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盂蘭盆会 –お盆に思う

西日本各地で大雨が続く予報です。
どうぞ皆さまご安全に、と願います。

東日本では7月がお盆と聞きますが
西日本各地は盂蘭盆会(うらぼんえ)といい
例年8月13日頃がお盆のところが多いです。

宗教・宗派で違いはあれど。

愛しい方々、そうでもない方々。

あちらへ還られたどなた様の御霊(みたま)も、
このときばかりはこちらへと
帰っていらっしゃることができるとされている期間。

今日はそんなお盆に思うお話をば。

お時間あればご覧くださいませ。


猛暑日だった先日、所用で四国から出ました。

道中、電車の中で開いたnote記事。

そこにはバイオリニストのYUKIさんが演奏された
とある一曲が紹介されていました。

↓もとのYUKIさんの投稿はこちら。

そう、スタジオジブリの有名な作品

『千と千尋の神隠し』

からバイオリニストYUKIさんが演奏。

それを録音して公開してくださったもの。

その挿絵に使われていたのは、アニメの中で
千尋(千)がおにぎりを食べながら涙を流す場面。


バイオリン演奏を聴きながら
どこか撃ち抜かれたような衝撃を覚えました。


note記事から飛び出した、絵と音と言の葉。

たまたまそのとき口にしていた
めぐまつさんとたしか同郷の、
新潟県産米塩むすび。

(画像はそのおいしかった塩むすびの抜け殻)

さらには、車窓に流れる抜けるような青空と白い雲。


…そこに過去の記憶が駄目押しのごとく
ズドーン!と飛び込んで。

鼻の奥が激しくツーン、としました。


油断していたらダダ泣きするところだった。


このときもうひとつ思い出していたのがこちら。


期せずして、至上の御三方の組み合わせ。

全てが揃ったような、
脳内ビンゴ大当たりの一人フィーバー状態。


震えるこころ、押し寄せる記憶。



あぁ、思い出した…

特別なものじゃない、


これだ…

そう、

これだ。


私にとってのソウルフードは数あれど、
不動の一位かつ最高のメニューは、
この

おむすび

中でも新米でにぎるおむすびは最高です。

新米でなくとも、誰かが私のことを思って
にぎってくれる、そんなおむすびは
ハクが千に食べさせたものと同じ質。


他の方のことはわかりませんから
実際には比べようがないけれど
私はなにかこう、
食べて涙することが人様より多い気がします。


一番古い記憶は12歳のとき。

ちぎりたてのイチジクをもらってきた祖父が
私が学校から帰ったら食べさせるようにと
言い置いて永遠に帰らぬ人となった日の夜。

泣きながら、甘いイチジク食べました。


次の記憶は15歳で家を離れ、
窮屈で思い通りにならない
修道生活のような寄宿舎にて。

朝ごはんは食パン一枚と牛乳、ゆで卵1個に
フルーツが一切れつくのが定番でした。

皮付きバナナを手で食べることは許されず、
ナイフとフォークで皮を取り、切り分けて
一口ずつフォークで口に運ぶのがマナー。

私語もなく静寂の中での堅苦しい食事。

家での気ままさ、気楽さを思い出しては
面倒なバナナを食べながら涙する朝。


この、高校時代を過ごした寄宿舎は
原則として毎週末と長期休暇などは
親もとに帰らねばならないルールでした。

まだ瀬戸大橋が架かっていなかった頃で
土曜日は半日授業があった時代。

毎週末ごとに本州と四国を結ぶ
ちょうど1時間の連絡船の旅と、
その前後には計約3時間ほどの汽車の旅。

そんなわけで家に着くのはいつも夕方。

最寄駅からの汽車に一本乗り損ねたら、
次の船の出航までたしか1時間は
ロスしていた記憶があります。

冬なんか、もう真っ暗でした。

帰宅してホッとしたのも束の間。

一晩寝たらまたお昼には忙しなく家を出て、
夕方の門限までに寄宿舎に戻らねばなりません。

正味、一泊一日の帰省。

毎週毎週帰るたびに、母親や祖母、親戚、
近所の可愛がってくれたおばちゃん達までもが
戦地に我が子を送り出すかのような勢いで
代わるがわるお菓子やら食べものやらを
なにかと私に持たせてくれました。


寄宿舎生は平日は学校のあった丘を
降りることはできませんでした。
おやつはほんの少しなら購買で買えるものの
ごくごく限られていました。

一日の分刻みの日課の中で唯一の楽しみは
夜の学習時間の合間にある、
45分間の休憩時間。

この時間だけはおしゃべりしてもいいし
おやつを食べてもいいし
手紙を書いたり本や漫画を読んだり
ピアノやギターを弾いたりすることも
ラジオや音楽を聴くことも許されていました。

携帯電話がない時代ですから
公衆電話に並べるのもほぼこの時間帯だけ。

用があって家に電話すると、
受話器の向こうから聞こえるテレビの音や
祖母の咳払い、懐かしい生活音や
可愛がっていたネコが察知して私を呼ぶ声。

テレビもこのときだけ見ることができました。
談話室に2台ありましたが上級生が優先。

なのでほとんど見たことはなく、
家から持たせてくれたお菓子をワイワイと
同級生と食堂で食べるのが常でした。


楽しい時間は45分なんてあっという間。
5分前には次の学習時間の準備に入るので、
実質は40分ほど。

私はなかなかこの集団生活に慣れず
休憩時間に友達とお菓子を食べながら
家に帰りたいとよく泣きました。

ほんの5〜6日が永く感じられ、耐え難かったのです。


そんな毎日だったので、できることならば
学校に戻りたくなかった毎週日曜日。

グズグズしている私を横目に、母はよく
炊き立ての白米で小さめのおむすびをいくつも握り
厚焼き卵と、私が喜びそうなおかずをこしらえます。

祖母が煮つけた、弁当には不向きなおかずや
給食には出ない高そうなフルーツとともに
折箱に詰め、連絡船の中で食べるようにと
持たせてくれることがありました。

ただ、もうこの時点で私の気分は
あぁ、また暗い一週間が始まる…と、
地の底まで落ちている状態です。

食事は喉を通りません。

さらに、訳あって人目を気にしていた時期でした。

往復の道中は必ず制服着用が義務でしたので


「家の名に傷をつけてはいけない」


「親の顔に泥を塗ってはいけない」


「学校の名に傷をつけてはいけない」

こんなことを本気で思っていました。

ずっと見られているようで、緊張の連続。

ちょっと勘違いなマイルールを持っていて
女子が人前で食事をするのは

「はしたないこと」

と、露ほども疑っていなかったので、
連絡船の開放的なデッキでみんなで食べる
うどん以外はハードルが高いものでした。

うどんだけはなぜか自分に許可していたあたり、
なんなんだ!と振り返って思います(笑)


日曜日の夕方は、寄宿舎に着いたら
夕食までのほんのひととき自由時間。

三々五々に親元から帰ってくる友達を
先に戻っていた友達と食堂で待ちながら、
連絡船で食べなかった折詰をいただきます。


折詰には、二升炊きのガス釜で炊きあげる
真っ白でツヤツヤのご飯。

ほんのりしょっぱくて、
味附海苔がベチャッとなった俵むすび。

中は梅干しかな、鮭かな、と
ちょっとドキドキしながら手を伸ばす楽しみ。
(好きなのはシャケ)

しっかり握ってあるのに
一口かぶればホロリホロリと飯粒がくずれ
柔らかく口に入る、絶妙の握り具合。



甘くて中が半熟の、厚焼きたまご。


祖母が煮つけてくれた、食べにくいけど
甘辛くておいしかった煮物。


今頃、家族もご飯食べてるんだろうなぁって
外が暗くなる中だんだんしんみりする時間。

ふと、なにか大事なことを忘れてきたような。

なにか思い出さなくちゃいけないような。

そんな不安や限りない懐かしさに襲われて。



おむすびを頬ばりながら、こぼれる涙。



大人になってから涙した食べものもあります。

毎年冬になると、遠く秋田の地から届く
きりたんぽ鍋のセット。

大好きだった祖母の親類縁者が
今なお孫だった私たちにと贈ってくれるもの。

きりたんぽ鍋は祖母との思い出。

いや、むしろ祖母そのものかもしれません。

寒い日にできたて熱々をいただくたんぽ鍋。

見るたびいただくたび何度でもよみがえる
祖母と私の珠玉の思い出。

  (…の割には雑な盛りつけ↓)


またあるときは強いストレスに曝されて
食事が摂れなくなったことがありました。

すると今度は無理して食べようにも
身体が固形物を受け付けなくなります。


誰にも言えない苦悩を抱え自分の感情や
存在意義もわからなくなりました。

それでも日々をやり過ごさざるを得ず。

おいしいはずのものを食べても砂を噛むよう。
身体も食べものを拒絶します。

生ける屍(しかばね)ってこういうことか…
なんて鬱々と思いわずらっていた頃。

これならどうかと心を込めて、丁寧に
野菜のスープをひいてくれた人がありました。


冬の足音近づく、とても冷たい夜でした。


ためらいながらのひと匙を口にしたとたん
身体じゅうに沁み渡る、温かい慈愛のスープ。

私の目からは堰を切ったように涙があふれ
いつぶりか、嗚咽したことだけ覚えています。

雪の女王の城で氷のパズルをし続けていた
少年カイの心が解けたときって、
きっとこんなだったろうと
あとになって思ったものでした。

小林聡美さんが出演していた
『めがね』『すいか』『かもめ食堂』あたりの
食べものシーン満載の映画やドラマ。

ご覧になった方にはわかっていただけるような
人を癒やす、そういう深い料理でした。

辰巳芳子さんが上梓していた

『あなたのために 
  いのちを支えるスープ』


という本がありましたが、
まさにそういったスープのひとつだったと思います。

実際これを機に、生気を取り戻したのだから。


このときのことは数ある人生経験のなかでも
とりわけ強烈だったうちのひとつでした。

つい最近まで喉に刺さった小骨のように
ふとした拍子に浮きあがっては
チクチクと心を刺していたような。


最後に、最も直近の涙した食べもののお話。

日本が誇る霊峰富士にほど近い場所で
昨年おいしい食事をいただく機会に恵まれました。

そこで提供された一杯の椀もの。
すましの汁もの椀でした。

丁寧に丁寧に手間暇かけてひかれたであろう
透きとおったお出汁に、山の幸・海の恵み。

つゆを含むと、おいしいのはもとより

かつてのあの日と同じ、
身体じゅうに沁み渡る慈愛を感じて
泣けてきた、という経験をしました。

心とか魂とかいうものがあるならば
その深いところがうれしさとありがたさで
うち震えている、そんな感じ。(どんな感じ…)

まさかあの寒かった日のスープと同じ感覚を
ここで再び味わうとは思ってもみず。

そのうえ、最後まで残っていた小さな棘が
まるで落ちてきたひとひらの雪のように
音もなくスッと解けてしまったことに、
そしてそれは、「あ、あのときだ!」と
あとになって気がつきました。



食べものは「いのちのかけら」。

別のいのちのひとかけらが
今を生きる私たちのいのちを支えてくれています。


そしてもうひとつ、大切なこと。

手料理には、それをつくる人の波動が乗る

ということ。


波動が乗る、というのがわかりにくければ
波動が移る、転写されるとか。

(え?ますますわからない?)

つくる人の想いの丈が、その手を通して
お料理に乗っかって。

だからつくる人の想いや心がけひとつで

召し上がる人にとって癒しにもなれば毒にもなる。

あな恐ろしや…(そういう話じゃない)


「私」をつくるのは。

「私」を構成する諸々は。

これまで出会い、関わってくれたり
愛や情、思いやりをかけてくれた、
たくさんの人や物、経験や先人の知恵のたまもの。


それら全てにありがとうの感謝を込めて
今夜はとびきりおいしい塩むすびと
盆だんご、こしらえようと思います。

帰ってこられるご先祖さまたち、
こんな時期なので墓まで行かず
実は仏壇もございませんが、
うちで私が代わりに食べますね(笑)

来られるのかしら?と思うけど、
意識体ならきっといらっしゃることができるはず。

(シランケド)


食べもので泣くことがあるのはたぶん
味とかメニューがどうこうという理由ではなくて。

それにまつわる記憶だったり、
なによりもこの慈愛の波動エネルギーが
手を通して伝わるからこそなのだと思います。

つくる人の愛だけではなく
その食べもののもとになった素材の愛や
その素材を育てた人の愛、
ひいてはその素材が生まれた土地や
生えていた場所の土や水のエネルギー。

とどのつまりは、たぶん地球からの無償の愛や
降り注ぐ太陽エネルギーをはじめとする
宇宙からの愛のエネルギーを
どの程度保ってきているかによるのかも、と感じました。



お盆には、そんな愛をかけてくれて
あの世に還っていかれた
愛しいお身内や友人知己の方々だけでなく、
そうでないさまよえる方々、モノモノとも
距離が近くなると言われています。

だからお施餓鬼(せがき)といって
河原に行って石を積み、
朴葉(ホオノキの葉)に載せた握り飯やお団子を
決まった数だけお供えする風習もあります。

きっと、かつての私が慈愛のスープで
固くなった氷の心をとかしてもらったように、
そんな方々、モノモノも温かい気持ちになって
本来の愛へと戻っていかれるのかもしれません。

(ええ、もちろん本当のところはシランケド、です)


ご自分のために、ご家族のために。

こんなときこそ心配のエネルギーではなく
感謝の心や優しく沁み渡るような慈愛を込めて

「いのちのかけら」

に日々触れるようになさってはいかがでしょう。


特に今、お子さんを育てている方々。

ご自身の波動が変わるとほかのご家族も変わりますよ。

フラワーエッセンスを使うようになって、
実際の経験から私もこのことが腑に落ちました。

フラワーエッセンスがなくても、
心がけひとつで変えられます。

試しに、
イライラしながら握ったおむすびと
ゴキゲンさんな気分で握ったおむすびを、
お子さんに食べ比べてみてもらってください!


Special thanks:

バイオリニストYUKIさん

めぐまつさん

つきよるほしこさん

気づきと演奏と問いかけを得たことで
私自身がまたひとつ癒やされました。

ありがとうございました。

ここまで読んでくださった皆様にも。

大変ありがとうございました!



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