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最近、コロナでなかなか会えていなかった昔懐かしのお友達グループと会った。たー坊が生まれたことは報告していたが、ダウン症のことまでは言ってない。何か、そもそもグループラインにいきなりそれ投稿するか、っていう話。「子供が生まれたら障がいを持っていた」パターンの場合、これをどのタイミングで伝えるか問題はしばらくわりとつきまとう。結局正解がいまだにわからない。でも、ラインやメッセージで「我が家は生まれた子供に障がいがありまして、てへ。障がいというのはね、ダウン症なんですよ、あはは」と簡単には言えないのが現実なもので。
前は、シンプルに「どう思われるか」、「気を遣わせちゃうしなぁ」とかネガティブな理由をまとっていたが、最近はそれに加えて「なんか障がいという言葉のインパクトと実態とがあまりにかけ離れているんだよなぁ」と思いつつあるからで、いまいちこのモヤモヤ感をどう言語化すればいいかわからず扱いに困っている。「障がい」ってインパクトが大きすぎて、何か一旦思考停止になるのは私だけなのか・・

ということで、何も結論には至ってないが、とにかく状況だけを文字で先に伝えるのはなんか違う!と思っているがゆえに、会ったときにでもいうか、という結論に落ち着き、そんなこんなで日々の喧騒が上書きされていき、結局誰にどのタイミングで話したっけ?と忘却の彼方になっている。

だからこの前友’sにあったときも、何なら子供のことよりも話したいことは盛りだくさんなわけで、何ならこのコロナ禍で趣味のこと仕事のこと、最近ハマってること、最近始めたことやめたこと、などなど話してないことなんてお互いに沢山あるわけで、つもりつもったいろんな話をききたいし、したい!そんなルンルンテンションで会いに行った。

「いやー、久しぶり!」、「え、いつぶり?!」、「うーん、コロナの前だからもう2-3年前じゃない?最後に会ったの!」なんてごくごくありふれた会話から、最近何してるのー?とかそんな話になったのだが…

ふと、何かどっと疲れが出てきて、トイレに立った。なんだかなー。疲れたなー。久々に人と会うしなぁ。いろいろ鈍ってるのかなぁ、とかおもいつつ。偶然グループの1人の子も同じくトイレに。その子は一緒にいると何かとタイミングが合う。トイレに行く、寒くて服を着る、暑くて服を脱ぐ、飲み物を注文する、とか(笑)。お互い行動が似ているのかもしれない。で、その子がトイレでふと「子供いないとさ、こう言う場ってちょっとしんどい。」とポツリ。
その子は結婚していて旦那さんと2人、とても仲が良い。竹を割ったような性格で、仕事に縛られたくない、といってフルタイムの仕事は選ばずに働きたい時に働き、そうじゃないときはガツンと休んで旦那さんと旅行にいく。とてもステキなご夫婦。

そうだそれだ!久しぶり過ぎてすっかり忘れていた。
このグループ、結構同一性が高いんだった。みんなわりと早くに結婚して子供2-3人。だから働き方も時短の人が多くて、しかも子供はほぼ女の子と男の子のミックス構成。ああ、そうだ。走馬灯のように思い出がよみがえる。
私が結婚する前、独身時代にあったときは、そのグループの大半が結婚していて、結婚は何がどうだ、とか何であやは結婚しないのか、とか、出会いはどこで、彼氏はいるの?みたいな話になった。彼女らが出産前後のタイミングで会うと、やれ子育てが大変でとか、やれ旦那さんが手伝ってくれるくれないとかそんな話ばかりだったことをにわかに思い出した。そうだそうだ、そうだった。私もその時に思ったんだ。「子供を産むってそんなに偉いの?」

男性がどうかはわからないが、女子の同一性って時に結構残酷だったりする。こういうときに影響力を持つのが過半数という力学で、過半数じゃない人たちを会話から締め出す。私が卑屈なだけかもしれないけれど。
私のつたない分析によると、これは個人の性格とかではなく、なんというか人数の問題で、特定の同一性が過半数を取るとその場の流れというか話のテーマとかがそこに集結していく感じ。

私も独身時代には「結婚」という同一性からはじき出され、結婚した直後は「結婚生活の実情」テーマからあぶれ、挙句には適度に旦那さんのことを散々聞かれた挙句、やれ結婚指輪はどうするとか結婚式はどのくらい盛大にやるのか、とか総ツッコミにあった後に、何かがきっかけでにわかに「出産・育児」にスポットライトがぴっかーん当たった瞬間、一気に蚊帳の外にはじき出された・・気分になる。で、最後は「子供ってかわいいよー!」「あやも生んだ方がいいよー!」とか、えげつないことを言われたんだった。余計なお世話だ。

トイレでその子の一言をきっかけにここまで思い出した私はすでに疲れマックス。「あー何か疲れたね」といってその子と席に戻ったら、あらま開けてびっくり玉手箱。彼女らの話題が「子供のお受験問題」に変わっていた。
やれいつから塾に通わせるとか、一番ベストな住まいは何区だ、とか旦那さんがどうのこうのとか、子供は何が得意かとかとか。ぶっちゃけどうでもいいー!!
そして、お受験はやばいのよ、お受験は。我が家のアイドルは何よりも誰よりもきっとお受験からとても遠いところにいる。意識高い系のママたちや療育こってり系の人たちからは、「いやいや人の能力は無限大。ダウンだからって親があきらめて子供の可能性をつぶしちゃだめ」とかよくそこらへんで聞くけれど、実際ダウン症のたー坊先生と一緒に過ごしているとよくわかる。成長のスピードが本当に本当に違うんだって。とてもとーってもとてーもゆっくりで、彼らには彼らのペースがある(らしい)。これは紛れもない事実であって、「可能性は無限大」なんて言葉でこの事実をゆがめてほしくない。

だから、「あや、そういえば子供生まれたんだよねー!習い事とかもう行かせているのー?」(まだ2歳なんですけど。。)とか、「受験させる??」なんて聞かれた日にゃ、ぎくっにぐうの音もでないし、なんて返せばいいかなんて知恵も経験も模範解答もない。あわわ、まごまごしている間に友’sの誰かがふと言った。「私お受験戦争いやだから文京区に引っ越そうと思って!」と。そしてそこに群がる「えー!すごい!そこまでやるんだ!さすがー」と同一族。さらにそこに同調が重なると、もうそりゃえらいカオスなのでした。
タイミングがぴったりのトイレの友達と忍耐の2時間を過ごし、帰路についたときはもう疲れマックスヘロンヘロン。でも家に帰ってたー坊先生のこの顔にご対面して、ま、いっか、人ってこんなもんよね、と心落ち着けるのでした。

とにかく元気!
葉っぱむしり大好き
この笑顔は反則でしょう!


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