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【短篇】闇の天使 ~ザーヒル変奏曲~

 一人の男の話をしましょう。
 大停電の夜、マンションの屋上に出ていたその男は、生まれて初めて満天の星空を見ました。
 雲一つない夏の夜空に浮かぶ天の川。目を凝らすほど、普段見えない4等星や5等星、6等星の星々も浮かび上がり、低い位置には山の稜線が影になって波模様を描いています。
 目線から下の街は、真の漆黒。
 男は、地上から離れて頭上に浮かぶ星空に吸い込まれるような、そんな感覚を味わいました。

 男はその後も、その体験を忘れられずにいました。
 部屋や職場に居る時は、また晴れた夜に大規模停電にならないものか、と妄想を膨らませ、そして家には星空の写真集や天体観測の道具を、休日になると、星空観測で有名な人里離れた山奥や、都市の明かりの届かない離島へと足を伸ばし、星空を眺めてみるのでした。

 しかし、大停電の時のマンションの感覚は僅かばかりも戻ってきません。
 寧ろ、田舎の星空や誌面上の星空を見る度に、あの一夜の感覚が恋しく、渇望と焦燥に悩まされ、あの瞬間を取り戻したいという欲求が抑えられなくなってくるのでした。

 意を決した男は、手持ちの財産と借りられる限りの資金をかき集め、インターネットで自分の計画を実行してくれる人物を雇いました。

 計画実行のその日、天気は晴天、男はあの時の様にマンションの屋上に佇んでいました。
 一瞬、屋上の上から見える山の中腹付近で赤い閃光が煌めき、その数十秒後に、ダムと水力発電所から大きな重低音が、遅れて街まで届きました。
 それを合図に街の灯りは徐々に消えていきます。

 男は待ちに待った星空を眺めるために、ゆっくりと天上を見上げました。(完)

拓也 ◆mOrYeBoQbw

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