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私の心が狭い理由を考えた

以前の記事で、私は心が狭くなっているかもしれないということを書きました。

多くの人が読んでくださって、共感してくれたり、なるほどと思ってくれた人がいたんだなと思うと、私だけではないのかという安心感があります。ありがとうございます。

しかし、「私は心が狭いから~」と言っているだけでは何の解決策や対策がないただの迷惑になってしまうので、どうして心が狭いのだろうということを超主観的に考えてみようと思います。

あくまで、自己分析で科学的な根拠や参考文献等はないので、ああ、そんな考えの人がいるのね、というような軽い視点で読んでもらえるとありがたいです。

では、結論から述べると、私の心が狭いのは「自分事にする事柄が多く、刺激に対してネガティブや不快に感じる要素が多いから」だと思いました。

最初の「自分事にする事柄が多い」というのは、他の人なら他人事に思えたり、他人事として捉えたり、人は人と思うことで受け流せている事柄に対して、私は自分事として捉えてしまいやすいということです。

例えばで何かいい例が出せたらわかりやすいのですが、何もいい例えが出て来ないので、図に描いてみました。

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色合いや、図が下手などはいろいろ置いておいて、上の図が一般の、私が思う自分事とする事柄が少ない人です。3つの刺激に対して、自分事として捉えているものが1つだけなので、それに対する感情の変化も少なくて済みます。

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一方のこれが私です。3つの刺激に対して、3つすべてを真面目に受け取ってしまいます。その分、心の揺れが激しくなるのだと思います。

そして次の「刺激に対してネガティブや不快に感じる要素が多いから」というのは、もともと真正面から自分事として捉えてしまう刺激が多いうえに、その刺激されたことに関して負の感情に動くことです。

負の感情に動く理由としては、刺激された内容が、もともと心に気にかけていることだったり、性格的に不快に感じるだったりします。その心が動いてしまう要素が多いことで、受け入れられない、嫌だと思ってしまうことも増えてしまっているのだと思います。

ここまで書いた理由は心が狭いことに関する主観的かつ表面的な理由で、根本的には他のことでストレスがあるかもしれないし、ネガティブな気分だったり、籠って考える時間が長かったり、というようなほかの理由によることがあるかもしれません。

ここまで考えてわかったことは、私の心の狭さのポイントが刺激に対する受け止め数と心が動く要素の多さであるということです。

1つ1つに機嫌を悪くしていられないし、ずっと心が狭いままでもいられないので、理由を考えた以上、改善策も自分なりに考えていきたいと思います。


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