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自分のことを言葉で丁寧に表現する

感情の波に左右されやすい私は、過去を振り返る時に「自己分析」という言葉で自分を苦しめてきた。

何故その言葉が自分を苦しめていたかというと、「自己分析」をする際の言語化レベルや方法が今とは少し異なるものだったからだ。

例えば、他者の人生を自分の人生に組み込み自分は不運の人生を歩んでいることにしたり、短所を裏返して長所に見立てた性質を丸ごとポジティブなものとして自分の中に取り入れようとした。

疑い深く、納得するまで時間を要する傾向があるのでそれらの作業は苦しく慣れないままであった。

ポジティブに変換したものを素直に受け入れ前を向き明るく朗らかに生きていけたらどんなに素敵なことだろうか。そう思うことが難しい自分をあらゆる角度、あらゆる視点で非難し改善する為の材料を集め続けた。


私は「受け止めオウム🦜」の名付け親だ。

自己肯定⇔自己受容⇔自己否定と3段階に分け、自分の感情に対して肯定や否定せずただオウム返しすることで感情を受け止められるのでは?という試みである。


気分がノッている時は自己信頼100%で、勇気100%の最強モードになれるのだがそれを常に保つことは難しい。けれど最強モードに思いついたことは、なかなか楽しそうで魅力的に映る。

受け止めオウム🦜を実践してから、私の感情のベースはおおむね自己受容⇔自己肯定の間に所在している。

つまり、心のセーフティネットを自分自身で張り巡らせられる可能性が自分の中に大いにあるのだと気づいた時、心のどこかでほっとすると共に「レジリエンス…」というワードが脳裏をよぎり、何か不確かなものを掴んでいるような感覚になる。


様々な書籍を斜め読みしては、学びや知識を得られている!と嬉しくなる。

情報収集していく中で、

積み上げる、インプットするという今ある状態からプラスにする方向性ではなく、今までの経験を違う角度から見る、再定義するというアンラーンという概念を知り強く興味を抱いている。

少し考えてみて、頭の中に浮かぶ言葉、熟語の雰囲気が以前と違うことに気づいた。

ああ、これは言葉の衣替えを少しずつ進めていったからだ。

そう感じた私は少しずつ己の人生を再定義しながら歩みを進められていると実感できて自分のことが少し誇らしくなった。


自分の世界のことを全く別世界の他者に説明する時、自分の言葉で語っても伝わらない事は往々にしてある。

専門用語を使わずに相手に説明するのは自分の語彙力や表現力に磨きをかけることになる。

自分の生活環境やこれまでの人生に読み替えてこの作業をすることは私にとってとても楽しい時間だ。

私のこれまでは「自己分析」で過去を見つめ、ポジティブ変換したものを素早く自分に吸収するスタイルだった。今は自分自身の出来事を丁寧な言葉で表現し直すスタイルだ。これなら、これからも大丈夫そう。

丁寧に表現されたものは言葉に限らず丁寧に扱われる。高級ブランドのお皿や有名デザイナーのお洋服、心から愛している人への接し方と似ている。

(高級ブランド、有名デザイナー、心から愛している人に限定して表現したのはあくまでも例えである、それらが良いとか悪いとかの話ではない)

自分自身の出来事を丁寧な言葉で表現して、私は経験をより心強いパートナーにすることに決めた。

昔誰かに教えてもらって大事にしている言葉を紹介して締めくくりたい。

「人生の中で最も輝いている時間は成功や功績を手にした時ではなくただ一筋の光に向かって沸々と湧き上がる想いを感じている瞬間である」

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