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話すは放す(統合失調症と診断された私が、結婚・出産し、公務員になった話その34)

2024年1月9日(火)。この日は、前日が成人の日で祝日であったが、祝日でも何でもない普通の平日である。(1と9で一休となることから、「とんちの日」と呼ばれているらしいが)しかーし、私にとっては、記念すべき、特別な日になった。今後、私の中で、確実に何かが変わっていく予感がする。新年早々、変革を起こした気がする。私だけは特別な記念日として、スマホのスケジュールに記しておくことにしたい。


この日、私は、我慢に我慢を重ね、溜めてきて、小出しに伝えたけれども、はっきりとは伝えていなかった自分の気持ち、考えを、とうとう女性上司に伝えることができた。話すことで、自分のくすぶりを「放す」ことができた。くすぶり、もやもやを浄化、成仏させることができた。この日、私の住む地域は雪が降っていたが、私の頭の上だけ、雲一つなく晴れたんじゃないかと思うくらい、スッキリ、晴れ晴れとした心地になった。


「話すことは放すこと、手放すこと、浄化すること」というのは、たまたま見たYouTube動画で、九星気学の先生が話していたことだ。話したい相手、もしくは第三者に話すことで、その件は放す、手放したことになるという。同じ「はなす」という言葉なのがおもしろくて、このことが印象深く残っていた。


年明け早々、課で大きなイベントがあり、我々課の人間は、夏から準備を進めていた。私はもう過去に3回経験しているイベントである。しかし、私の中で終わり方がいつもとっても悪い。鬱になるんじゃないかというほど、鬱憤が溜まりに溜まり、怒りの感情はようやくのこと抑えてはいるが、今にも誰かに八つ当たりしそうなほどメラメラと燃えたぎっていた。課題は多く残るけれども、気持ちを切り替えて、次回のそのイベントにポジティブに向かえる気分には到底なれないことが、毎年続いた。これで公務員を辞めてもおかしくないのではないか、と思うほど辛い終わり方を毎年してきた。これでも私は統合失調症と診断され、通院している。この辛くキツイ終わり方に、よくもまあ精神的にも体力的にも耐えて、公務員を続けてこられているよな、と、毎年半ばあきれながら我が身を労っている。原因は、ただ一つ。私がとうとう気持ちを話せた、女性上司の存在だった。

イベントを準備する過程での女性上司との気持ちの行き違い、すれ違いが全ての原因となり、他のメンバーとも本当の意味では一致団結できずに、私だけが取り残されるような形で、3回のイベントを終了させてきた。イベント自体は、どの回も無事成功ではあった。しかし、私はそのイベント当日と終了間際にいつも心は孤独だった。

1月9日のイベント終了間際も、女性上司は私に怒っていたが、私には私の気持ちや考えがあっての言動だった。そしてとうとう、そのことを女性上司に伝えた。

落ち着いて話せたが、心は今までの我慢が溢れ、こぼれ落ちそうだった。腰から下がガクガク崩れそうだった。しかし、意外と静かに、冷静に話せる自分が不思議だった。ケンカや言い争いにもならなかった。近くに居合わせた別の女性上司が取り持ってくれたからだ。どちらかが声を荒げることもなく、落ち着いてやり取りができた。

交わした会話から、私が年甲斐もない、正職員に相応しくない言動を取っていたのがわかった。そして、感情論を訴えるのは、職場では適さないことも。私は自分が大人になりきれず、正職員になりきれず、そのことが摩擦を生んでしまったことを察した。

同時に、36歳で公務員採用試験を受験して採用され、37歳で入職した我が身を憂えた。病気や障害を持つこともなく、スムーズに若いうちから入職できる人との段違いな違いを感じた。もう10代20代ではなく、40になるオバハンなのに、腰を据えて正職員として働くのは今回が初めてなことから、社会人経験や社会的通念が浅い私の先行きがますます不安になった。30代後半から経験や常識、知識の浅い、障害者の私が、公務員としてやっていくのは、茨の道を行くことだ、と言い切っても、何ら大げさな表現ではないことを、今更ながら実感した。

しかし、ここで仕事を辞めたり、辛いことがあるからといって逃げ出したり、諦めたり、キツイからと休んだりするのは、自分の心がはっきりと「それは違う」と告げていた。

私は自分のnoteで、統合失調症の人に、結婚や出産や子育てや公務員になること、就職することを、薦めたりしてるわけではない、と、最近切に思う。そもそも、寛解しなければ、それらを到底できそうもないし、寛解しても、キツさや辛さは山ほどあるというのが、私が身をもって経験している立場からの見解だ。だが、なぜタイトルに書くのか。なぜ「統合失調症と診断された私が〜」とわざわざ書くのか。それは、たくさんのキツさや苦労や困難があっても、それでも、そうであっても、これまでやってきた軌跡を讃え、これからも自分自身の、統合失調症患者の、精神疾患患者の、可能性を信じて疑わない人生でありたいからである。これからも道を切り開き、統合失調症であっても、様々な人生の可能性がある、と、自ら証明しつつ、多くの人にメッセージを送りたいからである。そういう人生を生き切ってやりたいからである。

女性上司にようやく自分の思いを伝えられたからといって、その女性上司との関係が今すぐ良くなるわけではないし、他の人たちともすれ違うことだってたくさんある。だけど、1月9日にようやく「放せた」ことで束の間の喜びを味わっている。その翌日には、それを見ていた男性上司に、みんなの前で話をぶり返され、もう若くないんだから、とか、あやこーんがわがままだとか説教をされることがあったとしても、私には本人に直接言えたということが物凄く大きい収穫だった。(←その男性上司のことは、面談の時に課長に話すことにする。)

スピリチュアルの知識を持つ人には、もっと楽に生きてもいいとか、嫌なことはやめてもいいとか言われそうなほど、茨の道を生きていると思う。寛解したとはいえ、統合失調症の残存が残る身での結婚生活、子育て、公務員生活は、課題や困難、キツイこと辛いことがたくさんあることは否めない。だけど、ここで辞めたり、諦めたりするのは違うと、明らかに私の中で、心の声が聞こえる。人に面と向かって自分の思いを話せた、たったそれだけで物凄く喜び、記念日にしたい、とスケジュールに記すような自分で、これからもいてくださいよと、私の心の声は私に伝えてくる。怒ってもいいし、すれ違ってもいいし、間違えてもいいし、完璧な母親、社会人じゃなくてもいい。ただそんな私を認めて、今を生きること。ただ生きていることを感じること。今の私の姿と人生の選択を、私は一つも間違えていない、と、淡雪が降る空の隙間にのぞく、燦々とした朝日を浴びながら通勤する道すがら、日々感じている。

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