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28 唯一者

 適者生存の法のもとに生きるすべての生物にとって最適な生き方とは当然のことながらすでにいる適者を真似ることであり、猫のどれもが猫然とした面となりをしているのもその所為であり、犬のどれもが犬然とした面となりをしているのもその所為である。

 人のどれもが人然とした面となりをしているのも当然その所為であり、人は多かれ少なかれ人真似することでこのように生きながらえてきた。

 ということは数千年数万年の時を経てわれわれはますますお互い似通った存在になってゆくという推測が成り立つ。

 あるいは犬も猫も人も皆似通った結果、この世に最も適した一種の生物となるのかもしれない。

 あるいはそれぞれのニッチを保持したまま、犬は唯一適した犬に、猫は唯一適した猫になるように、人は唯一適した人を完成させるのかもしれない。

 そこから逆算すると、われわれの生というのは「唯一適した人」という理想形に対する人真似であると言うことができる。そうすると、われわれの行動の全ては「唯一適した人」に成るという根本衝動に基づくものであると言うことができる。

 このことから逆算して設計されたわれわれのコミュニティにおいては、ヒエラルキーが否定される。なぜなら、「唯一適した人」はすべてのことを一人でこなすはずであり、つまり他者を必要としない道理となる。

 つまりわれわれは国家を始めとしたあらゆる枠組みを否定する。だからわれわれのコミュニティは便宜上コミュニティと呼んではいるものの、いわゆるコミュニティとは一線を画している。あくまでもそれは外部の未成熟な理念思想の移入を排する防壁としてのみ機能し、これはわれわれのコミュニティの外部に存することを自ら選択した賛同者により運営されている。

 われわれの普段の暮らしがどのようなものであるのかを述べることはできない。なぜなら、われわれもお互いの暮らしを知らないからだ。現存する人類のなかに「唯一適した人」と言うべきまさにその人がいるという可能性は限りなくゼロに近い。なぜなら、緩やかな進化の先にある人類の円熟期には人々が外面的にも内面的にも似通ってくるはずであり、そこから考え合わせたところの現在の状況は顔かたちから考え方までお互いがあまりにも似ていないため、われわれはまだ道の途上にあるものと考えられる。

 ゆえにわれわれは、逆説的なことではあるが、少なくとも現存するあらゆる人類とは異なる生活を送る必要がある、ということになる(こう言ってしまえば、われわれはわれわれ人類が必然的にたどることになるであろう道筋をショートカットしようとしているのにすぎない。われわれの宿願は、誰が望むと望まざるとに関わらず、いずれ実現されるだろう。この確信がわれわれの心を安らかにし、われわれの活動に自由を与えている)。

 こうしてわれわれの生活は、各々に秘匿された状態で営まれる。――こうしたわれわれの在り方は、確かに一面では宗教と呼ばれる形態に似たものとして映るかもしれない。しかし実体としては似て非なるものであり、それどころか相反するものである。

 われわれは「寄り集まらない」ということを以て寄り集まった集団である。ゆえにわれわれは集団ではない。他者を必要としないことがその条件である以上、恐らく最も乗り越え難いのは男女の差ということになるだろう。理想としては、各々が両性を具有し、各々のみで各々自身を増やす形態が望ましく、それこそ「唯一適した人」の最終的な在り方であることが予想されている。

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