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ほの暗くて静かなあの場所から

5歳くらいのことだろうか。

一時的に耳が聞こえなくなったことがあった。

「聞こえていないということにすぐには気づかず、聞いていないと思って怒ってしまって申し訳なかった」と大人になってから母に謝られたが、幸か不幸か「歯磨きをしたのにしていないとこっぴどく怒られた」という理不尽な体験の方が強烈で、聞こえなかったときに嫌な思いをしたという記憶はない。


ただ、静かな場所にいたということはどこかで覚えていたのだろう。

ひとりで大きめのバスタブのある部屋に住んでいたときは、湯船の中で仰向けになり鼻と口の先だけお湯から出して頭も顔もお湯の中に入れるということをよくやっていた。

目を閉じてキラキラとした水の音に揺られていると、無限の宇宙をひとり小舟で漂っているような感覚になる。

静かであたたかな孤独。

ゆったりとくつろぐことができる、なつかしい場所。

それは耳が聞こえなくなったときにいた場所で、
いくつもの巡る人生の中で何度も出会ってきた場所なのだと思う。


日本を離れて欧州に向かう前、東京でふと訪れた美術館で美しい楽器の話に出会った。

世界の果てのさびしい場所に、風が吹くとくじらの鳴き声を奏でる楽器が設置されているという。

「世界のどこかにそんな場所があると思うと、なんだかすてきではありませんか」と、そんなことが書かれていた。

いつか世界の果てを訪れて、その楽器の音を聞きたいと思った。


欧州でひとり長い長い冬の時期を過ごして、今のパートナーに出会った。

心には春がきたけれど、オランダの冬はまだまだ長くて、混乱した世界がどうなるかもわからなくて、そんな中、二人で旅に出ることにした。

半年ほど経った後、スーツケースを一回り小さいものに変えるために荷物を預けている彼のお姉さんの家に向かった。

オランダの南の端の半島にある小さな町で、散歩に向かった海辺には冷たくて強い風が吹きつけていた。

しばらく歩くと、小さな丘の上に竹のような長い棒が何本も突き出ているのが見えた。

不思議に思って近づくと彼が言った。

「これは楽器だよ。風が吹くと音が鳴るんだ」


たくさんのものを手に入れて、失って、やってきた世界の果てで、薄曇りの空の下、風が奏でる楽器がある場所にたどり着いた。


セッションのときはそんな場所からクライアントさんの話を聴いている。

言葉の意味ではなく、言葉の響きを聴いている。

海の底で仲間を呼ぶ鯨の声のような、せつなくてあたたかな響き。

静かでやわらかな孤独を知っているから、
そこがかえる場所なのだとわかっているから、
ただそこに、ともに佇む。


世界の果てにある、鯨の声を奏でる楽器のように
わたしたちはひとりひとり、それぞれの音楽を奏でている。

どんな自分も自分の一部だと受け入れたとき、
全ての音が重なり合って、荘厳な音楽が聞こえてくる。

その瞬間にしか聞こえない音楽が
確かにそこにあるのだと、一緒に聞き届ける。


ひとりひとりの奏でる音楽が重なり合って、
さらに大きな音楽になる。


この世を去るときにはきっと、
それまで聞いてきた音楽のことを思い出すだろう。

そして、儚く美しい、世界を包む音楽の中に、
わたしも還っていくのだろう。


このページをご覧くださってありがとうございます。あなたの心の底にあるものと何かつながることがあれば嬉しいです。言葉と言葉にならないものたちに静かに向き合い続けるために、贈りものは心と体を整えることに役立てさせていただきます。