鳥の声が聞こえ始め、部屋の中がうっすらと明るくなり始めていることに気づいた。
そんな風に自然と眼が覚める感覚が久しぶりで、そうそう、こうやって目覚めたかったのだとうれしくなる。
身支度とベッドメイキングをしてカーテンを開け、部屋の前のポーチに出る。
鳥の声、虫の声、水の音。
その中にいつまでも佇んでいられそうだ。
それでも、ここではジャーナルを書こうとパソコンを開く。
昨日、クアラルンプールの中心部から空港に向かうタクシーの中で、街中に向かう車線に車が並んでいる様子が目に入ってきた。8時前、人々は列をなして高層ビルの並ぶ都心に吸い寄せられる。
今までさまざまな国の暮らしを見てきたけれど、この街の様子が一番、東京や日本の人の暮らしに重なる。
他の国はもっと、社会に歪みがあって、影があった。
都市化・現代化する社会の中に取り残された人たちがいて、でもそんな人たちの暮らしがどこか朗らかであるように思えて、「人間の向かう方向はこれでいいのだろうか」と、疑問が生まれた。
しかしクアラルンプールは違った。
みんなが揃って、同じ方向に向かうベルトコンベアーに乗っている。
便利さと消費の中に浸かってしまい、その中では小さな違和感さえ生まれない。
次々と建設される高層ビルの中に身を置くと、経済成長が幻想であること、その土台となる資源が有限であることに気づかなくなる。
この街の持った加速度はもう緩まることはないだろう。
経済という指標で世界が測られるとしたら、世界はこんな場所になっていく(そして人間は地球とともに滅びていく)のだということを、見せているような場所。
旋回する飛行機の中から島の端っこのビーチの先に広がる浅葱色の海を眺めて、「還ってきた」と感じた。
迎えに来てくれたドライバーは、出発してしばらくして天気のことを聞いたわたしに、申し訳なさそうに「英語があまり話せない」と言った。
バリ島は世界的な観光地でもあるので英語が話せる人が多いのかと思っていたがどうやらそうでもないらしい。
英語が話せないことはむしろ大歓迎だ。
静かな時間を求めてここに来たのだから。
「わたしもあまり話せません」と笑って返して、気兼ねなく窓の外を眺めることにした。
バリ島を初めて訪れたけれどどこか懐かしく感じるのはあちこちのあまり都市化していない国や地域で見てきたように、雑減とした景色があるからだろう。
人が地に足を下ろして日々の暮らしを作ってきた中で生まれるカオス。
そこにはビル群の中にはない、生き生きとしたエネルギーがある。
景色を眺めていると、自分の中に様々な感覚が生まれていることが分かる。
やはりわたしには、静かな一人の時間が必要なのだ、と感じる。
クアラルンプールの空港で、バンコクに向かう飛行機の搭乗口とバリ島に向かう飛行機の搭乗口は隣り合っていた。
「元気で、楽しんでね」
と声を掛け合い、飛行機に乗り込んだ。
バンコク行きの方が出発予定時刻は早かったが、バリ島行きの方が先に離陸することになった。
滑走路を走り出した飛行機の中で、これまで何度も空港で大切な人を見送ってきたことを思い出した。
新しい地に旅立つことを何度も見送られてもきた。
でも今日は、見送るわけでも、見送られるわけでもない。
並行して進む電車のように、時が止まっているような瞬間を経て、それぞれがそれぞれの行き先に向かう。
そんな景色が思い浮かび、清々しい気持ちがやってきた。
「2年間、毎日毎日一緒にいたね」
空港で彼はそう笑った。
そう、毎日毎日、しかも、朝から晩まで。
そんな中で相手への信頼だけでなく、自分への信頼も育ったからこそ、こうして別々に旅をすることができるのだ。
どんなところで、どんな状況にあっても、必ず自分とともにいる。
そんな自分を思い出すことが人生の前半のテーマだったのだろう。
そんな自分で、ひとりで旅をして、それからまた大切な人と旅をする。
これからはそんな時間を繰り返していくことになるのだろうか。
そう言えばインドネシアに来たかったんだった。
タクシーの窓の向こうに過ぎていく景色を眺めながらふと思い出した。
コーチングの会社に入るために東京に引っ越した頃、知り合いにインドネシアに住んでいたことがある人がいて、話に聞くアジアの空気に惹かれて、漠然とだけれど、東京の次はアジアに行く、と思っていた。
そのための具体的な方法が浮かんでいたわけではなかったけれど、気持ちだけはあったのでLINEのプロフィール欄に「東京経由ジャカルタ行き」と書いてまでいた。
あれから10年。
気づけばインドネシアにやってきていた。
ジャカルタではなくて、バリ島だったけれど。
2年間ずっと彼と一緒に旅をしてきたけれど、ここには一人でやってきた。
この10年間、きっと大きな旅をしてきたということなのだろう。
福岡にいた頃も、東京に行った後も、「この場所にいなくてどこかに向かっている感じがする」と言われることがあった。
きっと実際にそうだったのだと思う。
今は、もうここではないどこかに向かうことはない。
どこにいても、そのときいる場所が、自分自身が、自分の居場所だ。
朝日の中に立ち昇っていた草木や花の匂いが消えて、木々の枝が揺れ始めた。
町はもうすっかり目覚めている。
2023.2.1 7:34 Ubud, Indonesia Bali
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