したくはない。

まず、最後のお見送りで大きな焼却炉に入る前に別れを告げる。

母や叔母たちは、
いかないでくれ、いかないでくれ
というような顔でおばあちゃんに語りかけ、涙をこぼしていた。

ここが本当の別れだ、いかないでくれ。
と思うのが半分
実感が湧かなかった。
私もおばあちゃんに感謝と別れを告げた。



おばあちゃんに別れを告げた後、私たちは食事をとった。
葬儀のときと同様に、ここでも豪華な食事が出された。
冠婚葬祭というだけある。
寿司に大きなエビフライにメロン。
人が亡くなる、豪華な食事は相反するものだが、
その豪華な食事が、沈んだ心をじんわりと包み込んでくれた。


食事が終わり、少し経つと
職員の人が、おばあちゃんの骨上げの準備ができたことを告げ、
私たちは、先ほどおばあちゃんを見送った部屋へと移動をした。


部屋に足を踏み入れる。



人の骨。



初めて見た。
さっきまでおばあちゃんの体があったことが嘘のように
用意された台には白く細長い骨と箸、壺が用意されていた。


衝撃だった。
小さいころから人体模型や骸骨を見るのが苦手で
理科の授業中は顔を伏せていた私だ。
人は燃えるとこんな姿になるのかと、
皮膚も筋肉も脂肪も残らず、
綺麗に骨だけになってしまう。


親戚と一緒に骨を箸でつかみ、壺に入れる。

お箸はふたりでひとつのものをつかんではいけない。
というマナーがあるが、ここで身をもって理由が分かった。
このときは、ただひたすらに、壺に骨を入れていた。

すべての骨が入れ終わる。

全員で並ぶ。


私は、ぼたぼたと、壊れた蛇口のように涙を流していた。

しかも、親戚の中で一番泣いていた。

おばあちゃんの娘である、母や叔母よりも、

私が一番泣いていた。

壊れた蛇口はもう止まることを知らないようで、
私の足元には、涙の水滴でシミができていた。
おもらししてしまったの?
と言われてもおかしくはない。

でも、そんな恥ずかしさはどうでもいいくらい。

私は泣き続けた。



私は、中学生のころから
余命宣告を告げられた人の恋愛模様の話や
事故で大切な人を失って過去に戻りやり直す
など
人が亡くなってしまう感動系の本や映画を好んで見ていた。

人が亡くなる感動系のストーリーからは、
悲しさの中に、美しさや神秘的なものを感じていた。
見終わった後は、悲しさも残るが
いい話だったなという感想も抱いていた。

”死”というものはファンタジー

とどこかで思っていた。



だが、実際はそんなものではなかった。

綺麗だとか、感動だとか、ファンタジーだとか。

そんなものは感じなかった。

ただただ、悲しい。
大切な人を失うことはこんなにも悲しいのか。




命が尽きれば、

またとか、いつかとか、今度とか、

そんなのは通用しない。



後悔をした。

私は高校に入ったとき、
母方のおじいちゃんおばあちゃんに制服を見せに行かなかった。

今度今度と先延ばしにせず、
みんなでご飯に行けばよかった。


どんな後悔も、少し頑張れば叶えられたことだ。


きっと、後悔しないように生きるなんて難しいと思う。
それでも
一日一日を悔いなく生きたりとか
後悔しても前を向いて、次に生かそうと行動したりすれば

命がいつ尽きても、後悔は少ないと思う。



私が、好きな本で「余命10年」という本がある。
その本の中で、礼子さんという主人公と同じ病室で生活している人が
冒頭で亡くなってしまうのだが、亡くなる直前にこう言った。

ありがとうと、ごめんねと、好きです。それがわたしの後悔。言えずにいた人たちに伝えたい

余命10年


このセリフが私の人生の中で一番響いている。
おばちゃんが亡くなる前に見たが、
この経験をして、さらに実感した。


だが、映画の中では、このセリフは削られてしまった。


大切な言葉こそ、ただのエキストラの中に紛れ込んでいる。




白い百合のような人だった。
おばあちゃん、今年の夏、また会いに行くね。

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