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わたしと詩とらじおと

私はラジオビッチだ。

もちろんradikoは有料版で、全国各局のラジオを聴きながら1日を過ごす。
ちなみにこのエッセイも、東京にいながら大阪のFM802を聴きながら書いている。

ラジオの魅力は数多あるが、とりわけ私がラジオを傾聴する理由は、時折ふとしたタイミングで現れる「シンクロニシティ」にある。

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「この曲、ちょうど聴きたかった」
「このリスナーさんの投稿、自分と全く同じ悩みだ」
「言葉にできなかった違和感、このパーソナリティも抱いているんだ」

そんなシンクロ経験をした方は私以外にも多いのではないだろうか。

NGT48本間さんと詩

先日、TOKYO FMの番組「ニュースサピエンス」を聴いていた。
今回の特集は「ポエトリーリーディング」。
どうやら、Z世代で「ポエトリーリーディング」が流行っているらしい。

Z世代の代表として、NGT48の本間日陽さんをゲストで呼び、パーソナリティの高橋万里恵さんが最果タヒさんの詩を朗読するひと時から始まる。

恥ずかしながら、本間さんについてはこれまで存じ上げてなかった。けれど、明石ガクトさんのいつもと違うテンションから察するに、すごく魅力的な人なのだろうとジムニーを運転しながら容易に想像ができた。

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その本間さんが詩作やポエトリーリーディングにハマったきっかけが中学時代の国語の授業だという。それを聞き、私は一気に他人事ではなくなる。

246号で無意識にジムニーのアクセルを踏み込んだ。

(妻へプロポーズする直前にカラオケで熱唱したMOROHAの「tomorrow」が番組内から流れたのもアクセルを踏み込んだ一要因ではある)

わたしと詩

私も本間さん同様、中学時代に国語の先生に恵まれていた。
「今月の詩」という形で先生がチョイスした5〜6編の詩をA3用紙に印刷され配られる。それを3年間、毎回授業の冒頭に朗読するのであった。故に詩が日常的なものとなり、その数々は今でも口ずさむことができたり、リズムが身体に刻まれていたりする。

多感な時期の私たちに詩を読み、書く時間を日常的に与えて下さったことが、私にとって、今もこころの拠り所になっている。

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今もたまに読み返す先生が作った「今月の詩」

自分の感受性くらい

「自分で守れ ばかものよ」

上記は詩人・茨木のり子さんの代表作の一節だ。
私事で恐縮だが、2ヶ月前から心身を壊し、休職している。

コピーライティングやクリエイティブの力を信じ、それらをスタートアップで活用しながら新規事業を立ち上げてきた怒涛の4年間。誰もが知っているようなナショナルクライアントのコピーやタグライン、商品企画にも携われてきた。

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しかし、一方でビジネスアスリートは「こうあるべき」という勝手な決めつけを自分の中でし、苦手なことやストレスになることも受容した。その結果、常に左脳で考えるようになった。自分が大事にしてきた感性や感受性は堅牢なアタッシュケースに閉じ込めて鍵を閉めてしまった。
自分を殺してきた。

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その結果が今の状態だ。

今振り返ると、身体を壊す直前、私は無意識に自分の感受性がSOSを求めていたと思う。

江口寿史さんのTシャツを爆買いして、会社に着ていく。
大森靖子さんの曲と書籍に陶酔する。
吉田拓郎さんのレコードに針を落とす。
そして、毎晩夜中に誰に見せるわけでもない詩を1行だけでもいいから書く。

おそらく、アタッシュケースの鍵を開けろと、ココロが叫んでいたのだろう。その拠り所の一つとして、無意識に詩を書いていたのだった。

詩は「言葉の寺」と書く

先日、コピーライターの阿部広太郎さんの著書「それ、勝手な決めつけかもよ?」を読む機会があった。

著書の中で、「自分の知らない自分と出会う」という章がある。そこでは自分の名前の漢字の由来を紐解いて、改めて自分の可能性や言語化できていなかった新しい側面を見つけ出すワークが書かれていた。

私自身も名前の紐解きはもちろん考えてみる。そしてそこから派生して「自分が今大事にしていることってそもそもなんで大事にしているのか?」と考えを巡らせてみた。

そこで個人的に一つ、大きな発見があった。
「詩」は「言葉の寺」と書くのである。

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私が中学生の時から拠り所としていた「書く」ということ。とりわけ「詩」は誰かにとっての駆け込み寺となる存在なのではないだろうか。

余談ではあるが、私自身の仕事の適正診断を行うと毎回
「住職」「先生」が適職だという結果が出てくる。
その結果が出るたびに、今の自分を否定されているようでココロが苦しくなっていた。だが「詩」は「言葉の寺」と書くと気づいた今、私は住職や先生のような役割をエッセイや詩といった手段で担いたい、担ってみせると思えたのであった。

誰かの拠り所でありたい

話をZ世代のポエトリーリーディングブームに戻す。流行っている理由はおそらくいくつもあって、複合的な要因でZ世代が「詩」に触れているのだろう。(そもそも世代で区切る必要はないと思うが)

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これは私の仮説だが、このコロナ渦での不確か不安定な時代が大きく影響しているのではないかと思う。人に会えないことをはじめとし、エンタメや娯楽に制約がかかっていることでZ世代は学校の授業やTwitter・インスタなどのSNSで身近な「詩・コトバ」をココロの拠り所として「ポエトリーリーディング」をする人が増えているのかもしれない。

このブームはZ世代に限らず全ての世代が享受していると思う。ただ、とりわけ息抜きのバリエーションや経験値が上の世代よりも不足しているZ世代には、より顕著に「ポエトリーリーディング」が受け入れられているのではないか。

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ジムニーのエンジンと共に、ラジオを止める。
車を降りる時、私は、私ができるスタイルで誰かの拠り所となれる言葉を生業として作り続けていきたいと思った。

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