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双極性障害になって20年

カレンダーの日付を確認して、ふと気づく。
私が双極性障害になってもう20年になるのか…。

病歴20年目を記念日として覚えてはいなかった。
もう病気は自分の一部であり、
「あたりまえ」のようになっていた。

メンタル疾患を抱える人の少なくない人が、寛解を望んでいる。
私も病気になって10年までは寛解(事実上病気が完全に治ること)に
希望を持っていた。

残念ながら寛解はしなかった。
それに近い時期は確かにあったのだが、
服薬量を減らすとともに、
メンタルが上下し、日常生活が乱されることが多くなり、
病気は再発した。

でも、今は「病気が治らないことは絶望ではない」と思っている。

確かに、病気によっていろんな制約・失敗・喪失があった。
けれど、絶望するときは、
決まって体調が悪いときなのだ。
人生に雨の日が来たのだと、
布団に丸まって、晴れるのを待つ。

晴れてしまえば、絶望の影が薄くなる。
おいしいものを食べれば、好きなものが増えたと思えるし、
面白い本を読めば、知的好奇心と共にワクワクできる。

焦らずそれだけをすることで、
なんとかなってきたという繰り返しが、
病歴20年の年の功なのかもしれない。

ところで、
病気と付き合う上での3ステップというのがあるらしい。
否認→受容→感謝
だ。

否認は「病気を認めない」状態。
受容は「病気を受け入れた」状態。
感謝は「病気や周囲の人に感謝する」状態。

今の受容の段階に至るまで、長い間否認をしていた。
「病気が治りさえすれば、万全の人生が待っている」
そう思って、服薬をなくすこと、寛解を目指すことに
こだわっていた気がする。
そういう万全・完全な人生を追い求めることは、
かなりの葛藤を生み出す。

人生と病気を受け入れ、手持ちのカードで工夫や勝負をすることのほうが、
多くの葛藤を抱えつつ完璧な人生を目指すよりも、
マイペースで歩を進められるのに気づいたのは、本当に最近だ。

今が受容だとして、次の感謝のステップを考えてみる。

感謝のステップで異質なのは「病気に感謝する」と言う事だろう。
病気のおかげで、よかったことなどあっただろうか?

双極性障害は人生の起伏をとらえやすい病気だ。
「調子が良すぎる」と思った時が躁状態。
「調子が悪すぎる」と思った時が鬱状態。
人生を振り返るときは、過去の気分の波を辿っていけば、
時間をかけずに大方を振り返ることができる。

とすると、気分の波の変化が人生の大きな要素であり、
そのコントロールを考えることが、
人生の質に大きな影響を与えると理解できれば、
「病気の受容」とともに「人生の受容」を深く行える。

また、「自分の能力の限界を理解しやすい」というのもあるかもしれない。
これだけの負荷をかければ、体を壊すというのが身に染みてわかる。
人並み以上に働けないというのは、とても残念だが、
そうではない生き方に幸せや意義を見いだすための大きなきっかけが、
双極性障害であったということかもしれない。

他者への感謝も忘れないようにしたい。
メンタル疾患では、視野が狭まっている上に、
自分の苦痛ばかりを気にして、
他者の存在を度外視してしまいがちだからだ。

20年という長い病気との付き合いの中で、
いろいろと気づいたことを挙げてみた。

病気を受け入れることができたといっても、
人生の課題は山ほどある。
とくに病気がひどかった時に発生したトラブルは、
もつれた毛糸玉のようで、今でも夢でうなされる。

けれど、希望は持ち続けることができる。
人生は絶えず変化が起こっていると言う事。
思ってもみない事、人、変化、イベント。
自分が思っているほど「人生は絶望ではない」と、
変化は扉をノックしている。

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