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姉と弟との10ヶ月間

弟がいる。
それも2人弟がいる。

兄弟3人九州で生まれて、
私は19歳で京都の大学に出ていき、
上の弟も19歳で神戸の大学へ。

我が三人兄弟一番下の末っ子は、姉と弟と違って優秀で地元の大学の薬学部に現役で合格した。

人生24年目、彼はずっと九州にいる。

3人同じ親から生まれてきても性格は全然違う。

一番上の私は冒険好き
上の弟は野心家で、
下の弟は末っ子根性染み付いた現実家。

お兄ちゃんとお姉ちゃんが家を出て行っても、
コロコロと実家で父と母に可愛がられ、
家族の中の誰しも彼は地元の大学を卒業したら、
そのまま地元に就職して薬剤師としてささやかに幸せに生きていくだろう…と、思っていた。

19歳で私が家を出て行った時、
下の弟はまだ小学六年生で、離れて暮らす私にとっては弟ははいつまでも子ども子どもしい印象があった。

みんなの弟、家族みんなで可愛がっている末っ子ちゃん。

そんな弟の人生に触れた10ヶ月間について書いてみたいと思う。

去年の7月。
3年間続いたコロナ禍がようやく終わり、私はコロナが終わって初の香港旅行を計画していた。

親にその話をすると、

「だったら、弟ちゃんを連れて行ってあげてよ」

と、思わぬ言葉が出てきた。

弟は薬学部の5年生。
大学時代のほとんどをコロナと共に過ごしたコロナ世代で、私と上の弟が大学時代ガンガン海外に遊びに行っていたのに、彼は一度も大学生になってから海外旅行に行ったことはなかった。

母親はそのことを気にしていて、
彼にも海外旅行の経験をさせてあげてほしいとのことだった。

久しぶりの香港で、1人で行くのも心もとないとも思ったので、弟にラインで

「香港行く?」

と聞くと、意外にもすぐに「行く!」という返事が返ってきた。

そして、小さなスーツケースを持って大阪にやってきた弟と私は次の日関空から香港へ5泊6日の旅に出た。

香港の熱気や、日本と全く違う風景に圧倒されていた弟ではあったが、
意外にも異文化の類が大好きだったらしく食べたことがないものでも積極的に口に入れるし、
現地の人にも辿々しい英語でコミュニケーションを図りお買い物を楽しんでいた。

その道中

フェリーや、路面電車や、夜のホテルでとめどなく弟と話をした。

弟が最近何をしてるのか
どんなものが好きなのか
どんな大学生活を送っているのか

19歳で家を出てから、こんなにゆっくりとこの弟と話すのは初めてで、
質問攻めにしてしまったが、彼は意外にもぽつりぽつりと素直に答えてくれた。

「姉ちゃんはどうして、九州に帰ってこなかったの?」

そう。
19歳の私は大学卒業した後は故郷で先生になると言って、家を後にしたけれど弟はそれをしっかり覚えていたようだった。

「姉ちゃん教職途中でやめたし、実家の近くに中国関連の仕事なかったけんね」

というと、ふーん、とつまらなさそうに相槌を打たれた。

「じゃあ、お兄ちゃんはなんで就活したの?」

上の弟のことも聞いてきた。

「うーん、あいつはかっこいいことが好きだから、かっこいいスーツ着て都会で働きたかったみたいだね。あと、地元で薬剤師はいつでもできる、なんてこともいっとったよ。」

というと、

「そっか。」

とまた適当な返事をされた。

香港の夜景を見たり、船に乗ったり、私にとっては何回も見てきた景色でも、
その一つ一つを瞳の中に仕舞い込むように丁寧に味わってボーッとしている弟は、やっぱり私が家を出た時から何にも変わっていなかった。

末っ子らしく、上の弟と違って

「一緒に写真を撮ろう!」と言えば渋々でも写ってくれるし、私は心からこの弟と2人で旅行に行けてよかったなあ、と思った。

香港で買った限定カラーのナイキの靴とサングラスを大切そうに抱えて九州へ帰って行った弟は、その後地元の病院と薬局で実習に取り組むこととなった。

それから4ヶ月の時が流れて12月。

もうすっかり冬になったところで、
弟から「僕も企業を受けてみたい」という電話が入った。

「ええ、薬局の薬剤師さんになるんじゃないの?」

と聞いてみると、

「ううん、企業に入ってみたい」

と頑なに言う。

取り敢えず、実家に帰って話を聞くと、

彼自身うまく言葉に出して説明はできていなかったけれど、
このまま地元で薬剤師として一生地元で慎ましく暮らす前に何か挑戦してみたいと言う、抑えられない挑戦願望があったようだ。

末っ子で、上の弟ほど精神的にもタフではない彼が就活なんてして大丈夫なのかとも思ったけど、
なんだか意味不明な迫力のある瞳に押されて、
なし崩し的に弟の就活にまたしても巻き込まれる羽目になった。

そう、2年ぶり。
2回目である。

(2年前に書いた上の弟との話)

上の弟の就活にも巻き込まれた私は、
それはそれは大変な苦労をして上の弟を企業に押し込んだ過去があったので、
母や父から下の弟はどうやら地元で薬剤師になるらしい、と言う言葉を聞いて内心ほっとしていたのである。

「お兄ちゃんも、姉ちゃんに相談しながら企業に入ったんだよね。僕も入りたい」

もう一回遊べるドン!

頭の中で太鼓の達人の例のアナウンスが鳴り響いた。

かくして、年明けも早々に再び私はスマホにリクナビ2025やらマイナビ2025やら、就活会議やらのアプリをインストールし、サイトに登録し、3回目の就活戦線に放り込まれる羽目になった。

悲壮な覚悟で「企業に入ってやるんだ!」という熱い思いを持ってた上の弟と比べて、

「僕も、姉ちゃんとお兄ちゃんとおんなじ企業に入れるかなあ」

と言うなんともゆるいノリの弟を片目に。

内心で、

こりゃ、、最悪決まらないかもしれんなあ。。

と暗澹たる気持ちになったりもした。

真っ白なエントリーシートの束を抱えてやってきた弟とどうやってエントリーシートを書くか考えた時、さらに絶望する。


書くことが、ないのである。

もう一度いう。

カクコトガナイノデアル

上の弟はまだ野球部に入っていたし、持ち前の人間の華やかさと印象的なキャラクターという武器があった。

しかし目の前にいるこの子には、

ナンニモカクコトガナイノデアル。

コロナ禍を過ごしてきた弟は、時代がそうさせてしまったところもあるものの、
もともと派手で華やかなことよりも地道にコツコツの方が得意で、一つのことを直向きに頑張れる努力家タイプの人間なのだ。

頭のおかしな姉と、超絶パリピの兄に囲まれて育ち、いつも家族の真ん中でニコニコと穏やかに楽しく暮らしていた弟。

私にとっては可愛い可愛い弟なのだが、

やはり就活は目立ったもの勝ちなところがあって、外国語が話せるだの海外インターンだの、体育会だの、華やかな人たちの方が有利なゲーム。

この制度に文句をつけることは簡単だが、
この制度で勝たなければ希望の企業には入れない。

こういう場合は、勝った後に文句をつければいい。

勝ってもないくせに文句を言うとその文句は意見ではなく「負け犬の遠吠え」になってしまうからである。

なんとかアルバイト経験と、なけなしのサークル経験を元手にエントリーシートを埋めて、中堅どころの製薬会社にエントリーをしてみると、
薬学部ということもあって面接やインターンには呼んでもらえた。

しかしその全てで弟は良い結果を残すことはできなかった。

一生懸命面接の練習をして、思ってることを言葉にしたのに、何回も何回も不合格を突きつけられる弟を見ていると、なんだか本当に私まで惨めな気持ちになってしまった。

あんな面接ごときで、うちのかわいいかわいい弟の何がわかるって言うのさ!
派手で華やかな子ばっかり取ろうとするから現場は苦労するんだぞ!

と、悪態をつきたくなるのをグッと抑え込む私をよそに、弟はお気楽にあいも変わらず福々として、いつものように穏やかな様子だ。

「君ね、焦ったりとかないの?」

と我慢できずに聞くと、

「だって、、お兄ちゃんが。」

「お兄ちゃんが??」

「お兄ちゃんが、姉ちゃんのこと信じて言うこと聞いて頑張ったら絶対大丈夫って言ってたもん」

と言われてしまった。

末っ子根性恐るべし。
危機的状況なのに、ここまで誰かを無邪気に信用してメンタルを保てるのか、、と感動してしまった。

しかし、弟は一番手応えを感じていた会社に立て続けに2社不採用を突きつけられてしまった。

どちらかは、決まると思っていた。

一生懸命面接の練習もしたし、基本的な受け答えはできていた。


受かるはずの勝負だったのに、落ちてしまったのだ。

流石にいつもご機嫌の弟もしょぼくれて、

「集団面接とかインターンの時、東大とか京大の人とか、都会の大学の人たちとかみんなすごかったもん。英語とか留学とか僕そんなのしてこなかったし、僕は姉ちゃんやお兄ちゃんとは違うのかなあ…」

とへこたれてしまった。

弟は、本当にいいものを持ってるのだ。

一つのことを誰も見てなくても、長い目でどっしり構えてコツコツ続けられること。

地味な作業や、しんどいことも嫌がらずに忍耐強く努力できること。

いつだってご機嫌で自分の機嫌は自分で取れること。

どれも簡単に見えて誰も真似できないことで、
弟にしかない良さなのに、それは面接のたかだか15分や20分ではあまりに伝えるのが難しい魅力なのだ。

「大丈夫だよ。君は魅力的な人間だよ。 お姉ちゃんも、お兄ちゃんもそう思ってるもん。
しっかり会社の人に君の良さが伝われば、絶対君のことが欲しくなると思う。
お姉ちゃんの言うこと信じて頑張ろうよ。
もうちょっとだけでいいからさ。
そしたら絶対大丈夫なんだから」

と、言いながら私自身も本気で弟を合格させてやろうと思い始めていた。

そして、色々考えた結果、

業界ナンバーワンの超大手企業にチャレンジすることにした。


気でも狂ったのか、と止める親や上の弟の言葉を押さえつける。

別に私だってヤケクソになったわけではない。
ちゃんと考えてのことなのだ。

中堅どころの見る目のない人事よりも、
超大手企業の人事の人たちの方が弟の伝わりにくい良さを分かってくれるのではないかと思った。

それに、大手なら都会の大学や華やかな経歴の子達もたくさん受けてくるが、弟のように実直で真面目なことが取り柄の素朴な子は珍しいのではないかと踏んだのだ。

そして、大手はやはり中堅どころよりも採用人数も多いからラッキーパンチが決まるかもしれない!

ここまで苦戦してきたら、何かを抜本的に変えなければ受かるわけがない。

そう思ったわけで。

一生懸命手書きのエントリーシートを書き、祈るように提出する弟を横目に「今回は絶対に負けん」と言う覚悟を決めた。

そして、この読みが当たったか、
弟は初めて一次面接を突破した。

初の面接突破に興奮して空に登っていきそうな弟を現実に引き摺り下ろしてきて、

二次面接に向けて、時には飴を時には鞭を振り回しながら、追いかけまわし、それでも心許ない出来上がりの弟を祈るような気持ちで二次面接へ送り込んだ。

その翌日弟はまたしても通過の通知を受け取った。

「次が最終面接。東京であるらしい」

緊張した声で弟は言った。

この時点で弟の手の中にある持ち駒はこの超大手企業の最終面接一つだけ。

姉がみみっちくも落ちた時に備えて、
中小企業のエントリーシートの準備をしているのに対して、

「姉ちゃん、もういい。ここに入れなかったら僕は地元に帰って薬剤師になるよ。
だから、絶対これに勝つ。
ここに入ること以外は、考えなくていい。」

と、言い放った。


おい、見てろよ東京人。
都会育ちの奴ら。

うちの弟は江戸っ子顔負けの勝負師なんだ。

潔くて思い切りがいいだろ。

前日入りして翌日の午後から面接。

「気晴らしに東京タワーでも見てきたら?」

と言う姉に対して。

「住めばいくらでも見れるけん、今回はいい。」

と、静かな声で言った。

性格は少しおとなしい。
地味だけど噛めば噛むほど美味しい。

そんな九州から来た就活生。

伝えたいことを書き込んだノートと睨めっこして、この数ヶ月間何回も何回も練習してきたんだ。

勤務時間だったけど、同じ空の下で弟が面接を受けている時間帯は全くもって仕事に集中できずにずっと神様に祈ってた。

東京の本社のオフィスの高層ビルで、
初めての役員面接。

「ああ、某企業の役員の皆様。

皆様の何十年に渡るサラリーマン生活の中で養った人をみる目が腐ってなければ、きっとあなたたちは私の弟の伝わりにくい魅力を拾い上げてくれますよね。」

そんなことを思った。

面接会場から出てきた弟はすぐに電話をくれて、

「言いたいことは全部伝えてきた。やりきった。
もう後悔ない」

と、開口一番言い放った。

そして、私の祈りが届いたのか。

否、某大企業の役員の皆様の眼力はやはり素晴らしく、弟の魅力をしっかりと見抜いて丁寧に拾い上げて、


弟に合格の電話をくれた。


面接前の一瞬だけ見せてくれた勝負師の顔はすぐに消え失せて、元の甘タレ末っ子の声で、

「受かったー」

と心底ホッとした声を電話口で聞いてヘナヘナとその場に倒れ込んで泣いてしまった。

弟の、
少し口下手なところ。
でも、その中にある真面目で努力家で一つのことをコツコツ続けられるところ。
自分の後輩や自分より困ってる人や立場の弱い人にどこまでも優しくできるところ。
目の前のことに全力で取り組めるところ。

そういう、TOEICのスコアや留学経験やサークルのキャプテンや、海外ボランティアでは表現できない強みが、伝わって評価されたことがすごく嬉しかったし、日本社会も捨てたもんじゃない、と思えた。

「よかったね」

と、やっとの思いで言うと

「姉ちゃん、嬉しい?」

と聞いてきた。

「うんうん。嬉しいよ。君がお姉ちゃんのこと最後まで信じて頑張ってくれて、お姉ちゃんやお兄ちゃんよりもっともっとすごいところに決まったことも全部嬉しいよ」

「ありがとう。姉ちゃん、僕、姉ちゃんの弟でラッキーだった!」

と言ってちょっと泣きそうな声で笑ってた。

毎日毎日、「面接の練習しよう」といってここ3ヶ月電話が絶えることはなかった。

時々めんどくさいと思ったことも正直あったし、
大変だった。

でも、やってよかったなと心から思った。

弟は来年から九州を出て、広い世界に向けて漕ぎ出していく。

自分で掴み取ったチケット片手に、
たくさんの希望と夢を詰め込んだスーツケースを片手に彼はどこまでいくんだろうか。

幸せだといいね。
楽しいといいね。

ポロポロ涙が止まらなかったけど、
こんなに気持ちのいい涙を流せるのは久しぶりのことだった。

香港から始まった私と弟の10ヶ月の2人旅はここでひとまず一件落着。

おしまい。

でも、頼りない足取りでも前に進み続ける弟が最後に大きなものを掴み取ったのを目の前で見ていて、自分の人生も捨てちゃいけないと、後ろ向きだった自分の毎日についても前向きな気持ちになれた。

来年3月の国試が終わったら弟は大阪にやってきて、一緒に名刺入れを買いに行く。

それまでには、弟が誇れるような存在であれるように私もまた大阪で頑張ろうと少し背筋が伸びる。

そんな、爽やかな4月の終わり。

あっという間に5月がきて、私は人生初めての海外出張に出かけるのだがそれはまた別のお話で。

皆様良き人生を!

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