子どもに「我慢」って、必要ですか?
私が、子育ての中で 強く感じること。
子どもには
---すぐ諦める子にならないように
---嫌なことも絶えて活路を見出せるように
---メンタルや忍耐力を鍛えるために
---肉体的・精神的苦痛に打ち勝つために
我慢強さを備えさせなさい。
そんな重圧と責任を、
親として 日本社会から押し付けられている。
ーーーそんな風に感じて 息苦しい
*:.。.:・:.。.:*・゜゚
ーー本当に「我慢」って必要なの?
今日は、母親としての素朴な疑問の呟き。
ーー「我慢する」は能力では?
能力には、向き不向きがある。
---大人になって社会に合流する頃までの獲得
なんて 少し基準も下げた長期目標にしていい?
もう一歩 踏み込み、本音 も記してみる。
ーーーその能力を得たいのかは、
個人に選択の権利 が欲しい。
なぜなら、
そう、思えてならないのです。
_↓introduction________________________
私は30代専業主婦。
小4トンガリ息子と小1ほんわか娘がいます。
---未就学時代:インターナショナルスクール
---小学校:多様性と創造性が理念な私立小学校
---習い事:各方面にかなり多め。
私の労力と家庭の支出の多くが「教育」を占める。
🌳息子は、好奇心が旺盛で イタズラやおふざけが大好き。私と違う価値観を持ち、独創的な論理に基づき 考察・行動 する。一見 頑固だけど、論理に矛盾を察知すると、かなり柔軟に対応。---小2の頃に「生きる意味が分からない」と、一時不登校に。その後2年ほど、カスタマイズする形で通学していた。
🌸娘は、可愛い好きで 甘え上手な甘えん坊。私と似た価値観を持ち、ささやかな事でハッピーなれる。時に、理不尽な怒りや悲しみを振りかざす、けれど 驚くべき切り替えの早さで回復。---小学校や先生が大好きで、誰よりも早く登校し、係的な活動にも情熱を注ぐ。
_______________________introduction↑_
⒈「我慢」の定義
我慢は、昔は反対を意味(仏教の煩悩の一つで 強い自己意識から起こす慢心)した言葉だったそう。この記事では、下記の現在の意味で用います。
⒉「我慢」の難しさ、「個性」によって違う事実
個性の異なる2人の側にいて感じる。
同じ「我慢」を強いても、
超えるのに 必要な「頑張り」が違う
*:.。.:・:.。.:*・゜゚
トンガリ息子は、小学校生活全般にとても苦労した.
未就学時代は インターナショナルスクール だった。
私も 初めてのお母さん業で 未熟 そのもの。
彼を取り巻く環境、少数派の選択が多かったかも。
だから、大切な何かを 落 としたのだろう….
そう感じて、
ーー息子にも 彼の友達や学校にも「申し訳ない」
そればかりが 私の頭を占めていた。
子ども達が寝静まった後の部屋、
ーーこのまま夜であればいいのに
ーー明日なんか 来なければ良いのに
目に入る景色をただ眺めて 毎晩とにかく泣いた。
感情に飽きるまで 一極集中し考え悲しみきった。
次の日は気を一新し、子どもが寝るまで持たせる。
----そして、夜に また泣く。
長い間、そのサイクルで凌いでいた。
なぜ この子は、
こんなにも「我慢」ができないのか?
私、当時の先生、彼を煙たがる人達、
共通の疑問 だった….と思う。
彼の「我慢できない」の反抗に、
ーーそういうものだから
ーー周りの人の気持ちを考えてみて
と諭す人達は「我慢 を身につける大切さ」を知っていて、彼を案じたのだろう。
ただ 私に限っては、
自分が「我慢」を迂回ばかりしたから、眩しい存在だった。あれがあると、日本では強いのだろう…と、自分は持たないのに、小学生社会と日本社会ばかりを意識し、息子の個性をよく意識する事なく、「我慢」を身につけて欲しいと強く願った.
でも、彼は ”当たり前” で強いられる「我慢」を受け入れることを拒み続けた。
---連絡帳をノートに書く理由が分からない
---体育座りの必要性が分からない
---なぜ、授業中の姿勢まで決められるのか
---つまらない授業を集中する振りは 無意味だ
---宿題を学校でやっていけない理由は何か
---休み時間なのに 自由に休めないのはおかしい
---言葉だって暴力なのに 先生はそっちは放置だ
---ルールを盾に みんなが意地悪をする
トンガリ息子にとっては、
周囲の多くが「我慢」にも含めていないものから、
辛く屈辱で膨大なエネルギーを要する「我慢」だった。
そして、彼は 小学2年生 春。
-----完全に 心が折れた
*・゜゚・*:.。.:・:.。.:*・゜゚・*:
同じ家庭環境で育ったはずなのに、
ほんわか娘は、苦労なく同じ学校環境に合流した。
トンガリ息子の問題が山積して、
ほんわか娘に 彼と違う選択を作る余裕がなかった。
ーー彼女には、小学校を違う選択をしよう
そう、考え構えていた部分も大きかった。
それなのに、
娘は 予想に反し強く主張したのだ。
----私は お兄ちゃんと同じ学校がいいの!
彼女の登校初日、見送った後に 動悸と涙が襲った。
ーーまた、子どもが苦しむ?
ーー彼女は 私の癒しだ。
次は 私はきっと耐えられない。
とても憂鬱だった。
*:.。.:・:.。.:*・゜゚
今は もうすぐ、
ほんわか娘の小学1年生が終わる頃。
驚くほどに 何も起きない。
学校側から提示されるような 問題が一つもない。
トンガリ息子にとって「我慢」の対象だった疑問、
ほんわか娘にとっては「我慢の必要がない」対象だった。
この類の「感情」、率先して教えた事ないのに、
彼女には 標準装備 だった。
ーーーこの ストッパー が機能すると、
「我慢」が 本人にとって必要な物になる
*・゜゚・*:.。.:・:.。.:*・゜゚・*:
そして、
今の私は 確信に近いモノを持つ。
一律で「我慢」を強いること。
それは、徒競走で皆んなを
---ウサイン・ボルト 氏の様に走りなさい
彼のように走れると運動会で活躍出来るから
と、迫るのと似ている?……と感じている。
⒊「我慢できる」も能力、 「我慢できない」も能力
前述した通り、
私には「我慢」への憧れがある。
一般的に「我慢」の必要性は、
学業や部活動や仕事等を 例とし説かれるだろう。
どの項目も、私には 未体験な領域。
かなり神々しく見える。
持たざる者には、心惹かれるものが強い。
*・゜゚・*:.。.:・:.。.:*・゜゚・*:
トンガリ息子は、伝記 が大好き。
以前の彼は、偉人を例に挙げて疑問を呈した。
ーーこの人達は「我慢」をしたのか?
ーーめんどくさい が発明に繋がるんでしょ?
とりわけ エジソン が好き。
ーーエジソンは 小学校を辞めさせられた。
でも、多くの発明をしたすごい人だ。
最近の彼は「人間の存在価値」をこう定義する。
ーー人間の存在価値は 社会を豊かにする行動だ
エジソンに価値ないと言う人はいないよね?
社会が豊かになれば、みんなが嬉しいんだ。
ちょっと待て。お母さんは ついていけない。
話の単位が「時間軸」にも「対象数」としても大きすぎる。
でも、これが トンガリ息子の能力?
「我慢する能力」を持たない代わりに、
我慢の必要ない「新しい選択肢を作る能力」
を秘めているのかも。
そう 思えたら、どんなに楽しいだろう….
年末の彼は、時折 日本の将来を心配した。
ーーお母さん、日本は どうなるのだろうか?
考え始めると、心配で眠れない。
おぉ、これは 大河ドラマ 渋沢栄一の影響が大きい?
なんて、私は 彼を眺め推理する。笑
精彩を放ち語る息子を、私は心配する。
関心の単位が大きすぎると、現実の着地がズレる.
集団には最適解でも、個人の最適解と限らない。
ーーもっと言葉を尽くし説明できないと、
あなたは理解されない。
ーー理解できないものは「我儘」と呼ばれる。
「我儘」は「我慢」に吸収される。
*:.。.:・:.。.:*・゜゚
一方の ほんわか娘。
彼女は 自分と身近な人に関心が強い。
先日の就寝前のお話タイム。
お題は、自分の好きなことは何か?
ーー私は 工作が好き。
作った物を人にあげると喜んでもらえる。
嬉しそうなのが、私も嬉しい。
そういえば、小学校に入学した頃は 悩んでいた。
ーーママは、一人は好き?
私、一人だと悲しくなる。何でだろう?
休み時間に遊ぶ人いないから 折り紙するの。
好きなのに、悲しいの。
うんうん、そうね。気持ちよく分かるなぁ….
こちらの単位の話には、心から共感。
不安がる娘を眺め、彼女は大丈夫そうと安堵する。
自分や近い人の感情に、小さな単位に、関心がある.
究極に大切なことは ここだけ。
この感情を溢れさせ、他の事象に広げていく。
これが健全で、幸せへ繋がる思考、と私は考える。
地に足を付けた出発は、自分の周辺からズレない。
「我慢」の根拠、論理より感情に起因する所が多い.
最近の私は 頭 では、そう結論づける。
「感情」を大切にする彼女の考えは、
理解しやすく、優しさを感じさせ、安心で満たす。
だから、
「我慢できる能力」の高さ と比例する。
*・゜゚・*:.。.:・:.。.:*・゜゚・*:
「我慢」に美徳を感じるのは 優しい人が多いから?
ーー「我慢」が「良い人」を生むのではなく、
「良い人」の中に「我慢」できる人が多い。
なんて、仮説も立ちそう?
と、考えてみたりしなくもなくもない。
⒋「我慢」は、 諦めた人の言葉….?
「我慢」の意味って 何なのだろう?
ーー自分自身を抑制して耐える、かなりの苦行。
それでも私たちが大切と思うのは、なぜ?
「我慢」を選択すると、問題から逃げない。
ーー時間が解決できること、多い。
ーー「あきらめたら試合終了だよ」なんて有名な漫画のセリフもある
時間による解決って、時間かからない?
ーー我慢する時は、何かを欲する時よね?
ーー「それ 本当に自分に必要?」と既に考えた?
ーー自分を抑制して耐える、本当に最善策?
「我慢」という言葉、危険性を孕まない?
実際に「我慢」の言葉の側にいて思うこと。
ーー人によって示す範囲が違う。
ーー真面目で良い人である程に 範囲が広くない?
ーー範囲が広いと 幸せが遠のく傾向にない?
自分や他人にも厳しいと 心労が多くなりそう.
----架空の良人を想像し、勝手に苦しくなる
*:.。.:・:.。.:*・゜゚
何か 欲する ものがある時。
ーー行動手前の 考えるだけの段階
---「戦略を練る」の言葉がある
周りに 迷惑 がかかる行動を制する時。
ーー他の言葉で制止できるだろう。
---というか、この時の言葉は「具体性」が必要.
でないと、何が悪いのか理解できず繰り返す
「我慢」って、誰の幸せに繋がるの?
「我慢」って、本当に 何かを生んでいるの?
とっても 不思議。
私の羨望する感情に反して、疑問が乱立する。
⒌「我慢」に代わる選択肢を考えてみる
言葉としての「我慢」が消滅しても、
対象がなくなる事を 意味しない。
今、私たちが「我慢」で解決する事柄。
どう置き換えると、毎日がより健やかになる?
今ある工程、分解し不要を除去し 再構築 が必要.
さもないと、時間と共に 問題が蔓延り続ける。
こういう困った事案には、
先人の視点 を借りるのが良い信じている。
だって、自分の経験だけで挑むのは 心細すぎる。笑
1)孫氏の兵法から、アプローチしてみる
私は、孫氏の兵法 が好き。
いつも困った時は、まず孫氏さんに相談。笑
この場合の敵は、『我慢の対象』。
まずは、「対象の吟味」をする。
敵を手中に収めた 自分を想像する。
ーー本当に欲しいかな?
ーーもっと自分に近い モノ で代用できない?
---だって、代用で賄えば ラク だよ。
---代用は ズル じゃないよ。
創意工夫 って呼んでも良いと思うよ?
自分を誘惑しても、「必要」と判断したら 観察 する.
ーーそれは 何で形を保っている?
ーーどこまでの人や物に関わりがある?
ーー利害が生じるのは誰?何?
ーー欲しい流れを止めるボトルネックはどこ?
そして、自分の持つものも 確認 する。
ーー自分には 何がある?
ーー必要なのに ないものは?
ーー自分の立場を自覚も大切。
---分不相応な態度は 戦場にすら辿り着けない
---案件外でのふるいがけは 悔しい。
けれど、常には添わないと 険しさが増す
--- 険しさを踏み倒す程の攻撃力、持たないから仕方ない
苦戦したら、孫子さんの陣内に帰還し 休息 する。
回復できると、再び 戦場に飛び込む。
そうやって、描いたサイクルを 何度も回す。
「我慢不要の落とし所」に整うまで 諦めない。
これは「我慢」とは違う。
でも、
「我慢の対象」へのアプローチ。
こちらの方が「ただ我慢」よりも 素敵じゃない?
*:.。.:・:.。.:*・゜゚
この時に、法則 で自分を縛るのも大切。
考え込むと忘れがちになるので 気をつけないと。
これを落とすと、
目的を達成しても きっと幸せになれない。
これを気をつけるには、
対処の吟味 から サイクルを回すのが大切。
重ねるごとに、
ーー自分の目的が相手にも配慮された形に近づくことが期待できる。
2)リンカーン氏の言葉から、広げていく
もう少し、平和的なトライ法も考えられそう。
元アメリカ大統領のエイブラハム・リンカーン氏は、下記名言を残す。
リンカーン氏ほどの偉大な人でも、
ーー木を切る事(我慢の対象)を達成するのに
十分に 斧(自分) を研いでから挑戦する
なるほど、そうすると、
ーーちっぽけな私では 同じ条件では まだ不可能
プラスα の発想 が必要だろう
*:.。.:・:.。.:*・゜゚
「木を切る」目的達成の形から、時間を遡り考察。
ーー斧で木を切る
---私には 力も体力も根性もない。
だめ。工夫できる余地が少ない。
ーー斧を眺めて考える
---私は 斧の研ぎ方を知らない。
それに4時間も磨ける?
……強烈に つまらない香りしかない。
ーー木を眺めて考える
---木って、これでないとダメ?
だって、この木は立派すぎるよ?
私は、可憐な雰囲気の方が好みだよ。
ーーーそうだ!!
----えっ?1時間で切れる木は細すぎ?
ーーそうよね、私もそう思う。
でも私、手にマメも筋肉痛も嫌。
細い木を選ぶ方が 幸せになれそうなの。
問 から 解決 まで好みの軌跡を描けたら、
実世界の問と手段に 置き換えていく。
抽象の世界から 具体的に戻ってくると、
自分にとっての「正解が広くなる」ように思う。
選択の余地が広いと、息苦しくない。
ある程度の自由、とっても快適。
ただ、
置き換えは、そっくりそのまま は不可能と心得る。
迷走しても失踪しない様「印」としての役割なだけ.
--この場合の「印」は、
「我慢」周辺の楽しさやスキ度合いの確認
これも「我慢」とは違う。
でも、
「我慢の対象」へのアプローチ。
こちらの方が「ただ我慢」よりも 魅力ない?
*・゜゚・*:.。.:・:.。.:*・゜゚・*:
思考実験は、思考の世界の話。
過信しすぎないよう 気をつけないと。
⒍考える程に 「我慢」 が分からなくなる
いつも私は、悩みの渦に迷子 になる。
考え散らかり、決断の天秤に上手く材料を載せられない。
既に持つ価値観 と 新たに得た情報。
それぞれの一つずつの正確な重さが分からない。
思考の中では、経験にならない からだろう。
だから、誰かの経験を借りて 重さを知ろうとする。
ーー子どもに「我慢」必要ですか?
ーーその「我慢」、何に繋がりましたか?
ーー「我慢」に代わる良案、本当にないのかな?
ーー「我慢必要」の対極案にこんなのあるけど、どう思いますか?
そして、教えて欲しくなる。
ーーぜひ 貴方の「我慢」の魅力を教えて欲しい
ーー沢山話しても「我慢」が大事とブレない
あなたこそは、「我慢」の猛者なのだ!!
ーーどうか、無知な私を説得して。
----分からない状態が、とっても苦しいの。
この辛さから 解放してくれないかな。
いや、それ以上に 願ってるのかも。
ーーぜひ 貴方の中に広がる論理 を見せて
論理構造が理解できれば、
きっと 貴方の視界が、私からも見える。
私達にフィットするかは 分からない。
けれど、
視界が共有できると 良いとこ取りができる。
ーーー 和解案 が生まれるーーー
穏やかに、ふんわりと、楽しさに、明るさに、
包まれる 煌めく 考えになる
…..これも、我慢に代わる選択肢?
*・゜゚・*:.。.:・:.。.:*・゜゚・*:
そして、大概。
問の出口 が見えてきたかな?と思える頃に、
ーー内から 懐を剣で刺される
ーー背後から 蹴りなぎ倒される
息子:お母さん….
トイレに行きたい……
私:えーー!!!
カヌー乗る前にトイレ行ったよね!?
息子:トイレ、綺麗じゃなかったから、
……止めたんだ…..本当ごめん。
私:はいーー?💢
どうしよもないから、我慢なさい😤
*:.。.:・:.。.:*・゜゚
自分の持った 主張。
総仕上げに、記憶の中で走らせる。
描いたサイクルに 不具合ないか確認する。
すると、大概。
子ども自身が 再度検討 を突きつけてくる。
そう、
気持ち良く信じたかったのに….
全て日本社会のせいにして 軽くなりたかったのに。
結局は、自分達の中にも 原因 が見えてくる。
考えども 考えども、思うように進めない。
早くこのサイクルから 解放されたい。
自他ともに、清々しく、
「我慢を放棄する権利」を獲得するため、
気付けてもいない根底から、
良くない壮大なサイクルに回されている…?
----そんな気配を微かに感じる。笑
問の根幹、一体 どこにあるのだろう??
*・゜゚・*:.。.:・:.。.:*・゜゚・*:
最後までお読みいただき、ありがとうございます。感謝です。サポートも嬉しいのですが、『スキ』をいただけるならば、ポジティブに今日も頑張れます♪