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親子で対話することで自分を信じる気持ちを取り戻す            【不登校の子どもとの体験より】

14年前長男が不登校になって、登校できない彼への関わり方やそれまでの子育てが間違っていたと感じてしまった。

そこで自分の感情や自分を信じられなくなっていた。

自分を貫き通せない不確かさを感じ、いつも何が正しいのかを考えるようになっていた。

それは元々私がそれまでに自分の感情や意見は正しくないのかもしれないという体験が在って、元々疑念を持っていたからだと思う。


私が育つ過程で自分の感情や意見より大人にとって都合が良いことを教え込まれ、違うことを選択すると切り離されるような恐怖、自分を認められない痛みを感じる体験や見てきたことがたくさん在って、自分を貫き通すことが難しく、合わせることを選択してしまうことが増えていたからだと思う。


元々あった自分を信じられない気持ちが長男の不登校で加速していってしまった。

子育ての過程でも良い母とは何かを考え、不登校になったら不登校の親として良い親になろうとしていた。ずっと外に基準があった。


でも不登校の不安や焦りを感じる中でその気持ちを抑圧して、子どもに向き合うことはできなかった。

だから見守るという形で長男と踏み込んだ話をすることを避けてしまっていたと思う。

感情が暴発して、また彼を傷つけてしまうこともとても怖かった。


でも本当にこれでいいのかという思いも消せなかった。

自分はどうしたら良いのかわからず、ずっと悩んでいたけれど相談でその気持ちを表現することも難しかった。

その頃「見守る、待つ」が主流で私が知りたかったことや自分が何に困っているのかを伝えても、焦っても仕方ないとか、我慢することが必要だと言われることが多かったから。


今はもっと彼といろいろな話しをする必要があったと思っている。

彼がどんなことで苦しんできたか。
またどんな風に考えたり、取り組んだら自分をしんどくさせないのか、楽にできるのか。


親子で否定や評価やアドバイス無しに対話しながら、理解し、創造し、挑戦することができたら良かったと思う。


それができないまま中3の受験のタイミングで突然決断しなければならなかった。

それでも彼は真面目で努力家なところがあり、自分で進学することを決断した。

すごく怖かったと思う。

最初はしばらく怖さで時間には行けなかったけれど、隣で背中を撫でていると自分で気持ちを立て直し、軌道に乗った。


でも小学校の時と同じで、周りの期待に応え、頑張るから疲弊する。


結局大学の途中でまた動けなくなってしまった。

大学でもずっと頑張り続けていた。

でも心の中では自分は社会では生きていけないとずっと思ってきたと今年やっと本音を打ち明けてくれた


高校、大学と私は彼を理解し、支えることが全くできていなかった。


ずっと変わらない。
子どもに向き合えない私の弱さだ。


また長男が高校の頃、次男は中1終わりにいじめから不登校になった。

長男の時のように家で安心した環境を作って、休めば元気になると信じていた。次男は何度も進学したいと頑張ろうとしていた。


中3から登校した時も、
受験の年に先生にも何度もやっぱり受験したいと伝えに行った時も

以前のように学校に行きたかったんだと思う。

でも登校が続けられない。
説明会に行けない。

学校に行くことの怖さが勝ってしまう。

それで何度も絶望的になっていた


突然近くに来て「もう人となんて関わりたくない。」と言ったこともある

今思えば人と関わることが怖くてどうしたら良いかわからないという彼のSOSだったんだと思う。

それにも気づけず、彼の言葉に落ち込んでしまった。

彼の心の中に在る不安や怖さを受け止められる力や視点が私にはなかった


夏にジムをやめた時に言った言葉
「今ずっと一緒にオンラインでつながっているメンバーと共に話しながらゲームすることが一番大切。」

それだけ人が好きなんだなと思う。


息子たちと対話をするようになって、もっとできたことが在ったと後悔している。

まず息子たち感じていることことを否定や評価やアドバイスせずじっくり聞いて、その気持ちをしっかり受け止める必要があった。

私にはその力が無かった。
自分の感じていることを大切に受け止めてこなかったからだと思う。


長男、次男それぞれブロックになっている思い込みや怖さは違う。

我が家はそれをそのままにしていては乗り越え、外とつながることは難しいと思う。


彼らが「自分のままで大丈夫。」と実感することがとても大事。

自分の感情、価値観、自分の心身の限界、苦手や得意を理解しながら、彼らのタイミング、望むこと、安心できる方法、ペースで外とつながるチャレンジをしていくことがとても大事だと思っている。


また「自分を抑圧して周りの期待に応える」これを親子で手放していくために何ができるのかを対話していくことも必要だと思っている。


まず私から外で今までの合わせて無難に生きるから、自分を表現することを挑戦しているところ。


また私がそこで怖さを感じたり、自分を表現することが難しいと感じることを息子たちと共有し、どんな方法を選択できるのか共にアイデアを出し合っている。


その結果もフィードバックしながら、また対話をすることを続けている。


私が自分を表現しながら社会や他の人と共に居るという課題と向き合ってこなかったことは息子たちに大きな影響を与えてきたと思う。


そこを解きほぐして、新たなやり方、在り方を創造していけたらいいなと思っている。


息子たちとの対話がその力になっていると思う。


親子、兄弟でもそれぞれ違う価値観、感情、受け取り方をすることや違っていい、違う中で何ができるのかを模索する対話していく。


その体験からも
「それぞれ違う選択でもいいんだ。」
「どんな意見や選択も尊重されるんだ。」

と実感していけるといいなと思う。


そして対話の中で起こる不調和もとても学びが深まるなと感じる。


上手くいかなかった時はまたその時感じた気持ちを聴くところから始められる。

落ち着いてからもう一度そのことについてお互いが感じたことを評価や否定無しに聴き合おうと伝え、表現することで理解が深まったり、お互いに感じてきた思い込み(自分をわかってもらえない、ダメだと思われているなど)に気づけて、お互いへの共感がうまれることが多いなと感じている。

だから対話が上手くいかないことを怖れず、落ち着いて、表現しあい、受け取れたらいいなと思う。