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名作コラム・ドノソ「夜のみだらな鳥」 ~究極の書、出口も解答も存在しない迷路~

 平成最後の4月26日深夜に、ラテンアメリカ文学翻訳、イスパニア研究で知られる鼓直先生の訃報が飛び込んできました。東北震災の最中、停電が長く続く間に鼓訳のボルヘスを読みふけっていた私にはとても残念な知らせとなりました。
 今回は昨年復刊され、ラテンアメリカ文学の金字塔にして世界的な奇書、そして鼓直先生訳の大作、アルゼンチン作家のホセ・ドノソ「夜のみだらな鳥」を紹介したいと思います。

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 まず第一に申し上げますと、”そこそこ読み込んでいる私自身、この作品の全容を理解しているとは言い難い”という事です。
 これまでのコラムで、<文学というジャンルは、その作品の文脈的事実に加えて、読者の数だけ受け取り方が有る>というのを展開してきましたが、ホセ・ドノソや、あるいはフランスのロブ=グリエあたりの作品になると、
<文脈的事実すら、様々に矛盾し分岐する>
という次元にまで変異していきます。この技法で有名なのが芥川龍之介「藪の中」と言えるでしょう。
 一般的な<文脈的事実の矛盾>は、芥川の様に多人称の認識や感情のもつれが生むリアリズム調の物、そしてSFやファンタジーで用いられる平行世界やリープ世界で用いられるパラドックス物と、一貫した公理系~基本ルールが存在しています。
 しかしながら!
 ドノソの<文脈的事実の矛盾>は唐突に、無秩序に、無作為に登場し、読者を翻弄していき、さらにそれ以上に読者を魅了していきます。

例えば、物語の語り手であり主人公である修道院の醜い下男ムディートは、実は優秀で学歴の有る美男子の秘書ウンベルトであり、アスコイティア一族の長ドン・ヘロニモの奥方イネスに子供を産ませ、その子<キッド>の教育係となり、修道院の孤児イリス・マテルーナにも子供を孕ませ、最終的にはそのイリスの産んだ子供ムディートとなって物語が終わります。

 主人公に起こる物事のあらましだけでも複雑ですが、これが時系列バラバラに配置され、他の様々な登場人物のエピソードも入り混じり、妖怪インブンチェ、地主の娘が乳母と黄色い犬に呪われる民話など、物語の鍵となる挿話も交え語られて行きます。
 唯一、物語の不動点となるのが舞台となる廃墟寸前でがらくただらけのエンカルナシオン修道院が、閉鎖への一途を辿る、という事だけになりますね。

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 更に物語を複雑にしているのは”意識の流れ””メタ構造”です。
 基本的に物語はムディート~ウンベルトによる独白形式の一人称ですが、登場人物たちの会話や独白から、突然その登場人物の”意識の流れ”に移行し、シームレスに継ぎ目なく主観の一人称の人物が変移します。
 これはバージニア・ウルフの「ダロウェイ夫人」「灯台へ」あたりから使われる手法ですが、それに時系列の変移も複雑に絡んで、死んでたはずの人物の主観で語られたり、更に主要人物が死んでいる事が突然判明したりと、物語の迷宮を更に複雑にしていきます。

 そしてメタ構造。
 作中で、学のある自称作家のウンベルト―――<キッド>の為に畸形だけを集めたリンコナーダを取り仕切っている男―――が、この「夜のみだらな鳥」を書き上げ出版した事が示唆されて、尚且つリンコナーダでウンベルトと親しかった恋人エンペラトリスに、その作風や書評を語らせる、という構造をとっています。
 これは明らかに<この物語はいかにも作り物である>という事を意識させながら、ムディートが今度はウンベルトの事を作中の創作された人物と言ったりと、相互にメタ構造を含み、メビウスの輪の様に裏表が判別できない構造となっていますね。

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 以上、簡単な構造論を述べてきましたがこれは作品の一要素に過ぎず、作品本来の魅力は実際に読んでみないと味わえない点が数多いと思います。
 無限の迷宮のようなエンカルナシオン修道院に、亡くなっても数が増える修道院の老婆たち。不妊や性的不能に異様に恐怖するアスコイティア一族。<キッド>の王国で畸形たちの楽園リンコナーダ。孤児イリスの産んだ赤子の運命。
 様々な要素が入り組んだ複雑な迷宮に見えたり、時にシンプルに凄く単純な事を言いたいだけなんじゃないか?と思えたりもする、一度憑りつかれるとなかなか逃れるのが難しい、手元に置ける稀有な”迷宮”だと私は思っていますね。
 では今宵はこのへんで(・ω・)ノシ

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