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あなたはあなたでいい(統合失調症と診断された私が、結婚・出産し、公務員になった話その30)

うちの6歳(年長)の娘のことを、noteでは「ちゃこ」と呼び、書いていこうと思う。

ちゃこは、私の小さい頃の面影プラス、旦那のお手玉みたいな顔のエッセンス満載の、素朴なお地蔵さまのような顔立ちをしている。性格は私の頑固さプラス、旦那ののんびり大らか気質を受け継ぎ、頑固さは多少あるけど、ふんわり、のんびりした性格だ。

この子によく似ている

負けず嫌いなところはなく、そもそも人と競おうとか人よりも勝ろうという概念がなさそうだ。だから、そういう概念がありそうな、勝負心がある子には心ない言動をされたりする。

縄跳びや走りや鉄棒は、まあまあ人並みだ。だけどそれが上手い、競争心のある子たちに「ちゃこは足おそ〜」と言われ、からかわれている。ちゃこには、人よりたくさん跳ぼうとか走ろうとか、良い成績を取りたいとかいう概念がそもそもない。園や学校では、人よりも運動ができるとか勉強ができるとかで一目置かれ、そしてそれができる子たちが得意顔をしてるのかもしれないが、そもそもちゃこにはそんな考え方がまだ生まれていないのだ。

ちゃこに英語教室やピアノ教室に通わせようとした。全然やる気がなく、結局は短期間で辞めることになった。「家にいたい、習い事したくない」と言う。確かに、両親共に公務員で共働きだから、ちゃこが園にいる時間は長いし、たまの休日は家でのんびりしたい気持ちもよくわかる。家でやることが無駄なことだとも思わない。過度はよくないが、ゲームしたりYouTubeを見ることも、時に役に立つこともあるだろう。ちゃこの好きな知育玩具を作ったり、絵を描いたり、工作をしたりすることも、家でやれる貴重で大切な時間だ。また、何をするでもなく、リビングで親子三人だらだらする時間も、私たち家族にとっては大切なひとときだ。

絵を描くのが好き

年長さんにもなると、ちゃこのお友だちにも、カラー(個性)が見られてきた。ちゃきちゃきしてるしっかり者、ふざけて笑わせるのが好きなおちゃらけ者、すまし顔で美を追求するタイプ、運動が得意で運動部に入るであろうタイプ…その中で今のちゃこは、あまり自分を主張するでもない、のんびりおっとり、みんなより一歩下がってついて行くようなタイプに、私には見える。モノづくりが好きだから、そんな路線を歩むことになるのかもしれない。

ある日の園の帰りである。お迎えの時間が被ったママパパがいると、子どもたちが一緒に帰ろう!と言って、駐車場までご一緒する、というのが、園の雰囲気としてある。今まで私たち親子も、たまたま帰りが一緒になった人たちと駐車場まで歩いて帰っていた。その日はAちゃんとBちゃんと一緒になった。年少くらいまで、ちゃこはAちゃんと仲良しだった。赤ちゃんクラスの頃からの付き合いだった。しかし年中からBちゃんが入園し、Aちゃんと仲良くなってしまった。Bちゃんは頭のキレるタイプの子で、年中頃から急に大人びたAちゃんと気が合ったようだ。まだ赤ちゃんを引きずっていて、トイレトレーニングも完了していないようなちゃことは違い、大人びた優等生タイプ同士としてAちゃんとBちゃんは繋がってしまったようだ。年中のときはその二人組にちゃこが入れず、仕方なく他の子と遊んでいたようだ。…そんな二人と帰りが一緒になり、当然二人は仲良く歩き始めている。ちゃこは上手く二人に入れそうもないまま、二人と並ぼうとして渋い顔でちょぼちょぼ歩いている。そんな姫三人を囲むようにママパパは適当にお話ししながら、駐車場までご一緒して、その日の園は終わった。

かつての自分を思い出す。私も学生時代はてんでダメだった。女の子グループの難しさ。友だちの作り方。今でもよくわかっていない。大人になると、ますます友だちは作りにくくなるのも身に染みている。ママ友だって少数しかいない。だから、正確に言えば、かつての自分にも、今の自分にも、ちゃこを照らし合わせている。友だち関係って、大変だよなぁ。めんどくさいし、難しいよなぁ。特に女の子ってわかんない。自分も女だから理解できる。生理があるとかないとかカンケーなく、女ってだけで、幼児の頃から、なんか、複雑なんだなぁ。ちゃこを通じて、自分も幼稚園時代からを振り返っている。ちゃこを通じて、再び園児の気持ちになり、擬似体験をしている。これが子育ての醍醐味だと、私は思う。自分も生き直してる。追体験している。子どもを通じて、自身を振り返る。自身の子ども時代を追体験して、いろいろな気づきがある。インナーチャイルドを育て直している要素もある。私の中の子どもに気づき、時にショックなこともありながらも、少しずつ癒していく。ちゃこを育てながら、私は自分自身も育て直している。

ちゃこと子どもの私が、双子のように
私に育てられているかのようだ

園でいまだに💩を漏らすちゃこをよそ目に、大人びた子たちはグループを作っていく。ちゃこをバカにすることもあるとかないとか⁉️だけど、ちゃこはまだ友だちだと信じていて、お迎えの時間が重なれば、一緒に帰りたがる。ちゃこの概念に、特定の子を決めておけば一人にならずに済むとか、計算じみたことは微塵もない。遊んだ子はみんな仲良し。遊んだ子はみんな大好き。グループだとか何人組だとか、まだちゃこには早過ぎる。それでも周りはだんだんそういう観念を持っていく。ちゃこもいずれそんな社会に揉まれていくことになる。私の苦手とする面倒な人間関係の社会を、ちゃこはどう感じて生きていくのだろうか。

「ちゃこはちゃこでいいんだよ。ちゃこにはいいところがたくさんあること、お母さんはちゃんとわかってるよ。」AちゃんとBちゃんの二人組と、うまく帰れなかった日、車の中で、ちゃこにこう伝えた。きっと私の中の、ちゃこくらいの子どもにも伝えているのだろう。足が遅かろうが、成長が遅かろうが、大人びた考えができなかろうが、あなたはあなたでいい。それは、親バカが過ぎた思いだけでなく、人間全体に対して、私は言いたい。あなたであること。それが最も自然で、素晴らしいことなのだ、と。それを否定する存在にこそ、打ち勝つべきなのだ、と。人より優れるだとか勝るとかを考える前に、まずあなたがあなたとしているべきなのだ、と。それは最も自然で、ありのままのことなのに、既存社会はそれを最も難しいことにまやかしてしまうから、人生は迷うのだ。人生とは、自分を取り戻すことに費やす旅路なのだ。子育てを通して、私は私に改めて気づかされる。子どもの年齢の頃の自分を取り戻す。ちゃこと子どもの私と、そして誰かに、私は声を大にして言いたい。あなたはあなたでいい。あなたはあなただからいい。これからやってくる、学校生活や既存社会のまやかしに、けして怖気付かないで欲しい。いついかなる時でも、あなたはあなたでいい、と忘れないで欲しい。車を運転しながら、ミラー越しに、私はちゃこの地蔵顔を確認した。

私は私でいてはダメなんだと絶望した頃に、私は統合失調症と診断された。私は私でいいんだ、私だからこそいいんだ、と腑に落ちた頃に、私はかつて統合失調症だったとは信じてもらえないほどに復活した。私はこの身を使って、人生を使って、統合失調症を使って、大切な「答え合わせ」をしてきた。自身を使ってきたのだから、この「答え合わせ」は不動で、強固で、強力である。そう容易く答えを変えることはないであろう。私は私でいい。あなたはあなたでいい。あなたでいてはダメだという声にこそ、打ち勝つあなたでいて欲しい。小難しい考えはけして持たない6歳のちゃここそ、私に大切なことを教えてくれる、大きな大きなお師匠さまである。

加工を施すお師匠


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