丁寧な暮らしと筋肉について
丁寧な暮らしには、定期的な頻度で憧れる。
たとえば、以下のような朝の過ごし方をしたい。
朝6時に小鳥のさえずりで目を覚ます。
カーテンを開いて日光を浴びる。
それから洗面台で顔を洗ったあと台所に向かい、ミルで粉にした豆をドリップして、サンドイッチかなんかと頬張る。
パリッとした格好に着替えて身支度を整えた後は、文章を書いたり本を読んだりして、家を出る時間まで優雅に過ごす。
実際の朝の過ごし方は以下の通りである。
朝6時にアラームの騒々しい音で一度は目を覚ますも、気付いたら二度寝している。
8時になって慌てて飛び起きる。
寝癖が悲惨なので急いでシャワーを浴びる。
水道水を一杯飲む。
洗濯ハンガーから直接Tシャツを取り、リセッシュをかけたジャケットを羽織る。
そしたらもう家を出る時間である。
丁寧の「て」の字もない過ごし方である。とても甘い採点であれば、シャワーを浴びることとリセッシュをかけることで「てい」くらいまでは認めてもらえるかもしれないが、お世辞にも丁寧とは言えない。
せめて朝食は食べようと、近所のスーパーで食パンを購入したが、一回も封を開けないまま3ヶ月近く冷凍庫に鎮座している。冷凍庫を開けるたびに胸が痛む。
まずは早起きをするところから始めなければならない。しかし、これが1番難しい。
いつからこんな早起きが苦手になってしまったのだろう。大学生の時までは、実家の犬の散歩のために朝5時台に起きていたのに。
体力の低下が最も大きな原因であるように思う。「走る」という動作を最近いつしたのか、まったく記憶にない。筋肉トレーニングに励んだ日々も遠い記憶の彼方である。
余談だが、高校時代は筋肉で名を馳せていた。
尾崎豊に憧れていた僕は、自由を追い求め、学校で唯一活動日が不定だった写真部に入部した。帰宅部は親が許してくれなかった。
写真部という存在は、学校内のカーストがとても低く、人見知りであることも相まって、しばらく友達がほとんどできなかった。毎朝学校に行くのが辛くて、犬の散歩を終えた後、「ちょっと体調が悪い」と言って仮病で休むことも頻繁にあった。
転機が訪れたのは高校2年の夏休みだった。中学の同級生に誘われて、近所の市民プールの監視員バイトを夏の期間だけすることになった。
そのバイトはとてものどかで、午前の部と午後の部の間のお客さんが誰もいない時間と、営業時間終了後には、バイト仲間と自由にプールを泳ぐことができた。
ほぼ毎日、炎天下に晒されながら泳ぎ続けた僕の体は、かなり引き締まった漆黒のボディに変化を遂げた。
そして夏休みが終わり、学校のプールの授業で僕は脚光を浴びた。
一学期にはほとんど空気のような存在だった人間が、突然、松崎しげるみたいな色になったうえに、肩幅と胸筋がパンプアップしているのだから、注目を浴びないわけがない。
服を脱いで水着に着替え、プールサイドに向かうと、野球部員とサッカー部員が遠巻きに僕を眺めていた。
「あいつ、おもしれぇな……」
それ以降は、図らずとも筋肉キャラとしてクラスに馴染むことができ、次第に友達が増えていった。
野球部やサッカー部の人たちは、遠くからだととてもイケイケで、意味もなく騒いでいて怖いけれど、話してみるととても優しいことがわかった。意外とみんな悩みを抱えていたりして、大して変わらないんだなと思った。
プールの監視員のバイトが終了した後も、僕はトレーニングを続けて、筋肉を保ち続けた。
それでも僕は、夏休み前から仲の良かった、あまりクラスに馴染めない人たちも好きだった。オタクではないけど、明るく振る舞うことも苦手で、どのグループにも属せない人たち。
僕は彼らといる時が、最も落ち着いて過ごせて、安心できた。それに、友達がほとんどいなくて辛かった時にそばにいてくれた人たちとは、ずっと仲良くいたいと思った。
あれから10年経ったけれど、僕はサッカー部の人たちといまだに遊んでいるし、不遇の時代の友人とも定期的に会っている。
そう、これは全部、筋肉のおかげである。
丁寧な暮らしについて書こうと思っていたが、余談で書き始めた筋肉に関する思い出話が本編の長さを超えてしまった。思いつきで文章を書き始めると碌なことがない。
丁寧な暮らしは自分には向いていないのかもしれない。
けれど、筋肉を付けることは、またできるかもしれない。
あの頃助けてもらった筋肉に、もう一度会いたい。
僕は、明日から早起きして筋肉トレーニングをすることを、柔らかい胸筋に誓った。
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