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明太子とカミングアウト

私は小さい頃から、コンビニなどでおにぎりを買う時、明太子を選べなかった。
親から「それは大人の味だよ」と言ってやんわりと止めていたから。
辛いものを食べて苦しい思いをすることがないようにという親心だったのだろう。
しかし私は、自分で出来ないことをやってみて失敗する、という経験からも遠ざけられていた。
何度言えば分かるんだと親に言われるのが怖くて、親の前で明太おにぎりを選ぼうとすることは自然と無くなった。
自分が明太子に手を伸ばすことに、背徳感を覚えるようになった。
気がついたら、1人でも明太おにぎりを選ぶことができないまま大人になっていた。

・・・・・・

某日。
大人になった私は危機に直面していた。

言ってみれば部署異動のようなものだろうか。
どう足掻いても、うまくやっていける未来が見えなかった。
理由はいくつもあるのだけど、端的に言えば相性が悪かった。

一つ。私は環境の変化に弱い。
一つ。私は人付き合い、特に集団に入るのが極端に苦手である。
一つ。私は人目が気になりすぎてしまう。

前の部署は、私以外にも「変な人」が多く、良い意味で皆が好き勝手過ごしていたので、私も遠慮なく一人でいた。
ただ、新しい配属先は、“みんな仲良く”という意識がとても強い。
だから一人でいたら周りの目が気になってしまう、かといって集団に入るのは苦痛、つまり八方塞がりである。

環境の変化で精神状態が不安定になり、それによってさらに環境に適応できなくなり、という悪循環にやすやすと呑まれていった。
ついには、主治医から「診断書」という切り札を使うことを提案されるところまで落ちた。


某日。
私は新しい部署の同僚をご飯に誘った。

親しい人でさえ自分から誘うことはない私が、会食恐怖を完全には乗り越えきれてない私が、ほとんど話したことのない人を、食事に誘った。

実を言うと連絡を取った時の記憶がかなり薄い。
多少解離が入っていたのか、深夜の勢いで連絡をして、翌朝起きたらご飯に行くことになっていた。

火事場の馬鹿力は、精神的なものでも発動するらしい。


某日。
私から誘ったのに、人を食事に誘うという経験がないもので、相手がお店を決めてくれた。

今の部署のこととか他愛もない話をして、料理が無くなろうとする頃、私は自分の障害について口を破った。
というか勝手に口から滑り出てきた感じがして、自分でも驚いた。
相手の口が開くまでの0.5秒の間に走馬灯が見えた。

相手は、特に驚かなかった。
いや、驚きはしたのかもしれないが、態度に出てこなかった。
そしていまだに、変わらぬ態度で接してくれる。

ここで例えば馬鹿にされたら、気の持ちようだと言われたら、部署に私の居場所はなくなるくらいの大博打。
それでも、苦しかったから知って欲しかった。
それくらいに限界だったのだと思う。

・・・・・・

今まで私の障害を知っていたのは、私と、主治医をはじめとする専門職の支援者、匿名で障害を公開した上で交流してくれているSNS上の人々だけだったから、リアルでの付き合いが中心の人にカミングアウトしたのは初めてだった。

今のところカミングアウトに後悔はしていないし、振り返るとその人を誘った時点で私はカミングアウトするつもりでいた気もする。

結局他の同僚や上司には何も言っていないのだから、新しい環境に馴染めないのは変わっていない。
それでも、この世界には障害があっても自分を受け入れてくれる人がいるかもしれないこと、そのうちの一人はこんなにも身近にいること、それを知ることができただけでカミングアウトには意味があったと思う。


ちなみに、相手が選んでくれたお店は「明太子専門店」だった。
メニューを開いて一面に広がる明太子料理には、こんな世界があるのかと驚いた。
背明太子の陣、四面明太子。
明太子を頼まない理由はなかった。

ドキドキしながら頼んだ明太パスタは思ったより辛くなくて、それでいて少し苦かった。


いつどこで明太子を食べるも、いつ誰にカミングアウトするも、全部私が決めることができる。

私は1つ、自分の足で大人の階段をのぼった。

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