見出し画像

わたしの紹介

noteはじめました!これから始まるその時その時の自分を残していきたい。そこからつながる何かがあれば嬉しいです。よろしくお願いいたします!

はじめまして!Ayaと申します。
社会人7年目、この春から「会社員+フリーランス」として新たな一歩を歩みはじめた人です。

現在は、会社でも個人としても、地域づくりや地域教育に関わるコンサル兼コーディネーターとして活動しつつ、昨年から本格的に学び始めたコーチングの提供を開始したところです。また教育系NPOに細々関わらせて頂いています。

重い腰を上げ、初めてnoteを書くのでドキドキしているのですが、手始めに今回は自己紹介をさせていただきます。

1.生い立ちと好きなこと

東京生まれ、東京育ち。3人兄弟の真ん中。
→大学まで東京で過ごす
→院生時代に山に囲まれた所で1年、南の島で1年過ごす
→東京の会社に就職。東京拠点に沖縄や地方での業務にも飛び回る。
→支店常駐となり再び南の島生活開始
そして、この春から環境を変えて心機一転、生きています。

小さい頃から自然とボールがとにかく大好きなアクティブ系(でした)。
いろんなスポーツを転々とし、誕生日には何がしかのボールをねだり、ベッドではいつもボールと一緒でした。


▼これまでやっていたこと
小:バスケ、サッカー、水泳、夏はキャンプ・冬はスキー、(嫌々ピアノ)
中:バレーボール(女子特有の世界が怖くて1ヵ月程で退部)→陸上
高:ハンドボール
大:ダイビング、カヌー、SUP、環境教育などを行う自然学校でのボランティア、離島巡り
▼好きなこと
旅行、散歩、カメラ、SUP、自然の中でぼーっと、空や海を眺めること

また、小さい頃からなぜだか行ったこともない「沖縄」に憧れを抱いていて、「沖縄」「琉球」の文字を見たり、聞いたりするとワクワクしていました。(それがなぜだかは今でもわかりません)


2.男勝り?な小中時代

そんなわけで、とにかく外にいることが大好きで、休み時間も放課後もサッカーやバスケ、ドッジボール等に全力を注いでいたので、女子よりも男子の中で過ごしている時間が多かったように思います。小学校高学年ともなると、特に女子は男子から離れ(笑)、遊びもプリクラやシール帳の見せっこ、休みの日には遊園地やTDLだったりでしたが、私は全く興味がわかず。。またグループをつくる女子達に「どっちにつくの?」等と言われては、「めんどくさいなー」「そういうの嫌なんだけどなー」と思い逃げるようにしてボールと戯れていました。中学でバレー部を辞めたのもそんな女社会が嫌だったからです(笑)

男女ともに友達は多く、女子からは「カッコいい」と言われたり、男子たちの中にいることが多かったので、ややツンツン、オラオラ、強がりな空気を纏い、私なりのかっこつけ?をしていた時期もあったのかなと、今振り返ると感じます。(人当たりの良さは昔も今も変わらず好評です^^)

そして、後に自分を苦しめる『強くてしっかり者の自分』が築かれ強固になったのも、おそらくこの頃。それには父親の影響がとても強かったのだと今になって気づき始めたところです。(こちらはまた別の機会にじっくり書きたいと思います)

3.平和な日々と初めての大きな挫折をした高校時代

高校は第1志望に進学でき、地元でもわりと評判の良い学校で、良き仲間や先生たちに出会えて本当に楽しい時間を過ごしました。学校行事は球技大会が大好きで、ドッジボールをしている時の自分は輝いていたと思います(笑)ケガ人が出るので、利き手禁止令を言い渡されたこともありました。

部活はカッコいいシュートに憧れてハンドボール部に入ったのですが、遠投が飛ぶのとボールにビビらないとの理由から、選択の余地なくキーパーになってしまいました。が、とにかく部活命!といった感じでのめり込み、キャンプテンもしていました。

引退してからは受験モード。一応、進学校だったので周りのスイッチの切り替えはすごかったです。いよいよ入試シーズンに入り出願校を考える日々でしたが、私の行きたい大学ややりたいことに常に口を出してくる父親がいました。「学歴が」「そんなこと勉強したって」「とりあえずこの大学を出れば潰しがきく」とかとか、そんなことを言われては対立してばかりで、私の勉強意欲もどんどん落ちていきました。

そして、受ける気もなければ、学力的にも受かるわけもない、でも世間的には有名な大学を受けさせようと父親はしつこく、気づけば10何校か受験する羽目になっていました。ハードスケジュールだし、そんなに受ける人もいないので、周りの目も気にして憂鬱。結局、全部落ちました。
自分でも驚き、焦り、恥ずかしくて、悔しくて、、そして学力はともかくそれなりに真面目だったので、友人からも先生たちからも「ほんとかよ、どうしたの?」みたいなことも言われ…。今まで見られたことのない自分自身の弱さ、出来なさが見られてしまったというような感覚で、とても傷ついたのと、この先どうしようで自暴自棄になっていました。

結局、担任の先生があれこれ探してくださり、3月入試がある数校を受け全て受かり1校に絞りました。卒業式の時もまだ全部の合否は出ておらず、友達に会いたくも無かったし、いつも明るく元気なところしか見せていないので、そうでない自分の姿を見られたくもなかったし…。(実際会えば明るく振舞ってましたが。)

この頃は、ドン底で、初めての大きな挫折だったと思います。

4.やけくそ入学からの今に繋がる濃い時間を過ごした大学時代

ドン底やけくそモードのまま入学を迎えるわけですが、1つの救いは、進学先の学部が自分の興味関心にどんぴしゃだったことです。なぜ最初に候補に入っていなかったかというと、「偏差値が低い」「実家から遠い(一人暮らしは禁止)」という理由で、父に許してもらえるわけがなく候補に入ってなかったのです。

だけど、新入生ガイダンスに参加して、ビビビッと来たんです。「ここに入学するために、全部落ちたんだな笑」と。そこからは、ワクワクが湧いてきて、通学往復5時間でも無遅刻・無欠席・無早退でした。

大学では、「環境教育」「環境問題」「環境保全」「地域振興」「人と自然の共生」等々を軸とした文系・理系のどちらも学ぶ学科で、複雑な社会問題の解決に向けた学びをしていました。授業はどれも楽しく、自然の中での体験実習も多くて、田植えやシュノーケリング、島に行ったりと満喫していました。
と同時に、時間を見つけては、旅とバイトと複数の自然学校でのボランティアに明け暮れていました。在学中、何もしない日、家からでない日は1日もありませんでした。旅は主に離島をはじめ全国各地の自然豊かなところへ行き、観光地を巡るだけでなく、その地の人に触れ、暮らしを体験するようなことをしていました。

自然の偉大さ生き方の多様さ、“つながりの中に生きる人たち”に出会える貴重な機会で、人や暮らし、生きる知恵等にじっくり向き合った時間でした。

5.就活と院生生活での経験

就活はそれなりに活動をしていましたが、“自分は何をしたいのか” ”どう生きていきたいのか”、これだ!というものがわからず、会社説明会や選考などの雰囲気にも馴染めず、違和感満点で気が進みませんでした。

その頃は、周囲の人たちがロボットに見えてました。同じ格好をして、うわべの言葉、本心でなさそうな言葉や態度で自己アピールをして、この先みんなはどうなりたいんだろ?と疑問に思ったり、とりあえずどっか入ればいいよね、と話している友人たちをみて、自分はその選択はできないな、、未来につながる目的や志が持てないと働けないなと悩んだり、そんな風に悩む自分はおかしいのかな、社会で生きていけない人なのかなとさえ思っていました。当時、興味あるNPOもあったのですが、父にNPOは断固反対されたり、しきりに公務員を進めてきたり、入社したらずっとそこで働くのが当たり前のように捉えている父への葛藤や苛立ちも強くありました。

関心のあったJICAに参加することも悩み、願書まで書いていたのですが、結局、「もっと悩む時間がほしい」「実際にいろいろこの目で見たい」と思い、猶予が欲しくて大学院に進学しました。そして研究を進めながら、引き続きあちこちの地域に飛び回ったり、子供が自然体験を行う場を提供しているNPOでインターンをした後、修士2年時は南の島に住んで研究生活をすることになりました。その島にはそれ以前から3年程通い、1年住みました。

この間の体験や出会いは本当に貴重で、カッコイイいきいきした大人や、はつらつとした元気な子どもたちが共に関わり合い生きる姿、自然と共に生きる日常雄大な自然や受け継がれる伝統行事等を通して多世代がつながる光景などなど、これまで出会ったことのない素敵な世界をたくさん目の当たりにしました。それゆえ、これを守りたい、自然や文化も受け継ぎたい、このリアルにつながり合う世界を広げたい、と強く思うようになりました。

これが今の自分に繋がっていると思います。

画像1

6.天職→葛藤な社会人生活

そんなこんなで、時間があっては自然の中に身を置き、院生時代を島で過ごすという貴重な体験を経て、修論をまとめる際にたまたま見つけた魅力的な環境コンサルタント会社(私は主に地域振興担当)に入社しました。入社当初から、とってもやりがいのあることができて、大好きな地域にも関われて、趣味と仕事が重なり「これぞ天職!」という感じで、仕事にのめり込む日々が続いたのですが、一通りの経験を積みいろいろなことが見えてきた頃に、だんだんと働き方・生き方・全力を注いでいるこの仕事等に対して違和感を持ち、様々な葛藤が続く日々となりました。そして今に至ります。

7.まとめ

長々と書いてしまいましたが、ここまでをまとめると、幼い頃から自分の周りには人がいて、人とのつながりを意識していて、その中で常に自分が何かしらの役割を果たそうとしていたことに、これを書いていて気づきました。
また、定期的に旅に出ること、自然の中に身をおくことが、何も抱えず1人になれる自分のメンテナンスと価値観の増幅になっていました。それくらい、私には自然が必要で同時にいろんなつながりを大切にしたいという想いも増幅させていました。

書ききれていないことも含め、物心ついたころからの体験や出会いやご縁が、何だかんだ全て繋がっている人生だなと感じています。だからこそ、断ち切ることや変わることが難しかったり、ご縁や機会を大切にしようとするあまり「人のために」というような、一見、気遣いや貢献にみえる自分勝手な気持ちが作動して、いつしかそれを自分の役割と感じて背負って生きていたこともあったかなと思います。
そして度々登場する父の影響も多分に受けている人生だなと改めて感じており、いつかこの点にも触れてみたいと思います。

こんな私がコーチングを学び始め、コーチとして活動していこうと思った経緯などは、次に書きたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?