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『セクシー田中さん』のディスコミュニケーション

漫画原作の実写化が失敗するのは世の常でして。しかしそれが最悪の結末を迎えてしまうのは何ともやるせないじゃありませんか。

以前にも書かせて頂きましたが……出た! 得意の「以前にも書かせて頂きました」が出た!
私は、今から貼り付ける記事の最後を、こういう風に結んだんです。ご興味あれば全文を、なければ飛ばして引用部分だけを読んでくだされ。

しかし小説は「思う」。いつだって「思う」。あんまり思っていると、映像表現から嫌われ始める。
そして漫画が実写化されると軒並み失敗するのは、「思っている」ことを「思えなく」なり、「思う」表現を上手に描けないことに原因がある。とか思っている。知らんけど。

自身のnoteより

実際、私は『セクシー田中さん』の無料部分しか読んでいないし、ドラマはまったく見ていないので何とも言えませんが……我ながらいいこと書いていると思います。はい、自画自賛、手前味噌、独りよがり。
せめて第1話だけでも見てから書きたかったんですけれど、TVerでの配信が終了しているので、ダメでした、ごめんなさい。未見のままでは書けません。

ただ言えることは、製作陣、脚本家、原作者との齟齬ってほんの少しのズレから始まり、それがどんどん大きくなって不信感に結びつく物なんだと思います。
側聞するに、原作者と脚本家は最後まで顔を合わせていなかったということで、間に入る人が互いにどう伝えていたのかが問題になりますよね。
リモート会議がお手軽にできる昨今、コミュニケーション不足と言いますか、むしろディスコミュニケーションに近いんじゃないかとすら思えちゃいます。
ご本人が亡くなってしまっては、なぜああいった行動を取ってしまったのか想像の域を出ませんが。

ドラマだけではありません。医療だろうと建築だろうと小売店だろうと、少しのズレが不信感を生んじゃうので、聞く力や伝える力って大切ですよね。コミュニケーションしないと。

そんなコミュニケーションのことをnoteに書いていて、ふと思い出したことがあります。

Comunication
noteに 書き留めた 言葉
明日を 遮る壁 乗り越えて ゆくこと

おっと、これはTMネットワーク『Seven Days War』の歌詞の冒頭でした。しかも一番と二番が混ざっています。
あしからず。