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【Effectorz】序章・瓦礫の楽土(1/3)

僅かばかりの勇気と信仰心しか持ち合わせない我々にとって、
ハッピーエンドは読者を悦ばせる商策でしかない。我々が信じているのは
天国ではなく地獄である。
ホルヘ・ルイス・ボルヘス『四循環』


 眼鏡を通してみるその風景は、無人で寂れた普通の街並みだった。
 アスファルトが日光を反射し、遠くを見ると逃げ水か大気の揺らぎの様なものも、偏光のサングラスを通して確認できた。
 道路は進行方向、地形に沿ってなだらかに登っている。道の左右には商店街の廃墟。その背後には大小の工場や工場、そして集合団地。云わば工業団地の一角の生活圏を今、二人で歩いている。
 先行して歩いていた緋崎は足を止めた。

「あそこの破れたフェンスの上にシャツの切れ端がある……そうだ、破れ目の右上だ。あれが【まだら蛇】トオルがやられた場所だ。
 そこから右手奥に7mのアスファルトの上……あそこにある。壊れた眼鏡が【山高】エリックが死んだ場所。<蚊の禿>のど真ん中にいる事に気付かなかったんだ。」

「遺体はどうなったんですか?」

ゾーンで遺体など残るものか。首だけ飛ばされて身体だけ残ったとしても、次に同じ場所に来た時にはああ言った何かしらの痕跡が残って、他はすべて消えている。」

「既に<歩く遺体>になっているとか?」

「想像の一つとしては悪く無いが、<歩く遺体>は来訪の時に逃げ遅れた連中だ。それにここまでのゾーンの深部に連中は足を踏み入れない。周囲のハイウェイを綺麗な隊列を作って行進しているだけだ。」

来訪の時って……だってあれは20年以上も……」

 私はそう言って頭に浮かぶ疑問を押しとどめた。
 彼は私の質問に答えながらも、また立ち止まり安全なルートを模索している。20年以上前に打ち捨てられた街並みと廃墟。安全なルートを見極められなければ元来たルートを撤退するか、さっきみ彼が見せたストーカーと同じ末路を辿るか、だ。
 今、私と彼が立っているのは小さな商店街の表通り。シャッターや店の扉などは全て開け放たれているが、人が居ないゴーストタウンになっている。放置された自動車が数台、自転車、ショッピングカート、フェンスに遮られた駐車場。よく見れば商店の中には損傷が激しく天上が崩れてる建物も所々に確認できる。
 道幅、あるいは細い脇道、あるいは建物の中を通り抜けるか。ここまで緋崎がゾーンを踏破してきた技術と能力は、一度二度、帯同した所で会得どころか猿真似すら不可能な術だと実感できる。
 彼は背広のポケットからナットを一つ取り出すと、徐に表通りの中ほどに投げた。
 ナットは太陽の光を反射して、緩やかな放物線を描き、乾いた音を立ててアスファルトの上に転がった。
 緋崎と私は、地面に転がったナットを暫く眺めていた。

「こっちの方に進むぞ。ナットの転がった手前10cmで立ち止まれ。」

 足元にはさっき投げたナットが転がってる。彼も私も再利用の為にそれを再び拾う事はしない。ゾーンと言うのはそういう場所だ。背後を改めて確認すると通って来たルートにナットの数々。そうじゃない場所にはストーカーしか判別できない目印が記されている。幾ら見ても古びれた普通の商店街が続いていた。
 目の前に立つストーカー、緋崎は紺のスーツに下ろしたてのワイシャツ、ネクタイもつけてその場面に存在している。ゴーストタウンを細身でフォーマルな服装をした男が慎重に歩いている場面。唯一違和感があるのは服装に似合わない偏光サングラス、これは私も同じもので目を保護している。
 軍産共同体のゾーン研究所や対ストーカー部隊の連中は完全防備の防護服に、<適量>でホバー走行するフライヤーに乗って、地上に降りる事も年に1度許可が下りるかどうかだと言う。実際にゾーンに政府や正規軍が侵入しただけでニュース速報、そしてもし生還したら2~3年(その間に命を落とさない限り)は英雄扱いでマスコミに取り上げられるのが通例だ。
 私は【青鷹】ツィマーマンが準備した都市迷彩の軍用ジャケットとパンツ、バックパック、ウェストバッグ。多めのペットボトルに非常食パウチ、応急キット。水や食料と言ったものは、一度のゾーン侵入で、脱出後に破棄処分する。緋崎は懐のスキットルに必要最低限の水分しか持ち込んでないのが伺えた。私は逆に、胸をいくらか圧迫する程、消耗品をポケットに詰め込んできてしまった。日差しの中、汗ばんだ胸元に風を通すのに襟を開いた。
 彼はゆっくり前進しながら、後ろを振り向かずに話しかけてきた。

「あと数セクションで、あんたの取りあえずの目的の品物がある場所だ。あんたは運が良い。」

「沙那です。遠山沙那、日本人。」

「ああ、すまなかった。どうせゾーンに呑まれたら覚えてる意味もないと思ってね。沙那、まずは死なずに帰る事だ。」

「私も今回だけでゾーンから距離を置く気はありません。生きて帰ったら次回も……お願いします緋崎さん」

 彼は顔色一つ変えず、こちらを一瞥した。

「ああ、悪かったついでにもう一つ。”さん”付けや、その名前で呼ばないでくれ……あとは黙って歩くんだ。沙那」

「わかりました【ヴァーミリオン】」

~~~~~

「北東第13ブロック、通称<循環器汚染地区>のカメラに侵入者二名!」

「間違いないのか!昼にストーカーだと?新参者か!」

「カメラの解析では間違いありません。熱源も捉えてます。」

「私が着任して1日経たずに侵入だと……莫迦にしおって!」

「過去には数時間遅れの映像、あるいは2,3日遅れた映像をカメラが捉えたケースも何例かありましたが……」

「今すぐに部隊とフライヤーは幾つ出せるのだ?ゾーンから何一つも持ち出させん!ストーカーなんぞには……まて、過去の映像だと?」

 壁一面のモニターには監視カメラの画像、しかし画面によってはノイズ交じりだったり不鮮明だったり、あるいは真っ暗だったりもする。
 部屋には机が並び、スパコンと接続されたワークステーションを管制官とオペレーターが慌ただしく操作していた。
 そして僕が監視管制室に足を踏み入れた時、交わされていたのはそんな会話だった。

「何故、監視カメラが捉えた時間がそんな事になるのだ?」

「カメラやセンサーはゾーンの外から、内部を監視しているだけです。将補も配属前にレクチャーを受けられたと思いますが、こちら側とゾーン内部の時間軸は線形に接続されていませんので、こういった事は普通に。」

「そうか……しかし実際に今現在、侵入が起こってる可能性もあるのだな?」

「無論、それも否定できません。」

 僕は「すまない」と馴染みの管制官に一声掛け、ショートカットキーを叩き映像を拡大して、画面に映る二人の人物を確認する。
 軍用戦闘服のバックパックを背負った小柄な女は初顔だ。それは体格や顔立ちだけではなく、ゾーンの中での所作や型でもそれと判別できる。スーツの背の高い男の背後を慎重に歩き、まだ浅い領域でも大分体力を消費しているのが見て取れる。そして、それを先導する、軽装のスーツの男は……

「【ヴァーミリオン】!?一匹狼のあの男がルーキーのストーカーのお守りとは……」

「先任陸曹長、知ってる男かね!?」

 任地替えで配属されたばかりの将補―――ゾーン管理研究棟に配属されるならエリートコースの人間なのだろう―――、このセクションの責任者になったばかりのその男が、僕にそう問いかけて来た。

「ええ、過去にはロシアやアルゼンチンのゾーンにも侵入経験のあるベテランです。」

「奴等の所属するグループやシンジケートは何処だ?それとも他国の手先か?」

「いえ……あの男は一匹狼です。【青鷹】ツィマーマンや【三つ目】オニザブロウあたりのグループとは品物の取引で互助関係を保ってますが。娘の方はルーキーでしょう」

 配属されたばかりの将補―――新司令官は見るからに焦っていた。
 それもストーカーによる軍産共同体や政府の損害を考えてではなく、配属直後に部下の前で恥をかかされたという怒りと焦りだ。
 僕は【ヴァーミリオン】や【青鷹】の様なゾーンで生き抜ける才能は乏しいが、彼らには無い組織や社会での感情の流れを読めるという自負があった。そしてあの男の様に、ただただゾーンの謎を解き明かそう、という情熱も乏しい。
 つまり僕がこの世界で生き延びる道は、組織の中で生き残る人間と死ぬ人間を見極める、その一点に集約される。
 そうなると、エリートコースを無傷で歩いてきたこの新司令官の次の言葉は・・・・

「先任陸曹長!現在出せる限りの部隊を武装させて、ストーカーの排除と生成物の回収に向かわせたまえ!」

「……お言葉ですが将補閣下、現在のシフトでは次の部隊の派遣可能時間はおおよそ5時間後です。各研究施設ではゾーン侵入から90日のスパンを置かないと次の派遣の許可は下りません。それにルート未確保の地区では、滞在を許可された8時間でストーカーにエンカウント出来るかどうかも……」

「ええい、ストーカーどもは数日おきで侵入し、時には一週間も滞在してゾーンを探索するというのに!
 こういった緊急時でも部隊やフライヤーを出せないというのか!?」

「閣下、我々は武装が認められているとは言え、ここに配属されてた限り建前上は公安や軍属ではなく民間研究者です。緊急出動は越権行為です。」

「ここからの部隊は最速8時間後か……」

「やむおえません、法整備は政府と国会の仕事なので。我々はせいぜい無干渉主義の議員に文句を言うくらいです。」

 僕は上官をなだめるのに、共感を装ったいつもの調子で軽口を使う。
 そして自分の本心は、口先とは真逆だとここで断っておこう。3か月に一回、そして8時間の滞在でもゾーンに派遣されるのは恐ろしい。その殉職率の高さだけではなく、今まで目にしてきたその”死に樣”が恐ろしいのだ。そして一度恐怖を覚えた人間は、次の侵入で確実に死ぬ。僕たちはそれを「死神がついた」と称する。
 僕もとっくの昔に「死神」に憑りつかれてはいたが、【ヴァーミリオン】のおかげでゾーンを騙し、今でも生きてこの場に立っていられるのだ。

「北東エリアと言ったな?……わかった、私の前任の軍駐屯地から部隊を緊急出動させる!」

「待ってください、研究員じゃなく単なる兵士をゾーンに入れるんですか?」

「そうだ。研究員とて同程度の武装はするのだ……緊急出動が可能な兵士に派遣要請、フライヤーと防護服の使用許可、そして侵入許可を研究所から要請する!」

 僕の予想を超える、無謀な男だったようだ。

「法的には問題ないかもしれませんが、前例を見るとそれは……」

「これは決定事項とする!最寄りの丁丑駐屯地は私の元部下が指揮を執っている。この研究所からは人材も武器も一切出さぬから安心しろ。」

「せめて、侵入要請ではなく境界区域のパトロールと捕縛に変更を。ゾーンの中では兵士も武器も意味が……」

「これは決定事項と言っている!」

~~~~~

   極東ゾーン北東地区、日本

   緋崎 一都(ひざき かずと) 33歳 【ヴァーミリオン】
   遠山 沙那(とおやま さな) 18歳 私立病院勤務准看護婦

 ゾーンに侵入してから時間はどれほど経っただろう?太陽はずっと直上にあり動いてないような感覚がずっと続いている。これがゾーンという場所の特性なのか、先行する緋崎に聞きたい質問が、進行と停止を繰り返す中で無数に浮かんでくる。
 私は会話の糸口を掴むため、彼に語り掛けた。

「【ヴァーミリオン】、ここに入る前に会った時はもっと無口で人間嫌いな印象でしたけど、ゾーンに入ってから私に色々話してくれるんですね。」

「それはゾーンの中では何が死につながるか解らないからだ、が……沙那が無礼な事を簡単に言うのは、少し前から気付いていた。」

「あ、すみません……」

 私は顔を赤らめた。そしてこれで彼が機嫌を損ねていないか彼の表情を確認したが、感情の起伏が読めない、落ち着いた顔立ちがそこにあった。

「気にしなくて良い。初めてゾーンに侵入した時は必ずチームで一人、普段よりも多弁になるかガタガタ震えだしてその場で動けなるかだ。
 まだ沙那は多弁になる方だから運が良い。立ち止まったらそこで探索を終わらせて帰る所だった。」

「そうなんですね……あ、でも最初から独りでゾーンに入った場合、人間はどうなってしまうんでしょうね?」

 緋崎はまた表情を変えず、ただ遠くを観察しながら少し思案した。そして口を開く。

「それは無意味な質問だな。」

「そうですよね。一人なら誰も様子を見ていないわけですし。自己申告にしたって本当かどうか……」

「いや違う。未経験者が独りでゾーンに入ると、死ぬからだ。」

 私は押し黙った。
 彼も私の様子を察して、再びルートの安全を確認するのにナットを投げる。
 投げた先は舗装が中途半端の道路で、他のアスファルトと比べて黒いものが使われている。緋崎は機械仕掛けの様に正確に、立ち止まってまた同じ動作を繰り返す。幾分傾いた太陽の光を反射し、ナットが放物線を描く―――
 ナットが地面に辺り金属音を響かせた瞬間、そこを中心に10数cmの円で、炎が舞い上がった!
 ナットはそのまま転がり、今度はその軌跡を中心に幅10数cmの火炎の道が、ナットの静止した地点まで続く。
 私も緋崎も、その炎が収まる数分間、紅く熱せられたナットを見つめていた。私はさっきまで汗を感じなかった額や脇や掌から、緊張の汗が噴き出すのを感じる。
 炎が消えたその後は、道路工事の時の様なアスファルトの焼ける臭いが周囲に漂ってきた。しかしそれ以外は、何も変わらない無人の商店街、そして背後に団地や工場の並ぶ風景だった。

「<火の綿毛>だ。こっちは暫く通れん、迂回するぞ。」

 私は暫く返事が出来なかった。彼は私を一瞥し、手足が震えてないのを確認すると、また新たなルートの見極めに周囲を観察しはじめる。

「この道路を越えさえすれば、ルートが確定した側溝がある……あそこだ、一つだけ蓋が開いてる側溝が見えるか?
 そこからは廃墟の宝飾店までは、目印がある。」

 私は黙って頷いた。正直、緊張で彼の言う蓋の開いた側溝もその先の宝飾店も確認などしていなかったが、
 ただ反射的に私は黙って頷いたのだった。(続く)

拓也 ◆mOrYeBoQbw

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