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フェラーリに弄ばれて

今日は日曜日。
いつもの公園に向かい、
いつもの田舎道を車で走っている。

我がアバ郎は昨日ちょうど1年点検を受けてきたところである。
イタリア車は壊れると買う前から脅されていたが、
1年間全くのノントラブルであった。
点検でも悪い箇所は全くなく、実に快調である。

あ、1点だけあった。
ネジを踏んで左後ろのタイヤがパンクしたくらいである。
いくらパンクな君であろうと路上にネジを撒くわけはないと思うので、
偶然落ちていたネジを踏んでしまっただけである。
そんなときもあるさ。イタ車だもの。

話は戻るが、
いつもの田舎道に似つかわしくない車が前を走っていた。
フェラーリさんである。
しかも白のフェラーリさんである。

「初めてのフェラーリは興奮したものである」とほざく
センクスのフェラーリはそっちじゃない方のフェラーリである。
フェラーリバージンも良いものであるが、
今日のテーマはそっちじゃない。

フェラーリといえば赤という印象が強く、
初めてのフェラーリは赤を選ぶ人が多いのだそうだ。
赤以外のフェラーリを買う人は、
たいてい初めてのフェラーリではないらしい。

そう思うとアバ郎とセンクスの前に走っている
純白のフェラーリさんは、
相当のお金持ちか相当の個性派である。

一緒に走ったのは3分少々であるが、
同じイタ車同士心が通じたのか、
お互いに爆音を轟かせながらスポーツ走行を楽しんだのである。

と思っているのはミスターセンクスだけであり、
実際のところは象にアリが挑んでいるようなものだった。
爆音と思っているそれはフェラーリにかき消され、
追いつけているという感覚は完全なる自惚れである。

両者には圧倒的な力の差があり、
一方は弄び、一方は弄ばれるばかりである。
少し前にあおり運転が流行ったが、
フェラーリに乗る人というのはあおり運転に
カチンときたりはしないだろう。
煽られそうになったらちょこっとアクセルを踏めばいいだけである。

つくしの背比べのような考え方はやめ、
フェラーリのような崇高な心でフェラーリされたいものである。

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