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名前をひらがなで書いていると、忘れていた何かを思い出す
自分の名前を全て漢字で書けるようになったのはいつからだろうか。
小学校へ入学したてのころは、わら半紙で刷られた解答用紙に全てひらがなで名前を書いていたように思う。
母親が仕立ててくれた給食袋には先月まで幼稚園児だった私や同級生でも読めるようにと、ひらがなで書かれた名前シールがアイロンで圧着されていた。
その頃はまだまだ私もひらがなのように丸く柔らかかった。
学年を重ねるに連れ、国語の授業では新たな漢字と出会いはじめる。その中に自分の漢字が混ざっていると得意げに何度もノートに書き込んだ。
一方で、学習指導要領から逸脱したアウトサイダーな漢字はいつまでも学校で学ぶことはできない。
そのアウトサイダーに自分の漢字が該当すると、残念な気持ちになるどころか少し特別なような気がして誇らしく思う自分がいたのを覚えている。
そんな私がフルネームを淀みなく漢字で書けるようになったのは、身長が母親に近づき、少年とも青年とも言えないくらいの頃だったと思う。
それ以降、自分の苗字も名前もひらがなで書くという機会はめっきり減った。
荒削りな漢字たちは最適な収まりどころを見つけきれず、日に日にエッヂーになって止め、跳ね、払いまくる。
私自身も漢字のごとく尖って、角ばった。
親に暴言を吐きながら反抗したり、時には母親に蹴りを入れたこともある。
親のこころ子知らず、とはよく言ったものだ。
子どものときにはわからない親の感情というものがあるということを一昨年に父親になってから徐々に感じている。
まだまだ一歳児の新米パパなので、娘が思春期や成人を迎えるまでに訪れる親の苦労や心配は到底理解していない。
だが「あの時、自分の親はこういう気持ちだったのかもしれないな」という想像は前よりもリアリティが増してきた気がするのである。
共働きの我々は娘が生後6ヶ月のタイミングで保育園に入れた。入園するにあたり着替えはもちろん、哺乳瓶やマグ、ガーゼ、バスタオル、持ち込みのミルク缶に至るまで必要なアイテムには全て記名が必要になる。
記名対象となるものがこんなにも多いのかと新米パパママは誰しも感じてきたことだろう。保育園の洗礼のひとつだ。
現代では技術も発達して名前シールやスタンプも様々な機能を持ったものがあるのでそれらを活用しながらも、やはり手書きで記名が必要なものは完全には無くならない。
手間ではあるが、一文字一文字、手書きする。
まだひらがなさえも読めない娘の持ち物に、一文字一文字。
(保育園は一人で寂しくないかな)
漢字ではなくひらがなでなまえを書く。
(おともだちと仲良く過ごせるかな)
自分のみょうじをひらがなで書く。
(好きな子とかできたりするのかな)
繰り返し、繰り返し、書く。
(無事に帰ってきてくれれば、もうそれだけで良い)
見慣れているはずの苗字が見慣れないみょうじになり、マジックペンを握る手元はゲシュタルト崩壊しそうになる。
苗字と名前の区切りがなくなり、一文字一文字が独立した記号として踊り出す。
それは哺乳瓶の上で。
それは粉ミルク缶の上で。
有機物も無機物も、揃って所有物になる。
さっきまで無名だったアイテムたちは、名刺をもらった新入社員のように。
心なしか胸を張ってそれぞれの持ち場に散っていく。
そんな夢想をしながら、私はなんだか懐かしい気持ちになるのであった。
このひらがな達はいつの日にか母親に書いてもらった給食袋にいた。
かつて自分のそばにもいてくれた。
いつの間にか一文字、また一文字と漢字に入れ替わっていった。
あのひらがな達であった。
当時、私の持ち物にひらがなで名前を書いていた母親はどのような気持ちだったのか。私が娘に抱く感情と似たそれを母も抱きながら、一つ一つ名前を書いていたのだろうか。
夜泣きで寝不足の目をこすりながら、ふとそんなことを思うのであった。
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