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姉と弟と都会の話

私は九州のとある県で育った。
2人の弟がいて、今はそれぞれ別々に街に暮らしている。

ただ、私はこの2人のうち上の子の方が昔から少し苦手なのであった。

例えば、私が土日や放課後家で1人で本を読んでるのに対して、あの弟はとにかく家にいる時間が少なく門限をギリギリどころかぶち破って遊び呆ける。

常に友達に囲まれていて、県外の大学に進学しても帰省してくると友達との約束でスケジュールを埋め尽くし、朝帰りを繰り返す。

私が髪の毛振り乱して受験勉強して地元で1番の進学校に入学した2年後、地元の友達とそれなりに受験勉強までも「青春」に変えてそこそこの進学校に進学する。

クラス写真では常に真ん中で笑っていて、
腰パンの学ランで廊下の真ん中をサッカー部や野球部のエースたちと堂々と闊歩する。

極め付けは、小学校、中学校、高校、の仲のいい友達を一ヶ所に詰めて「俺の好きな人飲み会」なる正気を疑う狂った飲み会を企画して思い切り楽しんで帰ってくる。

彼はそんな、泣く子も黙らせる陽キャ。
今の言葉で言うなら一軍男子なのである。

弟は地元の仲間がたくさんいる福岡にある第一志望だった大学の薬学部に惜しくも入学できずに、
一浪の末に関西の大学の薬学部に進学した。

そこでも、すぐにかわいい彼女と気のいい仲間達を作り、私は弟の友人たちが関西弁ではなく弟が話す九州の方言が感染して話している様を見て弟のコミュニケーション能力と人間的な底知れない魅力に打ちひしがれたものだった。

名門進学校に進学したものの成績が振るわず逃げるように関西の私立に進学してきた私とはあまりにも違う人種だ。

私は今、毎日地上波で商品のCMが流れる大手企業に総合職で採用され、今は大阪営業所で営業として働いている。

大学四年間をとにかく就活から逆算し、
留学にも出かけてサークルも奇抜なものに入り計画通りのエントリーシートとガクチカを手に入れた私はとにかく地元に帰りたくなかった。

もしも帰って仕舞えば、また真面目で勉強だけの人間に逆戻りしてしまうことが怖かった。
地元にはもう私を待っていてくれる友達もいないし、私の帰る場所はないと思い詰めることで自分を鼓舞してきたところは確かにあった。

弟は中学の時の仲間に会えるが、
私には中学や高校にそんなに連絡を取れる友達はいなかったし、いたとしてももうすでに地元にはいなくなっていた。

そんな思いで、地元に帰ることなくそのまま都会の会社に就職して2年が過ぎた去年の9月に弟が突然就職活動をするから、アドバイスが欲しいと連絡をとってきた。

それはあまりにも意外な連絡だった。

そもそも弟が薬学部に進学したのは地元に帰っても必ず職があるし、それなりの給料が保障されると言うところに魅力を感じての決断だったと思う。

だからこそ、私は弟が就職活動を始めると言ってきたことに驚いた。

弟は今までの人生全て楽しそうだったけど、何かを死に物狂いで頑張ったことはなかった気がする。

反抗期真っ只中の弟に、

「お前みたいな真面目ちゃんが一番しけとる。
自分が頭いいと思っとるだろ」

なんてことを言われたこともあったし、
私が死に物狂いで通った塾も手を抜いていた記憶しかない。

「あのさ、そんな簡単なことじゃないけど。
相当頑張らないと無理だよ。
君、コロナでそれでなくてもロクなガクチカないし語学力もないし、大学も無名だし、なにより頑張ること苦手でしょ」

と、突き放したことを言ってみると

「それでもがんばるよ!」

と、なんともまあノー天気な返信が来たので、
一応は文字通り血を分けた姉弟でもあるわけだから、書いてみたエントリーシートとガクチカを持ってこい、と言うと意外にもすぐに書いて持ってきた。

目を通すと、
文章の形を成していない支離滅裂なエントリーシート。
模擬面接でも敬語という概念が全くない独特の九州アクセントのコンビニ敬語もどきで支離滅裂な話したいことを捲し立てた。

眩暈がしてその場に倒れ込みたくなったけど、
本人は真剣な目でこちらを見てくるので一つ一つ訂正して基本的なエントリーシートの書き方や喋り方を教えていった。

一緒にエントリーシートを書いて幾つかの企業の秋インターンに応募して面接を受けさせてみたが弟は案の定全敗だった。

1、2回面接落ちたら諦めると思っていた。

カッコ悪いことが大嫌いな見栄っ張りな子なのだ。
必死に頑張る子に「ガリ勉」なんて軽く言っちゃう子なのだ。

しかし、一つ一つの面接が終わるたびに電話をかけてきてその日聞かれたことや、自分の答えを再現してどこが悪いのかを聞いてきた。

薬学部の弟が目指すのは、医薬品メーカーや医療機器、検査薬業界。

もともと、給料が高いのもあって比較的人気で学歴を重視するこの業界は弟にとっては厳し過ぎる戦いだった。

数えきれないインターンの面接に落ちながらも、
4月の本選考の時期になると、ポツポツと面接を突破するようになった。

最初は、本気かよ…と陽キャな弟への積年の嫉妬の感情もなきにしもあらず面白半分で見ていた私もこの頃からは一つ一つの面接結果に一緒に一喜一憂した。

仕事で知り合う営業マンや、大学時代の友人で医薬品業界に入った友人たちに片っ端から連絡を取り頭を下げて面接の情報を集めて回った。

毎日仕事が終わると夜の2時過ぎまで作戦会議や面接の想定質問作成に明け暮れ、弟にインプットを繰り返した。

それでも、現実は厳しく。
四月の末に弟は一番力を入れて対策をしていて本気で勝負をかけていた中堅どころの製薬会社に立て続けに二次面接で祈られてしまった。

必死に感情を殺して、
次の面接の準備をする弟に私はこんなことを言ってしまった。

「もう、よかとじゃなかね。君はたいぎゃ頑張ったよぉ。君は姉ちゃんと違って地元には友達たくさんおるし、、薬剤師でも。そんな無理しなくても…」

姉馬鹿300%。
不採用通知が来るたびに顔に出さずにしょんぼりして追い詰められて行く弟を見ていることが辛かった。

しばらく弟は黙った。

そして、思いついたことを順番にはなす、
私が面接指導でいつも「頭悪そうに見えるけん、結論から話なっせ!」と遮る、感情を並べ立てる話し方でポロリぽろりと話し出した。

「姉ちゃん。
俺、地元出るまでは都会なんてどうでもよかった。地元には仲間もいるし、飲む場所もある。
でも、関西に住み始めて、今住んでるこの街に来てさ。
地元にいた頃は、こんなものがあるとは存在さえ知らんかった面白いもんがいっぱいあるってわかった。

姉ちゃん。

例えば俺が、地元に帰って薬局で働き始めてたくさん努力したら、またこの街に帰って来れる可能性はある?」

意外だった。
地元が好きで、好きで、地元の仲間とまた地元で暮らすことが彼の幸せだと思ってた。

答えることができない私に、彼は更に言った。


「俺、姉ちゃんの人生ずっと羨ましかった。
勉強ができて、やりたいこととか夢を叶えて大阪の大きな企業で働いて。

俺はいつも、頑張ってる人を真面目ちゃんとかガリ勉とかそういうふうに言ってきたけど、

ここまできて、俺の人生と頑張ってきた人の人生を比べてみたら、頑張ってきた人たちの人生の方が綺麗でキラキラしてて楽しそうだよ。

俺の人生、まだ空っぽだもん。

これが最後のチャンスでしょ。
きっと地元に帰って薬剤師になっても俺は楽しく仲間とやれるけど、俺は頑張ってる人の人生を手に入れたい。

いつも頑張ってる人が羨ましくて、逃げるんじゃなくて今回はその頑張ってる人に俺がなりたい。」

弟が私の人生をよく見ていたことに私は驚いたし、
私の方が彼を陽キャや馬鹿だと思って勝手に壁を作ってたのかもしれないと急に目の前にいる彼を前に恥ずかしくて死にたくなった。

それからは、とにかく今まで以上に努力をした。
2時までの面接練習が終わった後は、更に4時まで企業研究や追加エントリーできる企業を探した。


そして、5月の3週目。

弟は新幹線に乗って、業界圧倒的なリーディングカンパニーの本社東京に最終面接に向かった。

4時からの面接なのに昼の12時に面接会場の最寄りに着いた弟はそこから4時間弱本社ビルの目の前のカフェで時間を潰したらしい。

最終面接が終わった後、

「ダメだった。なんも答えられんかった。
頑張ったんだけど。。


人生は、ほろ苦いね、姉ちゃん。」


しょんぼりと電話をかけてきた弟の後ろから虚しく東京の地下鉄のアナウンスが聞こえていた。

そんなもんかもなあ。

なんも積み上げてなかった人間が就活だけ頑張ってもそりゃ人生そんなに甘くないかもしれんけど、それでもこんだけ頑張ったんだから少しくらいいいじゃないか。

これじゃほろ苦いんじゃなくて、苦すぎるよ。


と思った。


しかし、結末は呆気なく。


弟はその次の日、
その企業から内定を受け取った。

業界トップシェア。
リーディングカンパニー。
難攻不落の医療業界。

電話越しに泣き崩れる私に、弟も

「姉ちゃんが、めっちゃ頑張ってくれたとに、
ずっとずっと面接落ちて俺が無能で申し訳ないと思ってた…」

と、泣き崩れた。

とりあえず泣き止んでバイトに行った弟は、
その日バイト終わりにもう一度電話をかけてきた。


「今日バイトの人たちに内定先を自慢したよ!
俺、初めて死ぬほど頑張って自分で勝ち取ったものを人に自慢できた!

ずっといままで、
真面目になったり型にハマったり頑張ること、ちゃんとするのが苦手で逃げてきたけど、
それが俺ができるってことが分かって嬉しかった。
出来るようになれた!
俺、めっちゃ成長したよ!!!
本当に就活して、最後までやれてよかった。

姉ちゃんがいてくれてよかった!」


24年間彼の姉をやってきて、
彼のここまで晴れやかで嬉しそうな声を聞いたのは初めてだった。

弟は、春から丸の内にある本社で研修を受けてから配属になるらしい。

弟の就活が落ち着いて、
地元に帰った私は今はもう使われていない弟の部屋に何の気なしに入ってみると卒業文集が出てきた。

彼のページを開くと、

「僕は〇〇銀行の〇〇支店で将来は働きたいです。みんなかっこいいスーツ着ていつもニコニコ笑ってて建物はとても綺麗だからです!!」

小学生の弟は、地元の銀行の地元の繁華街にある大きな支店で働きたいと夢を語っていた。

きれいな建物で、都会で、ニコニコ笑って働く。

丸の内の一流企業で、にこにこ笑顔の似合うスペシャルな営業マンに、彼はなるのだ。


なる権利を得たのだ。
勝ち取ったのだ。

それを思うと私はまた、どうしても。
涙が止まらなくなってしまった。

ラインの着信を見ると、

「俺の就活のお祝いしよう!このお店がいい!予約とってあげるよ!」

と、三年目の社会人は少しだけ痛い金額のレストランをおねだりしてきた弟のメッセージをみて、私は泣きながら笑った。


いつまでもいつまでも、笑っていた。


おしまい。

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