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多様性に関する歴史について調べてみると、"無能の鷹”が世界を救うと思えてきた。

  多様性(ダイバーシティ)は、社会的公平性から人材活用の観点で語られることが多くなってきました。ここでは移民国家であるアメリカを中心にダイバーシティがどのように歴史的変遷を遂げていったかについて調べてみました。6500文字を超えましたので目次をつけました。長文となりましたがお読みいただけるとありがたいです。


1.19世紀後半から20世紀前半

  南北戦争

 1861年から1865年にかけて、農業中心で奴隷制を存続を主張する南部(アメリカ連合国)と、工業化を目指して奴隷制の廃止を主張する北部(アメリカ合衆国連邦)との間で南北戦争が起こりました。
 1863年、リンカーン大統領は奴隷解放宣言を発令しました。これにより、南部の連邦離脱という争いから、奴隷解放を掲げた戦いの大義を北部に広めました。同年11月にリンカーンは「人民の、人民による、人民のための政治」という演説をし今でも語り継がれています。
 1865年南部が完全に敗北し、アメリカ合衆国として統一が維持されます。

  1865年奴隷制の廃止

 終戦後の1865年に憲法修正で奴隷制の廃止され、1866年の修正で黒人にも市民権が与えられました。だだし、その後もアフリカ系アメリカ人の社会的不平等は残り、南部では合法的に黒人差別が行われていました。一度根付いた差別意識はなかなか取り除くことができませんでした。
(リンカーン大統領は1865年、熱狂的な南部主義者により暗殺されます。)
 平等を求める運動は引き続き行われ、この頃の多様性の議論は、人種差別や性別平等を中心に行われました。

  女性参画運動 フェミニズム運動の第一波

 世界各国で女性が政治や社会での平等な権利を求める運動が活発化しました。この動きは女性の社会進出の第一歩となり、性別の平等が社会の重要課題と認識されるようになりました。
 アメリカでは南北戦争後、黒人を含むすべてのアメリカ市民に市民権が与えられたものの、参政権は男性市民に限定され女性市民にはありませんでした。その後各州に選挙法の管轄が置かれ女性選挙権も州ごとに獲得されていきました。

  1920年アメリカで女性参政権獲得

 アメリカ合衆国全土で女性に市民権が与えられたのは、第一次大戦後の1920年までかかりました。これにより約2600万人の女性の選挙権が認められたとされます。
 漸く参政権は獲得したものの、男女間の経済的格差は依然として残っていました。
 日本では第二次大戦後の1945年に衆議院選挙法が改正され女性の参政権が認められました。
 他国を見ると1893年ニュージーランド、1906年フィンランド、1906年ソビエト(ロシア)、1918年イギリス・ドイツ、1945年フランスでそれぞれ女性の参政権が実現していきました。

  ノーマライゼーションの始まり


 1950年代北欧諸国から障がい者が他の人と平等に生きるために社会基盤や福祉の充実を整備していく考え方が浸透しだします。
 第二次大戦後、当時の知的障がい者の施設で、非人道的な扱いを受けていることを知ったその親たちによる改善運動から始まりました。
 社会的に弱い立場の人たちの生活基盤を通常の社会環境に近づけ、誰もが自分らしい生き方を追求できる社会を目指す理念で、障がいのある人もノーマル(正常)な生活を送る。
 障がいのある人がありのままで、環境(周り)が変わるという視点です。
 ノーマライゼーションは、対象者を障がい者においていましたが、ダイバーシティで言われるインクルーシブ(Inclusive)「あらゆるものを含めた、対象をすべてのマイノリティの人を包括する」の考え方の前身となるものです。
 Equity(エクイティ)公平性・公正性の考え方。平等(Equalty イクオリティ)ではなく、個人個人に合わせた環境を整備していくことにも通じます。

 しかし、いまだに障がい者に対する偏見は根強く残っています。障がい者施設への偏見からくる問題も発生しています。
 助けが必要な人という認知から、環境を整備すれば同じであると考える。カーネギーが言われた「誠実に、心を込めて、相手の良さを認める」「在ることに感謝する」Appreciation(アプリシエーション)の考えが世の中に実装されるのが解決の糸口になるのではないでしょうか。
<カタカナ英語を多用しましたが、日本からの考え方ではないので、英語表現で伝える方が分かりやすいと思いました>

2.1960年から1970年代

  公民権運動(1964年公民権法の成立)

 第二次大戦後、キング牧師らが中心となり、アメリカ黒人の基本的人権を要求する公民権運動が活発化しました。
 1961年に大統領に就任したケネディ大統領は、選挙で黒人の票を集めるため公民権運動を支持し、大統領就任中に公民権設定法を準備したと言われています。ケネディ暗殺後の1964年に公認のジョンソン大統領により成立しました。
 人種、宗教、性別、国籍による差別を禁止する法律で、多様性の概念が法的に保証される重要な一歩となりました。
 ダイバーシティ(多様性)が雇用面でもマイノリティへの機会均等、 アファーマティブアクション(積極的差別是正主義)の義務付けが進みました。 

  フェミニズム運動の第二波

 1960年代後半から1970年代にかけて、女性の労働環境や賃金格差の改善、家庭内での平等が求められるようになりました。
 フェミニズム運動の第一波が、主に女性の参政権獲得を示したものでしたが、第2波は性差による違いをなくす運動になっていきました。
 性別平等が労働環境や家庭内の役割分担まで広がり、多様性の考え方が「機会の平等」だけでなく、社会全体の構造的改革を求められるジェンダー平等という考え方に繋がっています。

3.1980年から1990年代  

  ダイバーシティマネジメントの取り組み

 この頃から企業におけるダイバーシティマネジメントの取り組みが始められました。グローバル化と市場における多様化に対処し、企業競争力を高めるため、多様な人材を積極的に採用する戦略がとられるようになりました。
 アメリカン・エクスプレスでは従業員ネットワークを形成、移民などの大多数とは異なる背景を持つ従業員が孤独を感じないようにするのを目的としました。
 IBMでは、ジェンダー平等と人種間の公平性を重視した採用を開始。女性やマイノリティグループを対象とした教育プログラムや昇進支援を導入しました。

  女性差別撤廃

 1979年国連総会にて女性差別撤廃条約が採択されました。
 1985年日本で男女雇用機会均等法が成立しました。
 これは1972年の勤労婦人福祉法を改訂したものでしたが、採用・昇進・教育訓練等の差別禁止は努力義務でした。1997年に大幅改定が行われ努力義務から禁止規定となりました。 

  障がい者の権利運動

 1990年「障害を持つアメリカ人法(ADA)」が制定されました。
 障がいをもつ人々の権利の主張、人権の概念から障がい者が平等に社会参加できる環境を保証するもので、多様性の枠組みを拡げました。
 1950年代に北欧諸国で広まったノーマライゼーションの理念のもとに、環境が変われば障害はなくなるという本質をとらえた考えに基づいた法律です。

4.2000年代  

  LGBTQ+の権利

 2001年オランダで世界で初めて同性婚が合法化され、その後多くの国が同性婚の合法化や職場におけるLGBTQ+の権利を守る法律が整備されました。 
 そもそもLGBTQは
 L:レズビアン(女性同愛者)G:ゲイ(男性同愛者)B:バイセクシャル(両性愛者)T:トランスジェンダー(生物学的な属性と、自分の認識している性別が一致しない)Q:クエスチョニング(性自認や性的指向を決められない)
 の頭文字をとってうまれた言葉で、それ以外にもさまざまなセクシャリティがあります。例えば
 I:インターセックス(生物学的な性別があいまい)
 A :アセクシャル(どの性にも恋愛感情を抱かない)
 さらにこれらのセクシャリティ以外にもあるという意味で+がけられ、セクシャルマイノリティ(性的少数者)全般を指す言葉です。

  ESGとダイバーシティ

 投資家が企業の社会的責任(CSR)に関心がおかれるなか、環境・社会・ガバナンス(ESG)の要素においてダイバーシティが重要視されるようになりました。ダイバシティーが企業の持続可能な成長を支える重要な要素とみなされています。
 2000年に国連主導で、企業に対して人種、労働、環境などに配慮した経営をもとめるようになりました。
 2004年国連が「社会環境・コーポレートガバナンス課題が株価評価に与える重要性」と言うレポートにESGと言う言葉が使われました。
 2006年に国連コフィー・アナン事務総長がESGを組み込んだ責任投資原則(PRI)を発表しました。

  セルフアドボガシー

 2006年国連総会において「障がい者の権利に関する条約」が採択されました。「私たちのことを私たち抜きで決めないで(Nothing About Us、Without Us」多くの障がい当事者が条約制定過程に直接かかわり、成立しました。
 セルフアドボガシーとは、日本語で「自己権利擁護」と訳され、障がいや困難のある当事者が、自分の利益や欲求、意思、権利を自ら主張することを意味します。
 歴史的に、障がいのある人は「支援される対象、助けられる者」として扱われてきました。このことは、基本的人権である「自分自身のことを自分で決める権利」を奪われてきたと捉えることもできます。
 セルフアドボガシーは、これまで支援される側として受け身の存在として捉えがちだった障がい者に、自律的に支援を求めていく能動的な存在として認知していくことです。
 障がいの持つ人は一律ではありません。一人ひとりにオーダーメイドの配慮が必要になります。自己決定できないし難い人には、自己決定をするための支援もまた必要になります。
 共に生きるには、やってもらいたいこと望んでいないことをお互いにコミュニケーションをとることからはじまります。
 これは何も障がい者に関わらず、誰もが皆必要なことです。

5.2010年代から現在

  インクルージョンの重要性

 ダイバーシティがさまざまな人々を受け入れるだkれでなく、全員が積極的に参加できる環境を作ることにシフトしていきます。企業や学校での心理的安全性を高める取り組みが進み、ここの能力を最大限に引き出すインクルージョンという概念が潮流となっています。
 インクルーシブは、「包み込む、包摂する」意味です。ソーシャルインクルージョン(社会的包摂)「あらゆる人が孤立したり、排除されたりしないよう援護し、社会の構成員として包み支え合う、共に生きる」という理念から来た言葉です。
 インクルーシブの反対語はイクスクルーショブ(排除的、排他的)という意味です。
 ダイバーシティ(多様性)の歴史を辿ってみると、差別、排除を行ってきた歴史です。
 ダイバーシティ&インクルージョンさらにE(エクイティ:公平性)を加えたDE&Iと言う言葉が使われるようになりました。
 これは、単純に「マイノリティの人を排除しない、多様性のある人が存在している」だけでなく、「さまざまな違いを持った人が、それぞれの能力を発揮することのできるようお互いを尊重し、ともに活動する」という意味です。

 2015年日本で女性活躍推進法が施行され、女性の社会進出を促進するため、企業や自治体に対して具体的な行動計画の作成が義務付けられました。
 2016年日本で障がい者差別解消法が施行され、障がい者への差別をなくし、合理的配慮を求める動きが本格化しました。

  SDGsとダイバーシティ

 2015年国連でSDGs(持続的な開発目標)が採択されました。貧困や不平等を解消し、誰も取り残さない社会を目指し、ジェンダー平等や多様性がグローバルな課題として認識されました。

6.まとめ(感想)

 多様性の歴史を辿ってみました。まだまだ表面的で、歴史上の出来事、それにかかわった人物をもっと深堀しないと、本質にたどり着いてはいないのかもしれませんが、自分で調べたことに関する感想を書きます。
 
 私が通っていた小学校では、おそらく今で言う発達障がいの子も一緒に学んでいました。
 当時先生は、差別することなく普通に接するようにと言われていました。
軽度なのかもしれませんが、少しかんしゃくを起こすことはあっても、それほど人に危害を加えることはありませんでした。
 同じクラスの子は、皆暖かい目で接していたように思います。よく考えるとそのとき、学級でいじめとかなかったように思えます。
 彼がいるおかげで、子供なりに自分と違う他者と接する術、人は実は皆自分とは違う感じ方をするものだということを学んだのではないかと思うのです。
 いつの間にか、彼は特別支援学校に転校していき、クラスには表面上障がいを持つ子はいなくなりました。
 すると、どうもクラス内がぎくしゃくするようになったのではという記憶があります。勉強のできる子、スポーツのできる子、けんかの強そうな子、おとなしい子とか、なにか彼がいるときにはなんら区別しなかったクラスの中に区別があるようになりました。

 多様性の歴史は、障がい者、マイノリティの人たちを区別し排除しようとしてきた歴史を辿っているようでした。その区別をなくしていくのに長い歴史がかかっている、今もまだ残っています。
 人はどうも人種、性別、貧困、障がい・・・だけでなく、何事につけて区別したがる、優劣をつけたがる傾向があります。すぐランク付けしたがるしし、有能無能で判断したがります。
 何がメジャーで何がマイノリティか、なにが有能で何が無能なのかも分からないのにも関わらず、区別しメジャーな席に座りたがります。

  無能の鷹が世界を救う

 漫画家はんざき朝未の「無能の鷹」が俳優菜々緒の主人公でTVドラマ化されました。
 菜々緒演じる主人公鷹野(どう見ても有能にしか見えないのに、実は仕事は全くできない無能な人)がITコンサルタントの営業をやる仕事ドラマです。
 有能に見えるので、「能ある鷹は爪を隠している」のではと疑うのですが最初から最後まで無能にままなのです。菜々緒が見るからに有能という役がぴったりとこのドラマは大好評です。
 たしかに仕事能力も、社会人としての常識にも欠ける彼女なのですが、お客さん(クライアント)もその佇まいで、何のこともない言動が、すごいと思われ受注を獲得していきます。
 あるとき菜々緒が間違えてあるロボット会社の打ち合わせに入り、斬新なロボットの提案に、「何もしない」と応えます。
 そして、そのロボット会社は、一見なにかすごいことをやってくれそうだが、実はなにもしないロボットを作ります。何もしない、だだぼーっと空を眺めているだけのロボットなのですが、発売後世界中に売れ出します。
 戦争地域にそのロボットが入ると、兵士たちは戦っているのがあほらしくなり武器を置いて戦争をやめるのです。
 
 多様性の歴史を辿り、これは世の中の価値観が変わる歴史ではないかと思えました。これまで良しとしていたことが、そうではなくなる。
 当たり前と思われていたことが、当たり前ではなくなる。
 役に立たないと思われていたものが役に立つ。
 異なっているものが、間違っているとか劣っていると思わない。
 
 一見有能な「無能の鷹」は実は無能なのだが、本当のところは有能、「世の中を救う」と思えてきました。

 結び
 最後まで、読んでいただいて本当にありがとうございます。
 前回前々回、多様性を生かす・歴史を学んでみようという記事を書きました。私のクリエイター名をautonomy(自律)としているのは、さまざまな人、皆誰もが自律的なキャリアを歩んでいける社会の実現という想いからです。
 それで今回、多様性の歴史を辿ってみようと思いました。自身最長の時間をかけて文字数も6500文字を超えました。歴史もさまざまな視点から学ぶことで新たな発見があります。今回の記事で調べたのもまだまだ狭い範囲でしかありません。
 出来ましたら、皆さんのご意見をいただければ幸いです。

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