見出し画像

日本史を勉強してなくても覚えといてほしい2つの年

皆様こんにちは。
本田拓郎(Takuro Honda)と申します。
この記事へお越しくださいまして、ありがとうございます。

 このnoteでは、今現在観光業に就いている私が、私の目線で、「観光・旅行・歴史・文化・教育」について、知識や新たな発見の提供、その他自論を展開し、古代ギリシャでいう「アゴラ」のような場所を目指します。私が勉強していることを皆様とも一緒に学ぶというスタイルで、記事を創っていきます。

 私の本職は旅行会社勤務の営業マンですが、元々は教員を志していた人間です。よく「体育科?」って聞かれますが、中学社会科と高校地理歴史科です。大学の専攻が西洋史でしたのでね。
 そこで今週は、歴史を勉強していない方でも、歴史から現代を読み解くことができる2つの年にタイムスリップしてみましょう。今日は日本編です。

拙い文章力と乏しい考察力ではありますが、
最後までお付き合い、お願いいたします。

1.1185年

 日本の歴史におけるターニングポイントの1つが1185年です。あんまり印象のない年号かもしれません。なぜなら、私たちが小学生の頃は、この年号で教科書に載ってなかったからです。

 私たちが習ったのは、1192年です。そう、鎌倉幕府が開かれた年はもう、「いい国作ろう」ではないんです。

 そもそもあの時代って、意外と史料が残ってないんですよね。源平合戦で平氏が滅ぼされて、大事な史料が燃やされたり、海に沈められたりしていたからなんですよね。源頼朝の有名な肖像も「似せ絵」と呼ばれる、創造で描かれた絵ですからね。

 さて、この1185年に鎌倉幕府が開かれたことが、どうして日本のターニングポイントなんでしょうか。答えは、政治の中心が天皇から武士へ移ったからです。

 でも、これにはちゃんと予兆があって、1167年に平清盛が太政大臣になって、武士が政治に関わるようになってきます。そこで対立していた源氏と権力争いを繰り広げ、1185年の壇ノ浦の戦いで源氏が平氏を滅亡させます。その時源氏の統領が源頼朝。幼き頃に流された伊豆の近くであり、守りが固い地形だった鎌倉を拠点に武家政権を発足させます。それが、鎌倉幕府です。

 そもそもそうなるためには、朝廷から「征夷大将軍」に任命されなければいけません。源氏は、清和天皇の血を引いていて、その清和天皇の前を辿ると、坂上田村麻呂まで行きます。そう、征夷大将軍は、征夷大将軍の血を引いてないとなれないんですね。

 話が逸れまくってますが、言ってしまえばこの事件って、日本で初めて起こった「革命」なんですよね。政治形態が180°変わった出来事で、これをきっかけに戦国時代を経て江戸時代へ、武士が世の中を治める時代が続いていきます。

2.1868年

 もう1つ、日本史における革命が起こります。それが「明治維新」です。1853年にペリーが浦賀に来航したことで、長く続いた鎖国体制が崩壊します。それに伴い、薩摩藩や長州藩を中心に、「尊王攘夷」が起こり、外国と対等に戦える国作りを唱えていきます。

 1867年に江戸幕府15代将軍の徳川慶喜が、朝廷に政権を返す「大政奉還」が行われると、旧幕府軍と新政府軍との間で戊辰戦争が始まります。結局新政府側に軍配が上がり、尊王攘夷を唱えていた薩摩藩や長州藩出身の人物を中心に、新たな政治形態を整えていきます。

 それが1868年から始まった明治時代であり、そこから長く続くことになる「明治維新」というわけです。言ってしまえばこれも日本で起こった「革命」の1つです。

 この革命以降、日本は急速に近代化を進めていきます。1871年に国は岩倉具視を代表とした、岩倉使節団を欧米に派遣します。そこで、国家の骨格を形成する要素を吸収し、2つのスローガンが打ち立てられます。「富国強兵」「殖産興業」です。

 1872年学制の発布富岡製糸場の操業、翌1873年には徴兵令地租改正、更に翌1874年には民選議院設立建白書と、立て続けに富国強兵・殖産興業政策を遂行します。1889年大日本帝国憲法の発布1890年第1回帝国議会招集と、政治体制も整備されました。

 1894年には政策が実を結び、日清戦争に勝利。ついに世界に日本の力を誇示したのです。しかし、あくまで私の意見ですが、ここからが敗戦国日本の始まりとも言えるのです。

 しかし、明治維新のおかげで、現代日本の大枠が作られたというのも事実です。学制は形態が変わりながらも、現代の義務教育へ繋がっていますし、選挙で選ばれた人が国会で政治を行うという民主主義の基本も、明治維新によって形作られたのです。

 こんな短くまとめられる時代ではないですが、ザックリ話すとこんな感じです。日本における2度目の革命は、現代に繋がるとっても大事な革命だったと言えるのではないでしょうか。

3.物語の続きを生きる私たち

 私がもし、某予備校の講師で、CMに出演するとしたら、

"History”には”Story”がある

って絶対言いたいんですよね。多分このフレーズ、前のどっかの記事でも使ったんですけど、何も間違ってないと思うんですよ。

 だって、長く続いてる歴史の中で、大きな事件が起きた場所に立ってたりするわけですし、今生きてる時代が、未来を変えるきっかけになるかもしれないわけですからね。

 何を言いたいかというと、歴史は必ず勉強すべきってことです。昨日も書きましたが、歴史を学べば現代社会がわかるようになってるんです。「わかんないじゃん」って思ってる人は、教えていた先生が悪い。多分。

 歴史を学ぶ意味は、私たちがどのようにして社会を創っていくかを考えるためです。特に日本史は、私たちが生活している国の物語。今回取り上げた2つの年だけでも良いので、頭に入れておけば、どこかで、現代の何かに必ず繋がると思います。

今回も最後まで読んでくださいまして、誠にありがとうございます。
また次回お会いしましょう。
Ciao...

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?