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「日本人は以前はたくさん来ていたけれど、今はあまりいないね。今はロシアの人がたくさん来ているよ」

わたしが日本人だと知った近くの商店のおじいさんがそう言った。

タイの島でも、マレーシアのクアラルンプールでもそうだった。
あちこちからロシアの言葉の響きが聞こえてくる。
特にこぎれいで大きなレジデンスにはロシアのファミリーが滞在していることも多い。

未だおさまらぬ戦禍の中で苦しみ命を落とす人たちがいる一方で、あたたかい国でのんびりと過ごす人たちもいる。

そんな実情を見たとき、複雑な気持ちになった。

ニュースを見て、国を見て、何も思わないのだろうか。
プールやビーチで一日を過ごし、何を考えているのだろう。
そんな風に彼らを非難する気持ちも湧いてきた。

だけれどもわたしもきっと、母国が戦争を始めたら、国を離れ、どこかあたたかな場所で過ごすだろう。

国のために命を投げ出して戦うこともできないし、かと言って戦いを止めることもできない。

せめて、自分の心の中だけでも穏やかでいられるようにと、静かな場所に身を置きたいと思うだろう。

もしかすると中にはウクライナの人もいるかもしれない。
他にも、母国で戦争や紛争が起こっているという国の人たちもいるかもしれない。

いろいろな背景を抱えた人たちが、何食わぬ顔でゆったりと過ごしている場所が世界にはあちこちあるだろう。

戦争は国と国との戦いなのだとつくづく思う。

国を背負っていなければ、各国の人同士が出会ったとしても殺し合ったりはしない。

国民を守るために国は戦争をし、国を守るために国民は戦う。

いや、国を統治する政治組織、いわゆる国家が、国を守るために戦争をすると言った方がいいだろうか。
国家は国の内部を統制するだけではなく、国際社会の中で自国のポジションや領土をを守らなければならない。
戦う国のそれぞれに正義があり、その正義の元で血が流れる。
国家にとっての正義が、国民の命を守るとは限らない。

これは戦争以外のことにも言えるだろう。

経済成長を追う社会の中で、人々は健やかに人生を送ることができているだろうか。
国際競争に打ち勝つための技術開発の先に、充足した人生があるのだろうか。

この世界は矛盾だらけだ。

そもそも上手く噛み合わないはずの歯車が、無理やり同じ場所に押し込まれている。


それもそのはず、世界をつくっているわたしたちが矛盾を抱えた存在なのだ。

地球環境が破壊されることに憂いながらもすでにある便利さを手放せず、
世界の平和を願いながら、家庭の中で喧嘩をする。

いつかやってくる未来を夢見て今日の喜びに目をつぶり、
自分の人生の正しさを信じられても、異なる人生の選択を受け入れることはできない。

自由に生きたいと思いながら肩書きがなくなることを恐れ、
無条件に愛されたいと思いながら、人を無条件では愛せない。

そんな、愚かで矛盾した存在がわたしたちだ。

だから世界ではいつまでも争いが絶えないし、全ての人が笑顔で満足した人生を送るときもやってこないかもしれない。

だとしたらどうしたらいいか。
その答えはひとりひとりが見つけていくことになるだろう。

少なくとも、誰かが言っている正解なんてものはある一つのものの見方に過ぎないし、ましてやそこにある正義なんてものは自分だと思っているものを生き延びさせるための幻想に過ぎない。

だから、目を開き、見続ける。


人間は愚かで、世界は矛盾に満ちている。

そう気づいてしまうと、ときに生きることは余計に難しくなるけれど、それでも、美しいところだけを切り取られた世界だけを見て生きるのよりずっと、いのちを生きている実感を感じながら生きられるのではないかと思う。

2023.2.2 Ubud, Indonesia Bali

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