見出し画像

あの頃は息をするように本を読んでいた

最近、重い腰を上げるように「よいしょ」と勇気を出さないと本を読めないことに気づく。

そのことが少しショックです。

小学生の頃は、休みになれば一人で図書室に行き、授業開始のチャイムぎりぎりまででどこまで読めるかのチキンレース(使い方合ってる?)をしていた。

先が気になって仕方ないときは、授業中にもこっそり読んでいた。急いで課題を終わらせて読むこともあれば、べたではあるが教科書に隠して読んでいたこともあった(先生にバレたときはもちろん没収された)。

そのときは、漫画の伝記を読んでいたり、児童書を読んでいたり。まるで息をするように本を読み漁っていたのに。

初めて読んだ伝記は今でも忘れない、ヘレン・ケラー。耳が聞こえない女の子に衝撃を受け、言葉が通じないことに私まで絶望し、それでも一生懸命手話を通してコミュニケーションを取る姿がとても印象的だった。初めて手話の存在を知った本だった。

それ以外にもモーツァルトやベートーヴェンなどたくさんの人たちの人生を見てきたが、当時、特に好きだったのはナイチンゲール。当時、医療系に憧れを持っていた私は、人を救うために自分で考え、行動する姿に感銘を受けたのだと思う。

小学生のときに特に印象に残った本がある。あの頃は、探偵系にはまっており、『都会のトム・ソーヤ』や『パスワード』(どれくらい知っている人がだろう)をよく読んでいたのだけれど、それはジャンルの違うファンタジーだった気がする。当時、ほとんど読んだこともなかった恋愛系だった。

タイトルは覚えていないのだが、男の子が相手のけがを自分に移すことができる物語と生きてる時間が異なる相手の子と頭にある携帯電話で連絡をとれるという物語の本だった。記憶が曖昧なうえに文章にするとわかりにくい。

私はいつからか、同じ本を何度も読み、新しい本にチャレンジすることが少なくなってきた。特に物語系は自分がその物語に飲み込まれるのが少し怖くて、新しいものに手を出すことは極端に減ってしまったと思う。一度読んだ本は内容がわかっているから、それこそ何度も読み返すのだけど。

私は文章を書くようになって、なおさら本を読まないとと思うようになった。好きな文章を書くためには、まずいろいろな人の文章を読まないとって思う。私だって本を読んで、本が好きですって言いたいもん。言いたいからには、新しい小説にも挑戦していきたい。挑戦と言っている時点でなんか違う気もするけど。

あの頃は、自然に手に取って読めてたのになあ。新しい本を読むってやっぱり勇気が要ります。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?