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田舎を選んだ理由を考えたら人生の質が上がった話【新潟人いなか論】

あなたに質問です。

『田舎』と聞いて
▶”プラス”のイメージですか?
▶”マイナス”のイメージですか?

私は小さい頃から
「都会の方がカッコいい。」

そう思っていました。

それが、いつの間にか、
「田舎でよかった」

そう思うようになっていました。

過去の自分の選択が間違いじゃなかった。
そう思えると
人生の質もあがる。

新潟生まれ新潟育ち
そんな私の『いなか論』
今日は少しお話させてください。

■都会に住んでいる方
■田舎にあこがれる方
■毎日が忙しくて余裕がない方
■新潟は田舎だと思う方
■子育てするのによい環境があるはずだと思う方
■自分が生まれた意味を考えている最中の方
■いなかもんをダセーと思う方

にお読みいただけると嬉しいです。

田舎を知った夏

それは
小学5年生の夏。

市内各地の全小学校が集まる
水泳大会があった。

その頃の私はというと、
自分の「家庭」と「小学校」という
小さなコミュニティーしか知らなかった。

そんな私にとって
「他の小学校」という
”新しい世界の住人”と関わるきっかけだった。

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そんな水泳大会のプログラムの中で見つけた
「k小学校」の文字。

(ん?見たことないな)

「ねぇねぇ、これってどこの学校?」

「ざいごの学校だよ。知らないの?」
隣の男子が言った。

「ははっ!ざいごもんだよな~」
他の男子たちも一緒になって笑っていた。


(ん?ざいご??)

初めての言葉。


『ざいご』とは新潟の方言の一つ。
田舎とか郊外という意味。

要は「いなかもん」ってこと。

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男子たちの明らかに
「ざいご」をバカにして笑っている様子を見て

「いなかもん」は恥ずかしいものなのだ
ということを感じた。


(同じ市内なのに「いなかもん」ってなんだよ。)

そうは感じたけど、

でも
世の中はそういうものなんだと思った。

田舎はカッコ悪いものなんだ。

自分もいなかもんなのに・・・。

そして数年後。
その「ざいご」に嫁ぐことになるとは
そのときは知る由もない。


80年代の小学生

アラフォーの私は、
ちょうど80年~90年代にかけて小学生だった世代。

テレビでは俗にいう
「とれんでぃーどらま」なんていうものが流行っていた。

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画像:https://webronza.asahi.com/national/articles/2018082000010.html


ラブストーリーは突然にやってくるし
君がいるだけでいいし
ぼくはしにましぇんし

芸能人は歯が命だった。


都会に立ち並ぶビル、
多くの人が行き交う街並み。

お洒落なバーに、
(当時は)オシャレなお姉さん。

田舎では見たことのない
まだ見ぬ輝かしい世界がそこに広がっていた。


都会はカッコいいものだ。

無意識化に刷り込まれていった。


都会にあこがれて

それから月日が流れ

新潟に比べれば格段に『都会』である
「仙台」の大学を選んだ。

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画像:https://travel.rakuten.co.jp/mytrip/howto/sendai-souvenir


仙台は都会でありながらも、
ちょっと行けば田舎。

「都会的要素」と「田舎的要素」が
絶妙にマッチしたとても素敵な街だった。

新潟と比べても
いいところばかりに見えた。

雪もそんなに降らないし、
過ごしやすい気候。

地価も高すぎないし、
何より便利で、住みやすい街。

「杜の都」とはよく言ったものだ。

私は仙台が大好きになった。


でも、卒業後はなぜだか
「田舎である新潟」に戻ることを選んだ。

家族が大好きだったわけでもないし、
新潟が特別好きだったわけでもない。

なのに、新潟を選んだ。

はっきりした理由はそのときはわからなかった。

いなかもん子育てをする

新潟の企業に就職し、
結婚し、子どもができた。

仕事と家庭に忙しい毎日。

たまにしかない
家族一緒の休日。

「子どものためにも
めいいっぱい楽しまなくちゃ。」

でも
子供をどこかに連れていこうにも、
行くところがない。

新潟は
レジャースポットが限りなく少ないのだ。

(新潟人はわかってくれると思う)


あったとしても
水族館に古い遊園地。

ちゃんとした動物園はないし、
昔あった屋内レジャー施設も
あっという間に潰れた。

あとは海か山。

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こんなところで
どうやって子どもと遊べばいいんだ・・・

インドア派の私たちには
『楽しい休日』作りが大変だった。


もし、これが都会だったら

アンパンマンミュージアムもあるし、
遊園地もいくつもある。
ディズニーランドにすぐいけるとか天国じゃね?

都会は恵まれている。

そう思っていた。

なぜ新潟に生まれたのか

仕事をやめたいと
本気で考えるようになってきて

いつの頃からか、
「自分の生きる意味」を考える機会が増えていった。


そんな中

人は生まれる場所や親、
自分の容姿や性格まで
全て自分で選んできている

いう話を聞いた。


としたら、

私はなぜ
新潟に生まれたのだろうか?

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画像:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210715/k10013140581000.html

きっと何か意味があるに違いないんだ。

(新潟の良さって何?)

(新潟ってどんなところ?)

そんな【問い】をもって過ごしていく中で
見えてきたことがあった。


「ない」と思っていたものが、「ある」ということに。


私が求めていたのは何か
「豊かさ」っぽい形として「ある」もの。
(見えるもの)

でも、新潟には見えない
形として「ない」ものが「ある」。


例えば、
遊ぶところが「ない」問題。

答え:いやいや、場所なんかどこでも遊べるでしょ!

近所の石でも葉っぱでも、
なんでも楽しもうと思えば楽しめる。

夕日に染まる雲の色に癒されたり
田んぼで見かける謎の白い鳥に興味を持ってみたり
どこからかこだまする鳥の声に耳を傾けたり

五感を通じていくらでも楽しみ方は「ある」

(前は気づけなかったけど💦)

実際、
『ゆうがた散歩』と称してただ外に出るだけで
子供たちは大興奮する。

「夕日の写真撮って~」と
5歳娘からいつもせがまれるのは、

子どもたちにとっても
あの自然の色を見て
感じとるものがあるからだろう。

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私の目がくらんでいた時は、

遊ぶ=レジャースポット

しか見えていなかった。

人から与えられた、誰かが考えた楽しみを
ただ『受け取る』という楽しみ方。

もちろん
これを悪いというわけじゃない。


でも、
もしかしたら
自分で楽しみを創り出せるほうが
本当は「豊か」なんじゃないかな?

そんな風に感じている。

どんなものにも「楽しみ」を見出すことができる。
それが一番じゃない?

何もない=時間がただ流れていく

のだと思っていたけど

例えば、
何もない時間があれば

・何かを「味わう」ことに使ったり、
・何かを「考える」ことに使ったり、
・何か「身体を意識する」ことに使ったり

なんでもできる。


何もない=自分で選択できる余地がある
ってことであって

ない=無限の可能性がある
ってことなのかもしれない。


田舎では必須の【車での移動時間】

これだって
・音楽を聞けばコンサート会場にもなるし
・音声教材を聞けばセミナー会場にもなるし
・景色を眺めて楽しめば美術館にもなるし

何にでも変えられる。


何でも作り出せる
「余裕」が田舎にはあるんだ。

一つの風景を見て、
自分だけの「何か」を感じとることができる

日々の何気ない自然の変化を
愉しむことができる

余裕とか
余地とか
可能性とか。

それが「田舎」には「ある」

それが本当の「豊かさ」につながるのだ!

なんて。


毎日のひとときを

味わえる
楽しめる
感じられる

そんな生活ができるのは、
せせこましくない、
こんな田舎の風土のおかげかもしれない。

いい人多いもんね、田舎って 笑

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画像:http://niigata-ryokan.or.jp/

私が新潟を選んだのは、
ここに気づくためだったのかもしれない。

みんなが本当は持っている
『豊かさ』
を教えてくれたのが
私にとっては「田舎生活」

いや、にいがた生活 笑

だから、
都会がカッコいい・田舎はカッコ悪い
という風に思っていた過去も
全てが今につながっている。


ということで、結論。
新潟にきてね。

ってことじゃなくて(^^;

【問い】
あなたが今、身を置いている場所。

あなたが選びましたか?
なぜ、そこを選びましたか?

考えてみると、
何か新しい気付きがあるかもしれませんよ。

もし何か読んでよかったかもと思えるところが少しでもあれば「スキ」していただけると私の励みになります。

基本的には
火曜金曜お昼更新しています。

綺麗メシ研究家 古川綾子







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