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眠りの中に救いはない

ここ最近のミスターセンクスといえば、ひたすら眠いのである。
我慢できないほとの眠気に襲われ、すぐにイチコロしてしまうことが多い。
眠気に襲われるよりも、美女を襲うほうが好きである。
美女に襲われるのはそれまたいとをかしである。

スギ花粉が最後の力をしぼり、センクスの目鼻喉にダメージを与える。
対抗するためのロリータは眠くなる成分が入っている。
世の中には暗いニュースが溢れ、
得体の知れないウイルスに対抗するために日々奔走している。

これを充実というかどうかはよくわからないが、
今日もがんばった!というへんちくりんな達成感がセンクスを遅い、
ヱビスビールを飲み干せば、
すぐに眠りの世界に強制送還されていくのである。

この眠りは疲労回復のために体が必要としているものなのか、
それとも現実世界に目を向けたくないからこそのものなのか。
どっちも正解であり、どっちも不正解のように見える。

眠りと活動は完璧なまでものトレードオフの関係にある。
眠っている時間が長ければ長いほど、
活動する時間がゴリゴリと削られていく。

冬眠をする動物たちは、冬の間ほとんど活動をすることなく眠っている。
春からの活動に向けて体力を蓄えていると言える一方、
長い時間活動せず、限られた人生の時間を無駄にしているようにも見える。

どのくらい眠り、どのくらい活動するかというバランスは、
一人一人がある程度の許容を持って決定している。
極端な睡眠不足は活動の量を上げるものの、
活動の質を著しく低下させる。
それは誰でも経験し分かっていることである。

難しいのは、
バランスなのである。

眠りを誘うのは体からの合図であり、
活動を誘うのは使命感であると思っている。

眠ることを忘れてセックスするのは、セックスへの使命感である。
もしくはその中毒性か、それとも依存性か。

眠りの中に救いはないと歌ったのはDragon Ashの降谷 建志である。
彼の使命感は音楽を通して崇高な志を保つことを伝えることだと、
センクスは勝手に思っている。
この曲を聴いていたのは高校生くらいだったろうか。
その頃と解釈は違うものの、なかなか心に刻まれる胸熱ソングである。


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